中国の歴史

この項目では、中国の歴史上の出来事や人物などを取り上げています。

現在は神話時代~後漢時代までに関して、時代・思想・書物・人物・出来事・文化・技術・役職に分類して記載しています。

時代ごとのまとめ

三皇五帝

三皇五帝

三皇五帝とは中国の神話や伝説に登場する人物で、さまざまな伝説、神話が残されています。
夏王朝

夏王朝とは殷の前に存在した王朝です。近年の考古学の発見により、長く神話や伝説の世界にあった夏王朝が実在したといわれるようになっています。
殷

殷とは周の前にあった王朝で、その都である殷墟から甲骨文字が発掘されました。この甲骨文字の解読により、殷は実在した王朝であることがわかりました。
周

周とは夏、殷、に続く中国の古代王朝です。孔子をはじめとした儒家から理想国家と目されました。
春秋戦国時代

春秋戦国時代

春秋戦国時代はB.C.770からB.C.221までです。周王朝が弱体化し、諸侯分立の時代でした。またこの時代には諸子百家が生まれ、思想的に花開いた時代と言えます。
前漢

前漢

前漢は秦王朝の次の統一王朝で、高祖・劉邦が楚の項羽との戦いを制して興した国です。武帝時代に黄金期を迎えた後は徐々に衰退しました。
新

新は前漢王朝を簒奪した王莽によって建てられた政権です。周王朝に倣った制度改革などが失敗し、わずか15年で反乱軍に滅ぼされました。
後漢

後漢

後漢は前漢滅亡の後を受けて、前漢劉氏の血筋を引く地方豪族・劉秀、のちの光武帝が建てた国です。後に曹操の息子によって魏王朝が建国され、後漢は滅びました。
漢王朝

漢王朝

漢王朝とは、前漢と、前漢を簒奪した王莽による新を滅ぼして建国された後漢、この二つの王朝を合わせた呼び方です。合わせて約400年の歴史を持ちます。

春秋戦国時代の国家

魯

魯とは春秋戦国時代に山東省にあった国の名前です。孔子を生んだ国でもあり、魯国の歴史『春秋』は孔子によって儒教の経典にまとめられたとされています。
呉(春秋時代)

呉(春秋時代)

呉は春秋時代に長江の南にあった国で、呉越の戦いで有名な国です。呉越同舟や臥薪嘗胆などの故事成語はこの呉の物語から来ています。
越

越は春秋時代に長江流域にあった国です。越は呉とともに、呉越の戦いで有名です。越と呉は戦いを繰り返しますが、最終的に越の勝利で終わりました。
戦国七雄

戦国七雄

戦国の七雄とは、戦国時代に各地に割拠した7つの大国(秦、楚、斉、燕、趙、魏、韓)です。
秦

秦とは古代中国に存在していた王国であり、後に中国史上初めて統一王朝を作りました。秦の始皇帝の王朝です。
楚

楚とは春秋戦国時代の大国で、一時は大きく勢力を伸ばしましたが、のちに秦に敗れ滅亡しました。楚は末期に屈原という偉大な詩人を輩出しました。
趙

趙という国は、春秋の大国・晋の家臣が王権を簒奪して作った国で、同様に新しくできた晋由来の国、魏・韓とともに「三晋」とも呼ばれます。
燕

燕は今の北京あたりにあった春秋戦国時代の国です。戦国末に秦王暗殺を試みましたが失敗。秦に攻め込まれて滅びました。
魏(戦国時代)

魏(戦国時代)

魏は晋の家臣であった魏氏が趙氏、韓氏とともに君権を簒奪してできた国です。魏は当初覇権を握りましたが、信陵君の失脚と共に衰退していき、秦に滅ぼされました。
斉

戦国七雄の一つ斉は、周代の文王や武王の軍事・経済顧問であった太公望・呂尚が封じられてできた国です。春秋時代には桓公が国を豊かにし、桓公は春秋の五覇と呼ばれました。
韓

