中国の「都市・農村」の格差問題と戸籍制度
Tweet中国では都市と農村で収入や教育、生活、医療などが大きく異なります。ここでは中国の都市と農村の格差の問題や、戸籍制度について紹介します。
目次
- 1. 中国「都市・農村」の格差問題と戸籍制度
- 2. 中国の戸籍制度は都市と農民で区別されている
- 3. 中国の戸籍は身分制度
- 4. 中国の地域区分
- 5. 中国の都市と農村の収入格差
- 6. 中国の都市と農村の学校教育の差
- 7. 中国の都市と農村の医療の差
- 8. 中国の農民工の暮らし
- 9. 中国の農民工の子供たち
- 10. 中国の都市戸籍の子供たち
- 11. 中国の戸籍の固定化はなぜ起きたのか
- 12. 中国の都市住民の意識
- 13. 中国の農民の意識
- 14. 中国の農村の実態
- 15. 日本の農村となぜこんなに違うのか
- 16. このまま農村を放置すると…
中国「都市・農村」の格差問題と戸籍制度
中国の都市・農村の格差問題を語る際、「戸籍」に触れないわけにはいきません。
中国では一般に都市で生まれた人は「都市戸籍」を持ち、農村で生まれた人は「農村戸籍」を持ちます。生まれた場所が戸籍に登録されるということなら日本も同じでしょう?と思うかもしれませんが、これが似てまったく非なるものなのです。
中国の戸籍制度は都市と農民で区別されている
日本で「戸籍」というのは親子や婚姻など家族関係を記録した書類のことで、日本国内であってその場所が実在すればどこに置いてもいいのだそうです。そこで皇居とか大阪城に戸籍を置く、つまり本籍を置く家もあるそうです。本籍が皇居や大阪城の番地!要するに住んでいなくてもいいわけです。
一方今住んでいるところとそこに住む住人について記載した書類のことは「住民票」と言います。この住人は家族でなくても、一緒に住んでさえいればいいのです。
この「戸籍」という制度は日本、中国、台湾にしかない制度だそうで、他の国では家族ではなく個人単位で年金などのために登録する制度があるだけです。
さてその日本の場合、本籍がどこにあろうとそのことで居住地や職業に制限が加わることなどあり得ません。都市戸籍であれば学校、年金制度、職業の選択などさまざまな面で優遇され、農村戸籍だとこれらの点できわめて不利など、戸籍による理不尽なまでの格差があるなど想像もつかないことです。
第一どこが都市でどこが農村なのか、日本ではそれも判然としません。
中国は地域によって都市と農村がはっきりと区別され、都市と農村では町づくり、学校教育、年金制度、医療制度などさまざまな基礎インフラに大きな違いがあります。
中国の戸籍は身分制度
中国をよく知る外国人はしばしば「中国にはヨーロッパとアフリカがある」と言います。上海など大都会の暮らしはヨーロッパなど先進国とほとんど変わらず、一方中国の人口の5割から7割を占める農村はアフリカと変わらない暮らしぶりだという意味です。
さらに日本人にとって想像し難いこととして、中国人は「都市」と呼ばれる地域に生まれれば都市戸籍となり、「農村」と呼ばれる地域に生まれれば農村戸籍となり、どういう戸籍を持つ親のもとで生まれたかによって人生のさまざまな側面…学歴・仕事・収入・暮らし・文化などが生涯固定化されてしまうということがあります。
つまり中国において戸籍は身分制度を示すものといっても過言ではありません。そして農村戸籍はあらゆる意味で「2級市民」の証(あかし)を示すものと言ってもいいでしょう。中国に住む中国人には1級市民(都市戸籍を持つ人)と2級市民(農村戸籍を持つ人)がいて、一般には収入も仕事も学歴も風貌も言葉遣いも異なり、この間にある見えない壁を乗り越えるのはきわめてハードです。
中国の地域区分
中国は大きく分けて、「城市」(都市)・「鎮」(ちん)・「郷村」(農村)という3つの地域があり、このうち「鎮」というのは、農村地域における都市という位置づけです。やや大きな「田舎町」という感じでしょうか。この鎮を農村に入れるか、都市に入れるかで、都市・農村の統計が変わってきます。
2010年中国政府による統計によると
都市戸籍は3.8億人、農村戸籍は9.3億人(うち鎮戸籍は2.6億人)になっています。(合計13.1億人)
