華夏
Tweet華夏(かか)とは中国や漢民族をやや美化して表現するときに使う言葉です。これらの漢字の元来の意味や、歴史的な経緯、伝説などを紹介します。
目次
- 1. 華夏(かか)とは
- 2. 「華夏」とは「中華」・「中国」のこと
- 3. 「華夏」伝説
- 4. いわゆる中華思想と「華夏」
- 5. 「華夏」に抱く思い
- 6. 漢字の持つ意識
華夏(かか)とは
甲骨文字の中で「華」と「夏」は崇高で聖なる意味を持ち、文字の王者・きわめて高い地位を持つ文字でした。またこの二つの文字は同義であり、場合によると置き換えて使われました。春秋時代以降この二つの文字は「華夏」と並べて使われるようになります。
『春秋左伝正義』に「中国有礼儀之大、故称夏。有服章之美、謂之華」(中国は礼儀の国であり故に「夏」と称する。夏とは高雅という意味である。中国人の服飾は美しい。故に「華」と称する)とあります。
「華夏」とは周囲の「夷蛮戎狄」(い ばん じゅう てき…東の蛮族・南の蛮族・西の蛮族・北の蛮族)に対応させた言葉で、最初は文化概念にすぎなかったものが、やがて「周王朝」の自称となり、漢代以降は漢民族の自称となり、さらにはいわゆる「中国」の代名詞ともなっていきました。
つまり「華夏」はかつては黄河の中下流域に起きた高い文明あるいはその文明を持つ部族や民族、王朝を意味する名称でしたが、やがて中国人にとっての「中国」そのものをシンボリックに誇らかにイメージする名称となったと言えるでしょう。
「華夏」とは「中華」・「中国」のこと
「華夏」は「中華」「中夏」「中土」「中国」と同義でもあります。文字的に「華」=「夏」でもあるので、「中華」は「中夏」とも書けます。また「中国」は「大地の中央」という意味でもあり、「文明の発達したところ」という意味でもあります。
つまり「華夏」はもちろん「中華」や「中国」も、かつては民族的な概念ではなく「文明の及んだ場所」という意味でした。
「華夏」伝説
「華夏」は最初黄河流域の中下流一帯(いわゆる「中原」)の部族名だったという説もあります。その物語を紹介しましょう。
黄帝(中国の神話「三皇五帝」の最初の皇帝)と炎帝はそれぞれの集落連合の長としての地位をめぐって戦い、炎帝が敗北して黄帝の集落に統合されました。こうして炎黄連盟ができたのですが、その後彼らは「涿鹿(たくろく)」で九黎族の首領・蚩尤(しゆう)と戦ってこれを破り、黄帝の集落と炎帝の集落を主体として今の山東省に「華夏連盟」を作ったといわれます。
黄河の中下流地域には「仰韶文化(ぎょうしょうぶんか)」・「龍山文化」など新石器時代の遺跡がありますが、これらは「華夏」先住民たちが残した文化遺跡だと言われています。
黄帝の時代のあとは間2帝置いて堯・舜の2帝が続き、その後に夏王朝・商(殷)王朝、そして周王朝と続いていきます。
いわゆる中華思想と「華夏」
中華思想は現代国際社会でも中国批判のキーワードの一つとして使われます。中華思想は「中国が一番エライ。周りの国は皆シモベだ。中国に従え」というようなニュアンスで受け取られています。
古代におけるいわゆる「中華思想」というのはそうした強烈な民族ナショナリズムとは無縁で、異民族でも中原風(黄河中下流域の土地)の名前を持ち、中原風の衣服を着ていればその者は「華夏・中華」であり蛮族ではない、というものでした。
もっとも異民族の名前を持ち異民族の服装をしていれば蛮族だというのですから、民族ではなく文化ナショナリズムと言うべきかもしれません。
ただ当時はいわゆる中国大陸の中原文化とその周囲とでは圧倒的な文化の差があったことでしょうから、偏狭なナショナリズムというよりは「ちゃんとこっちのマナーを身につけろよ。そしたら仲間に入れてやる」くらいの感覚で、これは現代人の意識でも理解できます。古代中国人のセンスというのは実に魅力的で、まさに司馬遼太郎の言うとおり「中国は古代になるほど現代的」です。
「華夏」に抱く思い
在日中国人の方のペンネームで「華夏」という名前を拝見したことがあります。「愛国者なのだろうな…」と感じました。
中国民族のシンボルたる「華夏」は、祖国中国の百年以上にわたる苦難の歴史の中で海外に生きる中国人を支えるものでもあったのでしょう。
漢字の持つ意識
最初に書いたように古代、「華」や「夏」という漢字は漢字群の中できわめて高い地位を誇っていました。文字はただの文字ではないのです。ひらがなの中で特別エライひらがながあるでしょうか?アルファベットの中で、たとえばXは高貴さを意味するとか…。この点漢字には漢字の中での上下関係があるのですから面白いです。
この感性は今も生きていると感じることがあります。
たとえば中国人が日本に対して「反日デモ」を行う時、「反日デモ」とは言わず「抗日デモ」と言うのです。おそらく「反日デモ」より「抗日デモ」の方が「正義は我にあり」というニュアンスが出てくるのでしょう。一方ベトナムが「反中デモ」をやる時、中国の新聞は「抗中デモ」とは書きません。「反華デモ」(「反中デモ」の意味)と書くのです。こちらは「抗」ほどの正義感が漂ってきません。単に中国に反発しているだけという感じです。
つまり実態は同じでも、使う漢字によって政治的立場が変わる、漢字そのものが政治性を帯びるのです。