韓は趙、魏とともに、春秋の大国・晋の王権を奪ってできた国です。韓の公子・韓非子は、弱い祖国をどうしたら強くできるかを考えて『韓非子』を著しました。

思想・諸子百家

儒教

儒教

儒教の歴史や思想、経書、日本との関わりなどについて紹介します。
道教

道教

道教とは老荘思想を源流とし、黄老思想や神仙思想を包摂し、後漢末に太平道や五斗米道という教団が興り、これが道教の始まりといわれています。
諸子百家

諸子百家

諸子百家とは、春秋戦国時代に現れたさまざまな思想やその思想を考えた思想家たちのことを指します。
孔子

孔子

儒教の開祖である孔子の生涯と、政治や道徳についての思想、名言などを紹介します。
孟子

孟子

「孟母三遷」や「性善説」などで有名な孟子は、儒教では孔子に次ぐ聖人とされています。
老子

老子

道教の始祖である老子の思想や名言、『老子』に繰り返し出てくる「道」という言葉の意味などについて紹介します。
荘子

荘子

「斉物論」などの荘子の思想や『荘子』の中に出てくる有名な話などを紹介します。
列子

列子

列子とは戦国時代の思想家のこと。また『列子』という書物を指すこともあります。列子は道家の思想家とされていますが、実在したかどうかははっきりしていません。
荀子

荀子

荀子とは儒家の一人で、孟子が人間性善説を唱えたのに対して、性悪説、つまり人は生まれながらに「悪」であると唱えました。
韓非子

韓非子

韓非子とは、法家の大成者である韓非子のこと、あるいはその著書『韓非子』を指します。秦の始皇帝は『韓非子』の影響を強く受けました。
儒家

儒家

儒家とは儒教のことで、諸子百家の一つとしては「儒家」と呼ばれる、孔子の教えに始まる体系的な思想や宗教のことです。儒家の代表的な存在としては孔子の他に孟子、荀子がいます。
兵家

兵家

兵家とは諸子百家の一つで、戦争における戦術や戦略について説くものです。兵家の代表的な人物に孫武やその子孫である孫臏がいます。
法家

法家

法家とは諸子百家の一つで、法によって国を治める法治主義を唱える学派のことです。
道家

道家

道家とは老子や荘子の思想や、それを信奉する人のことです。道教は道家思想を元にし、そこに他の要素を加味してできた宗教で、道家と道教は似て非なるものです。
縦横家

縦横家

縦横家とは春秋戦国時代の諸子百家の一つで、諸国の間を富国強兵策や外交政策などについて自分のアイディアを説いて回っていた人々のことです。
墨家

墨家

墨家は中国の春秋戦国時代における諸子百家の一つです。兼愛という万人への愛や非攻という平和主義をモットーとしました。

書物

史記

史記

『史記』とは古代中国の歴史書で、正統な歴史書として認められている正史24書のうち最初に書かれたものです。先秦時代から前漢初期までが紀伝体で書かれた通史です。
漢書

漢書

『漢書』は前漢から新までの正史で、後漢時代に班固・班昭の兄妹によって書かれ、前漢王朝を賛美する内容になっています。
後漢書

後漢書

『後漢書』とは、後漢王朝について書かれた紀伝体の歴史書のことです。南宋の范曄によって編纂され、唐代以降正史に組み込まれました。
戦国策

戦国策

『戦国策』とは前漢時代に書かれた書物のことで、戦国時代の遊説家による権謀術数の記録を編集したものです。中国の「戦国時代」という時代名は、この書物から取られました。
四書五経

四書五経

四書五経とは、儒教の思想を著した経書のうち四書と五経のことです。四書には『大学』『中庸』『論語』『孟子』があり、五経には『周易』『尚書』『詩経』『儀礼』『春秋』があります。
論語

論語

孔子と弟子たちの会話を記した『論語』には現在の日本でも知られている様々な名言があります。
書経

書経

『書経』は『尚書』、或いは『書』とも呼ばれ、伝説の聖王、堯舜から始まる古代の帝王の詔勅や言行の記録です。
礼記

礼記

『礼記』は「らいき」と読み、儒教の経典の1つです。もともとは孔子やその門人たちによる礼に関する記録で、漢代以降整理されまとめられました。
易

『易』は儒教の経典で、占いの本であると同時に思想哲学の本です。占いとしての『易』は陰陽2つの符号を元にして占い、思想哲学としては魏の王弼が易の思想性を突き詰めました。
周礼