上の数字からわかるのは中国において大都市に住む人々と農村地域に住む人々の割合はおおおよそ3:7で、上海など発展を遂げている華やかな中国は3割、残りの7割がアフリカ並みと形容されることもある農村とその中のやや発展した町ということになります。
中国の都市と農村の収入格差
上海のサラリーマン・ホワイトカラーの平均月収は約8000元(約13万6千円)程度、
内陸部(山西省)のサラリーマン・ホワイトカラーの平均月収は約3000元(約5万1千円)程度と言われています。…中国在住日本人によるネット情報。
農民工(農村戸籍の人が都市部で働く、いわゆる出稼ぎ労働者)の平均月収は3459元(約5万9千円)…2017年中国農業部の発表。
純農民(農業にだけ従事している人)の平均月収は約952元(約1万4300円)…2016年発表のデータ。
中国のデータは一般に真偽がはっきりしないのですが(データに真実性が乏しい・きちんとしたデータが取れていない・中国政府がデータを出していないなどの理由による)、ネットやその他の情報では上記のようになっています。これを見ると、内陸部のサラリーマン(ホワイトカラー)より出稼ぎ労働者の方が収入がいいことがわかります。中国では、農村出身者(農村戸籍保持者)が大学を出て就職しても、小学校しか出ていない出稼ぎ労働者(農村戸籍保持者)の方が収入が良いと言われていますから、この数字はおおむね正しいと思われます。
大学出の価値があるのは大都市の一流大学だけで、多くの農村の若者が入れる大学では借金をして入っても良い就職先がほとんどないのです。ちなみに都会の一流大学における農村出身者の割合は約2%と言われています。人口では総人口の5~7割を占める農村戸籍人口の0.2割しか都会の一流大学に入れないという現実からは、教育環境の恐るべき格差が伺えます。こうした現実は、農村で暮らす人々から教育への意欲が失われつつあるという状況も生み出しているようです。頑張って勉強して大学に入るより、小学校や中学を出て都会で出稼ぎをした方が良い暮らしができるのです。
また農業によって得られる収入が、日本ですと2014年の統計で1戸あたり平均年収456万円ですが(月収約38万円)、これに比べるとあまりにも低いことがわかります。ちなみに中国の農民の耕作土地は1人平均0.16ヘクタールで、夫婦2人でも0.32ヘクタール。日本では1戸あたり2.74ヘクタールです。今の中国では農業では基本食べていけない状況になっているのです。
中国の都市と農村の学校教育の差
教育格差については日本でも問題になっています。それは都市部と農村部の格差というより、地域格差、たとえば東京と沖縄の格差など、あるいは親の資産格差の問題です。富裕層と貧困層では子供が受けられる教育の質が変わり、一流大学に合格する子供の家庭は富裕層が多いと言われています。ただし上記の格差は程度の差こそあれほとんどの国で起きていることでしょう。これに比べると中国の教育格差は次元が違うと言わざるを得ません。
たとえば都市戸籍の人々が住む地域では小学校で学ぶ科目が、道徳・社会・国語・算数・英語・保健体育・理科・音楽・美術・情報技術(IT)の10科目ですが、農村戸籍の人々が住む地域では多くが国語・算数・体育の3科目だけで、その理由は教えられる先生がいないからだそうです。科目数に差があってもそのまま放置されている…しかも人口の5~7割を占める地域で…これは絶句してしまう状況ではないでしょうか。教育を受ける権利は中国の憲法でも保障されていますからこれは明らかに憲法違反です。これに対して誰も異議申し立てをしないのですね。できないと言うべきでしょうか。
農村では上記したような一般的な貧困状態もあって、中学校までは義務教育とされていても小学校や中学校の途中で出稼ぎに行く子供もいます。
高校進学率は最近のデータでも都市部で70%、農村部で10%とかなり低くなっています。ちなみに日本では99%です。
2008年に四川省で起きた「四川大地震」では9万人以上の死者・行方不明者が出ましたが、そのうち2割・約2万人が校舎倒壊による子供たちでした。「役所はつぶれなかったが、子供が通う校舎はつぶれた」と住民たちの間では学校校舎への手抜き工事が取りざたされました。校舎は四川省だけで約7000棟倒壊したといいます。
