三峡ダム
Tweet最近ニュースになっている「三峡ダム」。今にも決壊しそうだとか、決壊すると南京や上海も水没するとか、そうなると…とか、いろいろな話が出ています。2020年7月半ばの時点ではネットに三峡ダムの状況が載らない日はないといった感じです。三峡ダムは中国一長い川・長江の中流に作られた世界最大のダムで、2009年に完成しました。最初から専門家からメリットよりデメリットの方が多いとして物議をかもしてきたダムです。
三峡ダムのある長江については『長江』のページで詳しく紹介しています。
目次
- 1. 三峡ダムとは
- 2. 三峡という場所
- 3. 三峡ダムの歴史
- 4. 三峡ダムの問題点
- 5. 黄教授の12の予言
- 6. 2020年6月、7月の豪雨と三峡ダム
- 7. ゆがんだ三峡ダムの画像
三峡ダムとは
三峡ダムとは中国の長江上流から中流にかけて作られたダムのことで、湖北省宜昌市三斗坪にあり、1993年に着工し2009年に完成しました。ダムの高さ185メートル、長さ2309.47メートル、流域面積100万平方キロ。世界最大の水力発電を誇るダムです。地理的には長江上流に重慶があり、上流、中流の中間地点にダムのある宜昌、さらにコロナウイルス問題が最初に起きた武漢、下流に南京、そして上海があります。
近年ダム本体の歪みらしきものが衛星写真に写し出されたり、2020年6月に始まる豪雨では決壊の可能性も語られるようになりました。中国政府寄り専門家は決壊の可能性を打ち消していますが、住民による荒れ狂う長江の動画が拡散したり、台湾のテレビ局などが三峡の危険性を盛んに報じるなど情報が錯綜しています。
新型コロナでは発生の初期、中国当局による隠ぺいの疑いがあり、こうしたことから三峡ダムについても様々な疑念を呼んでいます。
三峡という場所
三峡というのは3つの峡谷(きょうこく…切り立った深い谷)の総称で、重慶市にある白帝城から湖北省宜昌にいたる長江600キロの途中で見られる絶景です。ここの風景は両岸の断崖絶壁、谷底を船が行き来する写真などでお馴染みです。
三峡ダム着工のニュースは当時日本でも大きな話題となりました。白帝城…三国志に出てくる主人公の一人劉備が亡くなったあの白帝城が、このダムのために水没してしまうらしいという噂も立ちました。白帝城は幸い水没することはなく島となって残りました。ちなみに白帝城とは城のことではなく、町の名前です。
さらには雄大な中国のシンボルのような、高くそびえる山崖に囲まれた三峡を流れる長江の姿は一幅の中国画のようで、三峡ダム建設の場所は中国ならではの景勝の地です。「姿が変わってしまう前に一度見に行くといい」と当時中国人に勧められたものです。
そしてダムのために水没する地域からは百万の「移民」が出るという話にもびっくりしました。移民といえば海外に移住する人の意味だと思っていましたが、中国語の移民は「移住者」の意味で国内であっても使えるのです。百万を超える強制移住者…日本のように説得を重ねてということではないのです。ほとんど問答無用で先祖伝来の地を追い立てられ、苦労を重ねてきたであろう耕作の場を失う…。
日本に伝わった三峡ダム建設のニュースは、時代が前に進んでいく輝かしさよりも、どちらかというと美しい土地や無辜の人々が強大な国家権力に振り回されていくイメージがあったような気がします。
三峡ダムの歴史
三峡ダムは発電、洪水防止、水運などに巨大なメリットがあるということで計画されました。
三峡ダムの目的は、上流からの河川の水を一部せき止めてダム湖に貯め、洪水時には河川流量を減らして水害を防ぎ、渇水時には流水の補給をし、さらに水力によって発電するという設備で、基本的に地域の人々にさまざまな恩恵をもたらします。
最初に三峡にダムを作ろうと考えたのは、日本でもよく知られる辛亥革命の指導者・孫文です。その後この案に基づいて1940年代の中頃からアメリカの援助を得て計画がスタートするはずでしたが、その後の国共内戦によりこの計画は消えました。
1949年中華人民共和国の成立後、長江上流がたびたび氾濫し、武漢など中流域の都市の安全を脅かすため、三峡にダムを作る案が再浮上しました。口火を切ったのは毛沢東でしたが、賛成、反対両者による激論がありいったん白紙に戻りました。
文革終了後「四つの近代化」路線が始まると、三峡ダム計画は再々浮上しました。1983年から検討が始まりましたが、再び強い反対が出ました。そこで1986年から1988年にかけて新たに全面的な検討が行われ、その結論としては技術的には問題がない、「ダムを作ることは作らないことより良い。早く作るのは遅く作るより有利だ」というものでした。
この時反対意見が何冊か本になって出版されましたが、政府からの圧力を受けて発禁となりました。
これらの本の中で最も影響力が大きかったのが、1989年3月に出版された戴晴というジャーナリストの編集による『長江、長江ー三峡プロジェクト論争』という本です。
その後、この本は当時の国務院総理・李鵬によって「動乱と暴乱のための世論を準備している」との名目で3万冊以上が廃棄され、戴晴は逮捕されました。
この本は『三峡ダム』というタイトルで日本でも販売されていますが、その内容については「長江本流をせきとめる巨大ダム建設をめぐっての中国国内での論争を集大成。財政、水運、堆砂、治水、発電、住民移転、文化財・環境保全などの問題を徹底論究。メガ国家プロジェクトへの冷静な評価をもたらす大著」と紹介されています。