周礼

『周礼』とは周王朝の行政に関する法規について書かれた書物のことで、儒教の経典となっています。
春秋

春秋

『春秋』とは儒教の経典で、元は春秋時代の魯の国の記録であり、それを孔子が編集したとされるものです。
大学

大学

『大学』とはいわゆる大学のことではなく、儒教の主要な経典・四書五経のうちの1冊です。「大学」とは「成人の学問」という意味です。
中庸

中庸

『中庸』は儒教の経典「四書五経」の1つで、特に新儒学の中心人物・朱熹によって高く評価されました。
武経七書

武経七書

武経七書とは、中国の宋代に定められた武学の必読書7冊のことです。
孫子の兵法

孫子の兵法

孫子の兵法とは、今から2500年ほど前に、孫武という呉の軍略家によって書かれた兵法書です。
『呉子』呉起

『呉子』呉起

『呉子』とは、兵家の代表的な人物の一人・呉起によって書かれたといわれる兵法書です。
三略

三略

三略は太公望が書いたとされる兵法書で張良が黄石公という老人から授かったという伝説があります。
六韜

六韜

六韜は太公望が書いたとされる兵法書で、日本にも古くから伝わり藤原鎌足や源義経が愛読したといわれています。
呂氏春秋

呂氏春秋

『呂氏春秋』とは戦国時代の諸思想を集めて編集した本で、秦王政(後の始皇帝)の相国であった呂不韋によって作られました。
淮南子

淮南子

『淮南子』は前漢時代に淮南の王「劉安」が諸子百家の学者を集めて編纂した百科全書的な書物のことです。
竹書紀年

竹書紀年

『竹書紀年』は戦国時代の魏の国の歴史書です。盗掘がきっかけで見つかりました。

時代ごとの人物・出来事

神話時代

堯

堯は黄帝の血統を継ぐ伝説的な聖王で、堯からその地位を禅譲された舜とともに「堯舜」と並び称され、優れた治世を行ったとして崇められてきました。
舜

舜とは三皇五帝のひとりで、伝説の中の聖帝です。同じく三皇五帝の一人、堯から権力を禅譲されて皇帝の地位につきました。
禹

禹は中国最古の王朝といわれる夏王朝の開祖です。一方で禹は治水の神としても崇拝されてきました。

殷時代

天乙

天乙

天乙(湯王)は殷の初代王です。夏を滅ぼして殷王朝を打ち建てました。

周時代

周文王

周文王

文王とは周王朝の開祖・武王の父です。息子の武王が周を建てたのち父に「文王」と諡したことでこう呼ばれています。
武王(周)

武王(周)

周の武王(姫発)は文王の息子で、殷を倒して周王朝の初代王となりました。
太公望

太公望

太公望といえば日本では釣り愛好家の意味ですが、元々は周の文王に見いだされ、後に文王、武王に仕えた周の軍師・呂尚のことです。
周公旦

周公旦

周公旦は周王朝を建てた武王の弟で、早世した武帝の幼い子供の代わりに摂政を行いました。

春秋戦国時代

重耳

重耳(晋の文公 )