「日本の学校校舎はその地域で一番立派な建物だ。地震が起こると住民は学校の体育館に避難する!」と観光で日本の農村にやってきた中国人は感嘆の声を上げます。日本人はその意味がわからないかもしれませんが、「中国の農村部では役人(つまり共産党員)が働いている役所はお金をかけて豪華に頑丈に作るけれども、子供たちの学校にはお金をかけず地震で簡単に倒壊するような建物しか建てない」という中国農村部の常識を嘆いている言葉でもあるのです。
ところがこれが北京や上海、広東など大都会の学校、とくに優秀な公立学校や貴族学校と呼ばれる私立校になると様相は一変します。設備などでは日本をはるかにしのぐ学校がいくらでもあり、こうした学校では先生たちも優秀。こうして世界のトップ級の若者と競える子供たちが育っていきます。
中国の都市と農村の医療の差
医療も都市と農村では大きな差が存在します。貧しい農村では設備が整った病院はめったになく、治療にあたる医師や看護婦の質も低くなります。知り合いの中国人に日本人の夫を亡くした人がいますが、いっしょに中国に里帰りした際テーブルに頭をぶつけるという些細な事故に遭い、農村の病院に運ばれてそこで亡くなったそうです。日本の病院なら死ぬことはなかったのに…と彼女は言っていました。
ところが都市の病院になると、外国の設備や医薬品をふんだんに使う高級な病院もあります。富裕層はこうした病院や日本など海外の病院で検査や治療を受けたりしています。
中国の農民工の暮らし
中国の農村部では農民工・出稼ぎ労働者になるのが当然視されています。農業では食べていけないのですから都市に出稼ぎに行くしかありません。農民工の年齢の上限は30代ですので50代以上は農作業に従事しますが、若夫婦はみな大都市に出稼ぎに行きます。
農民工は農村戸籍のまま鎮や大都市に流れていきますが、その割合を見ると、農村の農村戸籍者が96%であるのに対し、鎮の農村戸籍者は62%、都市の農村戸籍者は26%となっています。華やかな大都会に生きる人々の中の3割ほどがこうした出稼ぎ労働者ということになります。
彼らの学歴は中学校卒業者と高校卒業者が半々くらいです。
彼らの状況については、
社会保障のない非正規労働・劣悪な住居で雑居状態で暮らしている・家族と離れ、都市住民との交流もない・都市住民からの差別の対象・農業技術は身につけていない・一般に刹那的で退廃的
などの特徴があると言われています。
中国の農民工の子供たち
農民工の子供はどうなるかと言えば、連れていっても農村戸籍の子供は都市の学校に入れませんので親元に残し、祖父母が面倒を見ることになります。こうした子供たちは「留守児童」(中国語の「留守」は日本語とは意味が異なり、「残された」という意味になります)と呼ばれ大きな問題になっています。祖父母に甘やかされて育ち、きちんとした躾けを受けていないために生活の規律が身につかず、勉強をしても将来への展望が見えないために、村に学習意欲を育てる環境がなくゲームばかりしている。金儲けに必死の親とはめったに会えず精神的にも不安定などなど…。
農村における教育システムそのものの質が低い上に、子供たちもまたこうした状況ですので、都市の子供たちに伍して優秀な成績をおさめ一流大学に入って人生を好転させる…などは夢のまた夢になり、こうして農村部では経済的・文化的貧困が再生産されていきます。
中国の都市戸籍の子供たち
農村戸籍の子供たちとは異なり、大都市の子供たちの生活・教育環境は経済的には日本とあまり変わらなくなっています。彼らにとって貧しい農村地域に暮らす同じ中国人の環境の方が、日本との差よりはるかに大きいでしょう。
中国の戸籍の固定化はなぜ起きたのか
こうした中国独特の戸籍問題はなぜ作られたのか。中国共産党による新中国成立から9年後の1958年に都市住民の食糧供給を安定させ、社会福祉を充実させるために作られたと言われています。最初から農民の生活は眼中になかったのでしょうか。平等を標榜する共産党がなぜこのような政策を採ったのか外国人には理解しづらいことです。現在共産党員の役人や国営企業社員の年金は実に潤沢で、知り合いの中国人の話では、夫婦とも役人の場合老後のお金は使いきれないほどだそうです。農村戸籍の人々がいまだ貧苦にあえいでいる時に、なぜその暮らしに責任のある共産党員がそうしたぜいたくな暮らしを平然と享受できるのか、これも謎です。