三峡ダム建設計画はその後全国人民代表大会の賛成61.1%の得票率で可決されるのですが、この得票率は現在までの最低得票率だということです。
1992年から国務院総理・李鵬や後の国家主席・江沢民が先頭に立って三峡ダム建設計画推進され、1993年に着工、2009年に完成しました。
こうして三峡ダム建設計画は、専門家たちの緻密で冷静な反対意見を封じ込める形で見切り発車したのですが、完成後わずか十年ほどで、ダム本体のゆがみとか決壊などという常識ではあり得ない憶測が続出するようになって現在に至っています。
三峡ダムの問題点
三峡ダムの問題点としては上記した『三峡ダム』(日本語訳本)の内容紹介にあるように、財政、水運、堆砂、治水、発電、住民移転、文化財・環境保全などについて、建設前からさまざまな問題が取り沙汰されてきました。
三峡ダム計画に対して強硬に反対した水利専門家の黄万里清華大学教授が3回にわたって政府に出したという上申書が残っています。
「長江の三峡ダムは絶対に作ってはなりません。…単に生態系だけの問題ではないし、洪水防止や経済開発の手順だけの問題でもありません。これは主に自然地理の環境における川床の変化の問題なのです…」と書き、具体的に三峡ダムを作ることで増す川床への土砂堆積が逆に川の氾濫を招く問題や三峡ダムでは電気不足が解決しないことなどを訴えています。
特に川床に堆積して川の氾濫を誘発する土砂の問題については「長江に堆積するのは細かな土砂ではなく大きな卵石だから、ダム建設の検討をするなら土砂ではなくこの卵石で実験しなければならない」と、土砂でのみ実験した当局のやり方を批判するとともに、長江の土手の崩壊についても懸念しています。
黄教授のこの上申書はまったく顧みられることなく2001年に亡くなりますが、家族には最後まで三峡ダムの行方を見守ってほしい、どうしてもだめな時はダムを爆破するしかないと言い残したと言われています。
中国メディアはこれに対し「家族への遺言はなかった」と書いています。
黄教授の12の予言
また黄教授は12の予言を残したと、中国や台湾、海外の華人メディアが取り上げており、中国メディアがこの予言への反論を書いているのに対し、他のメディアは、三峡ダムは12番目の予言以外すべて黄教授の指摘した通りになったと述べています。
その12の予言とは以下のとおり。
1.長江下流では土手の決壊が起こる。
2.水運はうまくいかない。
3.長江流域の氾濫により移住者問題が起こる。
4.土砂の堆積問題が起こる。
5.長江の水質が悪化する。
6.ダムによっても電力不足は解消できない。
7.気象異常が起こる。
8.地震が頻発するようになる。
9.住血吸虫病が蔓延する。
10.生態系が悪化する。
11.上流の水害が深刻化する。
12.最終的に爆破することになる。
2020年6月、7月の豪雨と三峡ダム
2020年6月からの豪雨以来、三峡ダムの決壊の可能性が台湾で大々的に取り上げられ、長江流域住民が長江の荒れ狂う様子を動画に上げ、中国や台湾のメディアがネット上でこの問題を盛んに取り上げるようになると、海外メディアからも注目を集めるようになりました。
中国では6月から豪雨が続いていて、死者や行方不明者を100人以上出ており、こうした時こそ三峡ダムが守ってくれるのではなかったかと非難の声が上がっていますが、中国政府は「百年に一度の豪雨だから仕方がない」と弁明しているようです。
確かに日本でも未だかつてなかったような豪雨に襲われており、中国政府が一方的に責められるのも気の毒な気がしますが、中国政府は最初「一万年に一度の洪水でも三峡ダムがあれば大丈夫だ」といい、2007年には「千年に一度の洪水でも大丈夫だ」、2008年には「百年に一度の洪水でも大丈夫だ」、そして2010年には「20年に一度の洪水でも大丈夫だ」と最初大見えを切った挙句にトーンダウンさせてきた過去があります。
さらにはある役人が「ブラックスワン(めったに起こらないが、万が一起こると壊滅的な打撃を与える出来事)が(三峡ダムでも)発生するかもしれない」と発言したことで、三峡ダムの決壊が現実味を帯びてきました。
ゆがんだダムの画像
2019年に投稿された三峡ダムに関するあるツイッターが日本でも話題になりました。それによると2018年に三峡ダムを写したグーグルマップの衛星写真が、2009年のものと比べるとゆがんでいるというのです。これに対して中国政府は、初めこれをデマとしてツイッター投稿者を攻撃しました。
ところが後にダムの運営機構が「ダム本体は水圧を受けて3センチくらい移動する可能性があるが、安全性には問題がない」と写真のゆがみを認めた形になりましたが、3センチのゆがみなど衛星写真でわかるはずもありませんから、不思議な弁明です。
さらにその後ダムの見学が一時中止となったため、三峡ダムは崩壊の可能性があるという印象を人に与える結果となりました。
今もこの問題は折に触れ浮上し、今回のように三峡ダムが崩壊、決壊するのではないかと疑心暗鬼の際にはいっそうクローズアップされます。
ちなみに海外で活躍する中国人水利専門家の王維洛博士は、2020年6月メディアのインタビューにこたえて「三峡ダムに洪水防止機能はない。ダム工事の質は低く、長江中下流域の住民は逃げる準備をした方がいい」と呼びかけています。