重耳は春秋時代の晋の君主で文公とも呼ばれ、諸国を放浪したのち晋を春秋の五覇に押し上げました。
孫武

孫武

孫武とは、諸子百家の兵家の代表的人物である孫子のことで、『孫子の兵法』の著者です。
伍子胥

伍子胥

伍子胥は春秋時代に呉王・闔閭の側近として活躍しました。闔閭亡き後はその子・夫差に仕えますが、諫言を嫌った夫差に死を命じられて悲憤の生涯を終えました。
夫差

夫差

夫差は春秋時代末期の呉最後の王です。隣国・越王の勾践との数十年にわたる攻防で有名です。
勾践

勾践

勾践は春秋時代末期の越の王で、呉王・夫差との戦いや、そのために互いに復讐心を燃やした「臥薪嘗胆」のことわざでもよく知られています。
范蠡

范蠡

范蠡は越の勾践の軍師でたびたび献策をして、呉との戦いでは越を勝利に導きました。
管仲

管仲

管仲は「管鮑の交わり」と呼ばれる鮑叔との友情で有名な春秋時代の斉の宰相です。
昭襄王

昭襄王

昭襄王は戦国末期の秦王で、のちの始皇帝の曽祖父に当たります。昭襄王の時代に白起将軍が活躍し、秦は版図を広げました。
張儀

張儀

張儀は、中国戦国時代に弁論の力で諸国に自分のアイディアを売り込んだ縦横家の代表的人物です。
商鞅

商鞅

商鞅は戦国時代の秦の孝公に仕えた政治家で、法家思想に基づいて変法と呼ばれる改革を行い、秦を強力な中央集権国家にしていきました。
白起

白起

白起は、秦の昭襄王に仕えた大将軍です。伊闕の戦い、華陽の戦い、長平の戦いなど幾多の戦場で勝利をものにした名将でした。
長平の戦い

長平の戦い

長平の戦いとは、戦国末期に戦国七雄の秦と趙が戦ったいくさの名前です。秦の名将白起が趙を撃ち破りました。
始皇帝

秦の始皇帝

始皇帝とは、中国全土を初めて統一した秦王朝の創始者です。もともと古い歴史を持つ西方の秦王国の王でした。
呂不韋

呂不韋

呂不韋とは、元商売人で後に秦の丞相になった人物のことです。秦で権勢を誇りますが始皇帝に実権を奪い返されます。
王翦

王翦

王翦は戦国末期の秦の名将です。趙、燕、楚などを打ち滅ぼしました。
蒙恬

蒙恬

蒙恬は戦国末期の武将で、秦の統一事業に貢献するとともに、匈奴対策に大きな力を発揮しました。北の守りのために長城建設にも貢献しました。
李信

李信

李信は戦国末期、燕や楚との戦いで活躍した若い武将です。楚の戦いではその若さ、未熟さが裏目に出て敗北し、秦王、後の始皇帝の怒りを招きます。漢代の李広将軍やその孫の李陵は、李信の子孫です。
李斯