中国の都市住民の意識
ヨーロッパ並みと言われる先進国的な暮らしを謳歌している現在の中国都市住民は上記のような不平等に疑問を持たないのでしょうか。私の印象では彼らの目に農民は映っていないように見えます。たとえば「中国の経済成長はすごくて、一人当たりの収入も日本とあまり変わらないよ」と言う中国人に、「えっ農村の収入も入れて計算している?」と聞くと、「ああ農村を入れるとなあ…」と口ごもるのです。中国と言う以上農村も入れるに決まっていると思うのですが、都市部出身の中国人の頭からは農村の存在がすっぽり消えているように感じられます。
もちろん農村の暮らしに同情を寄せる人もいるのですが、何か他人事です。『あの子をさがして』という農村を舞台にした映画の中でもその様子が描かれていて、農村の暮らしへの都市住民の同情は上からの施しという印象を受けます。つまりこうした上下意識こそが問題の根本という意識、同じ中国人の間にこうした不平等があって良いはずはないという意識はまったく感じられないのです。もし農民たちがあらゆる差別撤廃を叫び、自分たちに都市住民とまったく同じ待遇を求めたら…もしそのことが都市住民の暮らしの悪化を意味するなら…都市住民は断固それを許さないだろう、と私には感じられます。
中国の農民の意識
では当の農民はこうした状態をどう思っているのでしょうか。実は農村住民は一般に「これが当たり前」と思っているといいます。中国の農民たちはちょっとでも農村が改善されると「こんなすばらしい政府はこれまでの王朝にはなかった」と口にするそうです。つまり中国における1級市民と2級市民の存在を都市住民も農村住民も当然のこととして受け入れているということになります。農村出身者でも一流大学に合格したり、仕事がうまくいって富裕層にのし上がれた農民には都市戸籍が与えられます。農村からの脱出に成功したこうした元農民は農村では尊敬のまなざしで見られます。
近年中国で大人気を博したテレビドラマ『歓楽頌』の原作を読むと、地方から花の上海に出てきた(小説では「海市」という名前になっている)OLが都会の暮らしに疲れて、地方で自動車修理工をやる父親に田舎に戻りたいと訴える場面があるのですが、日ごろ一人娘に甘い父親がこればかりは頑として許しません。「お前は一族で初めて大都会に出た娘なんだ。我が家の誇りなのだ」と言って、働く娘をなんとしてでも都会にとどめておくために自分は残業を一層増やし、娘への送金額を増やすのです。
中国の農村はほとんどの中国人にとって「改善する場所ではなく、逃げていくべき場所」ということでしょうか…。
中国の農村の実態
中国の農村にもたとえば世界的に有名な「華西村」という村のように、村そのものが企業になって大成功し豪邸や外車を無料で村民に配るというようなスゴイ村もあります。(もっとも最近の情報によると、華西村はこうした村を作り上げた役人の一族によって支配され、村人は一族の悪口を言うことも許されないという一種の独裁王国になっているということです)
中国の農村すべてが貧困に打ちひしがれているわけではありませんが、梁鴻の『中国在梁荘』(中国は梁荘にあり)という河南省にある農村を描写したノンフィクションを読むと、自然環境や暮らしや文化など多方面にわたる村の荒廃ぶりは言葉になりません。最も痛ましいのは、農村に残され祖父母に育てられる子供たちが学びを放棄してしまっている姿です。
そしてこの作者は、中国とはこうした農村にこそ存在しているのだ、というのです。
日本の農村となぜこんなに違うのか
中国の農村の様子を読めば日本の農村を思わずにはいられません。
日本では、たとえば2011年大津波の被害に遭った東北の農村部の人々はそれでもその地域から逃げようとしません。農村に暮らす人々の郷土愛の深さは都会の人間には想像もつかないほどです。そして日本の農村はかくも愛されて当然と思えるほどに美しい…
とはいえ日本の農村のこれまでの歩みも中国に負けず劣らず苦難に満ちたものでした。
明治時代に書かれた『土』という小説には、東京近郊である茨城南部の農村の貧困がこれでもかと描かれ、読んでいて暗澹とした思いに落ち込んでいくほどです。このあたりの飢餓すれすれの貧困は戦後の1960年くらいまで続いたと新聞で読んだ記憶があります。