李斯

李斯は楚出身で、荀子に学んだ後、秦の役人になりました。秦王が始皇帝となるとその丞相として、秦王朝の基本政策を推し進めました。
趙高

趙高

趙高は秦の始皇帝の側近で宦官です。始皇帝亡きあと、策謀をめぐらせ、始皇帝長男の扶蘇や蒙恬将軍を死に追いやって権勢をふるいました。
扶蘇

扶蘇

扶蘇は秦の始皇帝の長男で、始皇帝死後、宦官の趙高に図られて命を奪われました。人々の間に人望高く、陳勝呉広の乱では旗印にその名が使われています
胡亥

胡亥

胡亥とは始皇帝の末子で、始皇帝が急死したのち、宦官・趙高の策謀により二世皇帝となりました。
焚書坑儒

焚書坑儒

焚書坑儒は秦の始皇帝の悪行の一つとして有名です。焚書は秦王朝の制度をめぐる議論に端を発し、丞相・李斯の提言で行われました。
徐福

徐福

徐福は始皇帝が全国巡幸で斉に立ち寄った際、山東の琅琊で出会った方士で、蓬莱山に行って不老不死の薬を探してくると始皇帝に申し出ました。
阿房宮

阿房宮

阿房宮は秦の始皇帝が建てた巨大な宮殿で、天の星の配置を模して造られました。
戦国四君

戦国四君

戦国四君とは、戦国末期に斉・趙・魏・楚出身の身分の高い4人を指します。いずれもおおぜいの食客を抱え、国をまたいで活躍しました。
孟嘗君

孟嘗君

孟嘗君とは、「戦国四君」の一人で、戦国時代の有名な政治家です。斉や魏の宰相として活躍しました。
平原君

平原君

平原君は、戦国四君と呼ばれる、戦国末期に活躍した政治家の一人です。趙の王族出身で、趙の宰相を務めました。
信陵君

信陵君

信陵君は戦国四君の一人で、魏王の一族です。秦に包囲された趙の平原君の救援要請を受け、独断で兵を出して秦軍を撃退しました。
春申君

春申君

春申君は戦国時代に楚の政治家として活躍し、楚を大国に押し上げる上で貢献しました。
鬼谷子

鬼谷子

鬼谷子は蘇秦・張儀・孫臏・龐涓といった戦国時代の名将たちの師と言われる人物であり、書籍『鬼谷子』の著者でもあります。
孫臏

孫臏

孫臏とは『孫子の兵法』で有名な孫子の子孫で、不自由な体で斉の軍師として活躍しました。
龐涓

龐涓

龐涓は魏の将軍で、孫臏の才能を恐れ罠にはめて足を切り落としますが、結局、斉に仕えた孫臏が勝利します。
楽毅

楽毅

楽毅とは戦国時代に燕に仕えた将軍です。燕の内乱に乗じて侵攻してきた斉に対し、燕の昭王はこれに復讐しようと楽毅を将軍にします。
荊軻

荊軻

荊軻とは秦の始皇帝がまだ秦王であった時代に、燕王の依頼を受けて秦王暗殺を企てた人物です。
蘇秦

蘇秦

蘇秦は、張儀とともに諸子百家の縦横家を代表する人物です。蘇秦が唱えた合従策により、戦国七雄のうち6国が連合して秦に対抗するようになりました。
藺相如

藺相如

藺相如は趙の人で、趙の役人の食客という身分でした。「完璧」「怒髪天を衝く」「刎頸の交わり」など今も使われている成語は、彼の活躍が元になっています。
廉頗

廉頗

廉頗は戦国末期の趙の名将でしたが、「刎頸の交わり」の故事で知られる藺相如とともに趙を支え続けました。
李牧

李牧

李牧は戦国末期の趙の名将です。最初は匈奴から国土を守る北方防衛のための将軍で、奇策を講じて匈奴撃退に成功します。後には秦の侵攻から趙を守りました。
項燕

項燕

項燕は戦国七雄の大国・楚の名将です。項羽とともに反秦の旗揚げをした項梁は項燕の子、項羽は孫に当たります。

楚漢戦争時代

陳勝・呉広の乱

陳勝・呉広の乱

陳勝・呉広の乱とは秦末に起きた打倒秦王朝の反乱のことです。陳勝、呉広ともに自分の耕作地を持たない雇われ農夫でした。
項羽

項羽

項羽は、秦王朝末期に秦を倒そうと立ち上がった旧楚出身の武将です。秦朝を滅ぼした後は共に戦ってきた劉邦とたもとを分かち、覇を競って戦いました。
劉邦

劉邦

劉邦は秦の始皇帝の後、中国を統一して漢王朝を建てた人物で、高祖・劉邦と呼ばれます。農民出身で、遊侠無頼の徒でした。
張良

張良

張良は韓の名家の出身ですが、韓が秦に滅ぼされた後、始皇帝暗殺を企てます。劉邦の軍事参謀として対秦戦争や楚漢戦争で活躍しました。
韓信

韓信

韓信は前漢の高祖・劉邦配下の将軍で、張良・蕭何とともに劉邦の天下取りに貢献しました。
蕭何

蕭何

蕭何は、前漢の高祖・劉邦がまだ故郷の沛で無頼漢のように生きていた頃からの知り合いで、やがて劉邦とともに秦打倒のために立ち上がりました。
呂后

呂后

呂后は漢王朝を興した高祖・劉邦の后で、希代の悪女として有名です。呂后は漢王朝が成立すると、かつての功臣たちの命を次々に奪いました。
陳平

陳平

陳平は陳勝呉広の反乱の報を受けて、魏王や項羽の元で決起し、その後劉邦軍に身を投じ、その信頼を受けるとさまざまな智謀で劉邦を助けました。
樊噲

樊噲

樊噲は沛の人で、後に皇帝になる劉邦がまだ無頼人にすぎなかった頃からのつきあいでした。

漢時代

文帝

文帝

文帝は前漢の第5代皇帝で、専横を極めた呂后一族が滅びた後、地方の代王から皇帝に抜擢されました。
武帝

武帝

武帝は前漢王朝の第7代皇帝です。前漢の黄金期を作った皇帝で、この時代には衛青や霍去病、張騫、司馬遷など、多くの人材を輩出しました。
衛青

衛青

衛青は姉が武帝の皇后となり、武帝のもとで匈奴相手に活躍した将軍です。
霍去病

霍去病

霍去病は衛青と共に武帝のもとで匈奴相手に活躍した将軍です。早世した霍去病を悼み、武帝は自らの墓の隣に霍去病の墓を作らせました。
司馬遷

司馬遷

司馬遷は前漢の武帝の時代に生きた歴史家で『史記』の著者です。『史記』は優れた史書として後世に大きな影響を与えました。
李陵

李陵

李陵とは前漢の武帝に仕えた武将です。英雄を出してきた名門の出で、李陵もまた対匈奴戦に出陣しましたが敗北、匈奴の捕虜となりました。
東方朔

東方朔

東方朔は漢の第7代皇帝・武帝に仕えた宮廷芸人ともいうべき存在で、その突飛な行動や面白い話で武帝を楽しませました。
司馬相如

司馬相如

司馬昭如は漢代を代表する文学者で「賦」という表現形式を完成させました。出世する前の妻・卓文君とのラブストーリーでも有名です。
董仲舒

董仲舒

科挙の元となる文官登用制度を整備した前漢の儒学者です。
劉向

劉向

劉向は前漢時代に数万にのぼる書物に目を通し研究したといわれ「目録学の祖」と呼ばれています。『戦国策』『列女伝』の編纂者でもあります。
匈奴

匈奴

匈奴とは古代中国史にたびたび登場する騎馬遊牧民族です。冒頓単于という王の時代に全盛期を迎えました。
冒頓単于

冒頓単于

冒頓単于とは、中国の北、モンゴル高原にいた騎馬遊牧民族・匈奴の王です。秦末の頃、父親をクーデターで倒し政権を奪い、匈奴の黄金時代を築きました。
月氏・大月氏

月氏・大月氏

「月氏」はは紀元前に中国の北方に存在した遊牧騎馬民族の国です。匈奴の襲撃を受け、西に移動すると「大月氏」と名のりました。
張騫

張騫

張騫とは武帝に仕えた外交官であり将軍でもあります。武帝の命で当時漢にとって未知の世界であった西域に出かけ、13年の歳月をかけて無事長安に戻ってきました。
西域

西域

西域とは、中国大陸の西の地域の総称で、どこまでを西域と呼ぶのかについては時代によって変わります。武帝に仕えた張騫の活躍で、漢は西域の国々と交流、交易を始めました。
シルクロード

シルクロード

シルクロードとは一般に中央アジアの砂漠地帯にある中国と中東、ヨーロッパを結ぶ道のことで、紀元前からこの道を通って、またここに存在したオアシス国家を通して東と西の交易や文化の交流が行われました。
楼蘭

楼蘭

「楼蘭」は紀元前から紀元5世紀くらいまで存在したシルクロード沿いのオアシス国家で、ロプノールという塩湖のほとりにありました。
敦煌

敦煌

敦煌とは中国の西、甘粛省にある都市で、かつてはシルクロードの要衝の地でした。西からの旅人にとっては中国への入り口であり、中国からの旅人にとっては西域への出発点です。
王莽

王莽

王莽は外戚として前漢王朝の権力を簒奪し新を建てますが、時代錯誤的な政策で社会を混乱させ、新は建国15年で滅びました。
光武帝

光武帝

光武帝は、前漢を簒奪した王莽政権を打倒し、後漢を建てた初代皇帝です。本名を劉秀といい、前漢の景帝の末裔です。

三国時代

竹林の七賢

竹林の七賢

竹林の七賢とは、魏の末期から晋にかけて存在した7人からなる文人のグループのことです。彼らは隠者的な思想や行動、特に道家、老子や荘子、神仙思想などを理想として生きました。

明時代

鄭和

鄭和

鄭和は15世紀の初め、明の時代に当時世界最大の船隊を率いて、東南アジアからインド洋、ペルシア湾を経てアフリカの東海岸まで、7度にわたって大航海をした武将です。

美女・才女

中国の四大美人

中国の四大美人

「西施」「王昭君」「貂蝉」「楊貴妃」の四人と、中国における美人意識の変遷を紹介します。
西施

西施

西施は春秋時代の人で、越の策略により呉王に嫁ぎます。後に四大美人のうちの一人に数えられるようになります。
王昭君

王昭君

王昭君は四大美人のうちの1人で、前漢の人物です。漢の姫と偽り匈奴へと嫁いでいきます。
貂蝉

貂蝉

貂蝉は四大美人のうちの1人ですが、実在の人物ではなく、小説『三国演義』の登場人物です。
楊貴妃

楊貴妃

楊貴妃は唐の時代の人で、玄宗皇帝の妻となります。楊家の人間で政治を牛耳ったため、のちに責任を追及され殺されることになります。
虞美人

虞美人

虞美人(虞姫)は秦末期の人物で、項羽の妻です。四面楚歌の項羽との別れの場面、虞美人草の名前の由来などを紹介します。
蔡文姫(蔡琰)