戦前の東北の農村では食べていけずに多くの親が娘を売ったと言います。
1965年の映画『飢餓海峡』ではそうした姿がリアルに描かれていて、今見ても胸が痛みます。
中国でも大人気だったドラマ『おしん』では、まだ小学校1年生くらいの少女が家族を食べさせるために住み込みの働きに出されています。
けれども高度成長期が20年ほど続いてそれが終わった頃、日本では多くの農村が消え、残っていても基本インフラに都市との差はほとんどなくなっていました。ましてや都市住民による農村住民へのあからさまな差別意識など…私は聞いたことがありません。
現代中国の高度成長期はすでに35年ほど続き、それがようやく終わりを告げようとしているところです。そうした時代にこれほどの格差が残るとはどういうことなのでしょうか。
私は日中の農村の違いの原因として、1つにこれまでの歴史、たとえば江戸幕府と清朝政府の統治法の違いなどにあるのではないかという気がするのです。
江戸幕府は封建制度による統治でしたが、清朝は中央集権制度による統治でした。
江戸幕府の時代、日本はたくさんの小さな国に分かれ、大名たちは自分の領地を豊かな場所にしようと懸命でした。領地である農村の経済状態は支配層自身の暮らしにも直結するからです。金沢などに行くとその頃の努力の跡をすぐれた工芸品などに見ることができます。明治の初め、東京から関東を通り抜け東北を旅したイギリス人女性のイザベラ・バードは『日本奥地紀行』の中で、米沢の農村の土地の豊かさを絶賛しています。
また農村でも読み書きそろばんなどの教育はある程度行われ字が読める人はそれなりにいて、祭りなど文化的な豊かさも育っていました。佐渡島など都市から離れた小島であっても、文化人の流刑地だったこともあるのでしょうが、今に残されている文化的香りの豊かさには驚くほどです。
明治以降は刀を捨てて農民になる元サムライもたくさんいましたし、農民にも全国統一的な教育が施され、優秀な若者は都会に出て中央官僚にもなっていきました。
都市出身者も農村出身者も二十歳になれば一律に徴兵され、同じ訓練を受け、同じ精神を叩きこまれました。こうして皆が一様に「日本人」となり、武士とか農民とか町人とかの江戸の身分制度は消えていったのです。
福沢諭吉が「門閥制度(世襲の身分制度)は親の仇でござる」と言ったように、明治維新当時のエリートたちが基本的に「身分制度の固定化」を否定していたのも大きかったかもしれません。
一方清朝による統治は官僚を各地方に派遣し数年で中央に戻しますから、統治者の自分の任地への愛着は生まれにくかったのではないでしょうか。
また中国の街づくりは役人や豊かな市民の暮らす街は城壁で囲み、農民は城壁の外で暮らして、朝城門が開かなければ中に入ることすらできませんでした。
こうして物理的にも心理的にも城市(都市)と農村は一体化せず、農村は単に収奪の対象に過ぎず、農村を我がこととする共感を国民の中に育てられないまま現代にまで来てしまったのではないかと思うのです。
このまま農村を放置すると…
原因はともかく今の中国の農村をそのまま放置し、豊かな都市だけ先進社会にまい進するとどうなるか。貧しく遅れた人間や地域は切り捨て、有能な人間に資源を回した方が能率的という考えもあるかもしれません。日本のように隅々まで公平をモットーとする国は中国のような国に勝てるはずがないという意見もあるでしょう。
けれども農村部を切り捨て、今の荒廃を放置するならいずれその荒廃によって復讐される時が来るような気がします。現在もたびたび問題になっている農作物の農薬問題や食品偽装問題などはその表れの一つでしょう。末端を切り捨てれば、末端による仕事がまともなものになるはずがありません。中国が先端だけを目指せば目指すほど、切り捨てた者によって足を引っ張られる可能性が高いと感じられるのです。
今中国政府は農村改革や格差是正を重視していると言われています。戸籍制度についても、農民戸籍者の都市戸籍への移動を少しずつ、まるで海外からの移民制度のように高ポイントを取った人々にのみ認めているようです。ただこれはガス抜きとも言われており、根本的な格差の解消に至る政策とは思えません。
ただ発想力と実行力では抜きんでて有能な中国人です。日本人には思いもよらないような方法でいずれ格差是正問題や農村改革は解決に向かっていくのかもしれません。