蔡文姫(蔡琰)

蔡文姫(蔡琰)後漢の歴史学者蔡邕の娘です。匈奴の妻にされますが、曹操によって買い戻され、戦火に焼けた父の書物を書き直します。蔡文姫が詠んだとされる『胡笳十八拍』について18枚の絵とともに紹介します。
卓文君

卓文君

卓文君は司馬相如という武帝に仕えた宮廷文人の妻です。まだ世に出る前の相如とのラブストーリーで有名ですが、彼女自身文才があり、古代の四大才女の1人といわれています。

文化

漢字の歴史

漢字の歴史

漢字の成り立ちや歴史、移り変わりなどを紹介します。
甲骨文字(甲骨文)

甲骨文字(甲骨文)

甲骨文字は、中国の殷の時代(B.C.1600~B.C.1000)に亀の甲羅や動物の骨に刻まれた文字です。
金文

金文

金文とは青銅器に鋳込まれた文字であり、かつて銅のことを金と呼んでいたため、金文と呼ばれています。
字(あざな)

字(あざな)

中国の歴史上の人物名を見ると、よく「字」(あざな)という、「姓」「名」以外の名前がでてきます。その「字」について紹介します。
紀伝体と編年体

紀伝体と編年体

紀伝体と編年体とは、中国史における歴史書をその記述スタイルの違いで分けた名称のことです。中国を代表する歴史書『史記』は紀伝体で書かれています。
科挙

科挙

科挙とはかつて中国で行われていた官吏登用試験で、6世紀から始まりました。時代ごとの特徴や合格後の待遇などについて紹介します。
華僑

華僑

華僑の歴史は古く、紀元前の秦の時代から移民が行われていました。
蓬莱

蓬莱

蓬莱とは仙山の名前です。蓬莱山は渤海湾からはるか東にある仙人の島で、ここに生える果樹の実を食べると不老不死になるといわれています。
邑・城郭都市

邑・城郭都市

「邑」とは古代中国における「集落」のことです。「城郭都市」は古代中国において、内と外、二重の壁でぐるりと取り囲んだ都市のことです。
食客

食客

食客とは、主に古代中国において、有力者が才能ある者を招いて寄食させ、いざという時には自分のために働いてもらった人のことです。
客家

客家

客家は中国の主要民族である漢民族の1グループですが、古代の漢民族が戦乱を避けて南下したことにその起源があるといわれています。
道士

道士

道士とは、道教における僧侶的存在のことです。秦の始皇帝や前漢の武帝は不老不死の追求に没頭し、いろいろな道士が関わりました。
玉璽

玉璽

玉璽とは皇帝が使う印章のことで、多くの場合、始皇帝の時代に「和氏の璧」より作られた「伝国璽」を意味します。

技術・科学

紙の発明と歴史

紙の発明と歴史

紙は蔡倫によって1世紀ごろに発明されたとされていましたが、近年の発掘調査の結果紀元前200年ごろにはすでに紙が存在していたことがわかっています。
印刷の発明と歴史

印刷の発明と歴史

グーテンベルクよりも数百年前に中国では活版印刷が行われていました。それ以前の木版印刷の発明などと合わせて紹介します。
火薬の発明と歴史

火薬の発明と歴史

古代中国では錬丹術と呼ばれる不老長寿の薬の研究が盛んでした。練炭術の様々な研究を行ううちに偶然火薬が発明されます。
羅針盤の発明と歴史

羅針盤の発明と歴史

羅針盤とは登山や船に必須のコンパス、方位磁石のことです。この羅針盤の元となったのが中国で紀元前からある「指南」です。
竹簡

竹簡

竹簡とは紙が発明される以前にあった竹から作られた筆記用具です。竹簡の作り方・使われ方・発掘などについて紹介します。

役職

丞相

丞相

「丞相」は、中国古代における役人のトップ、古代の「首相」を意味します。三国志の曹操や諸葛亮などが丞相でした。
司徒

司徒

「司徒」は古代中国の官職名で、田土(たつち)・財貨・教育などの管理を担当しました。
司空

司空

「司空」は古代中国の官職名で、土木建設や水利建設を担当しました。
司馬

司馬

「司馬」は古代中国の官職名で、軍馬と軍事物資の管理を担当しました。