淮南子と劉安【歴史と構成】

淮南子

淮南子えなんじ』とは前漢武帝の時代に、淮南の王であり文学者でもあった劉安が、諸子百家の学者を集めて編集させた百科全書的な書物のことです。

※上の写真は淮南にある黄山です。

淮南子とは

淮南子(えなんじ・わいなんし)とは、前漢武帝の時代(B.C.141~B.C.87)に淮南王・劉安(B.C.179~B.C.122)が、全国から集めた諸子百家の学者たちに編集させた中国古代思想の百科全書的な書物のことです。『淮南子』は呉音では「えなんじ」、漢音では「わいなんし」と読みます。「淮南鴻烈」(わいなん こうれつ)という呼び方もあります。

淮南の地図
淮南の地図。
年表
年表。淮南子は前漢時代に書かれました。

劉安とは

淮南子』を編纂した劉安とはどんな人物か以下に紹介します。

劉邦が前漢を建国した際、淮河わいが(黄河と長江の間を流れる中国第3の大河。かつては淮水と呼ばれていました。)の南…淮南の地に淮南国を置き、黥布(げいふ)を初代国王としました。後に黥布が反乱を起こしたために、劉邦は7番目の息子・劉長(りゅう ちょう)を第2代国王に据えますが、この劉長の息子、すなわち劉邦の孫が劉安です。劉長、劉安ともに時の皇帝への謀反のかどで自ら命を絶ち、淮南国も廃されてしまいました。

劉安は文化を愛した王として有名で、『淮南子』の編纂のほか賦や詩を書き、天文に関する著作もあります。

『淮南子』は武帝即位の翌年(B.C.140)に完成しましたが、編纂の目的は、諸子百家のさまざまな思想をまとめて天下統一の理論を構築し、即位したばかりの若い帝王(当時16歳)に影響を与えようとしたものだといわれています。

『淮南子』の構成

淮南子』の構成は『漢書』芸文志によると「内書21編・外書33編からなる」とありますが、現存しているのはそのうち内書21編のみです。以下にそのおおよその内容を紹介します。

巻第一 原道(げんどう)

「道」(みち)とはどういうものかについて道家的な観点で書かれています。

巻第二 俶真(しゅくしん)

宇宙はどう生成されたかなどについて道家的な観点から考察しています。

巻第三 天文(てんもん)

天地はどう創造されたかなどの考察。

巻第四 地形(ちけい)

大地全体の姿などについての考察。

巻第五 時則(じそく)

一月の政令についてなど。

巻第六 覧冥(らんめい)

政治についてなど。

巻第七 精神(せいしん)

人の精神の由来など。

巻第八 本経(ほんけい)

理想郷についてなど。

巻第九 主術(しゅじゅつ)

君主の統治について法家的な観点で述べています。

巻第十 繆称(びゅうしょう)

誠実さなどについて儒家的な観点で書かれています。

巻第十一 斉俗(せいぞく)

道徳と礼楽についてなど。

巻第十二 道応(どうおう)

大人と小人についてなど。

巻第十三 氾論(はんろん)

法律や制度についてなど。

巻第十四 詮言(せんげん)

知恵と能力についてなど。

巻第十五 兵略(へいりゃく)

軍備はなぜ必要かなどについて兵家的な観点で書かれています。

巻第十六 説山(せつざん)

魄(はく)と魂(こん)。

巻第十七 説林(せつりん)

いろいろな説話。

巻第十八 人間(じんかん)

すべては人の心による。

巻第十九 脩務(しゅうむ)

無為と有為について墨家的な観点で書かれています。

巻第二十 泰族(たいそう)

聖人と社会などについて儒家的な観点で書かれています。

巻第二十一 要略(ようりゃく)

『淮南子』を著した目的が書かれています。

『淮南子』に出てくる有名な話…塞翁が馬

淮南子』に出てくる有名な話に「人生万事塞翁が馬」があります。巻十八「人間」(じんかん)に出てくる話です。以下原文・書き下し文・現代語訳で紹介しましょう。

(原文)

夫禍福之転而相生、其変難見也。近塞上之人、有善術者。馬無故亡而入胡。人皆弔之。其父曰、此何遽不為福乎。居数月、其馬将胡駿馬而帰。人皆賀之。其父曰、此何遽不能為禍乎。 家富良馬。其子好騎、堕而折其髀。人皆弔之。其父曰、此何遽不為福乎。居一年、胡人大入塞。丁壮者引弦而戦、近塞之人、死者十九。此独以跛之故、父子相保。故福之為禍、禍之為福、化不可極、深不可測也。

(書き下し文)

夫(そ)れ禍福の転じて相生ずるは其の変見え難きなり。塞上に近きの人に、術を善くする者有り。馬故(ゆえ)無くして亡(に)げて胡に入る。人皆之を弔す。其の父曰(いわ)く、此れ何遽(なん)ぞ福と為らざらんや、と。居(お)ること数月、其の馬胡の駿馬を将いて帰る。人皆之を賀す。其の父曰く、此れ何遽ぞ禍と為る能(あた)わざらんや。

家良馬に富む。其の子騎を好み、堕(お)ちて其の髀(ひ)を折る。人皆之を弔す。其の父曰く、此れ何遽ぞ福と為らざらんや、と。居ること一年、胡人(こひと)大いに塞に入る。丁壮の者弦(げん)を引きて戦い、塞に近きの人、死する者十に九なり。此れ独り跛(は)の故を以て、父子相保てり。

故に福の禍と為り、禍の福と為るは、化極むべからず、深測るべからざるなり。

(現代語訳)

そもそも人生の幸不幸がどんなふうにもたらされるのかは予想がつかないものだ。

辺境の要塞近くで暮らしている人の中に、占いができる者がいた。

飼っていた馬が理由もなく逃げて、異邦人が暮らす胡の地に行ってしまった。

人々はこの老人を見舞って慰めた。

老人はそれに対して「これがどうして福でないと言えるだろうか。きっと福に転じるに違いない」と言った。

それから数か月後に、逃げた馬が胡の駿馬(しゅんめ)を伴って帰ってきた。

人々はみなこれを祝福した。

すると老人は「どうしてこれが禍(わざわい)にならないと言えるだろうか。きっと禍となるに違いない」と言った。

老人の家では良馬が増えた。

老人の息子は馬に乗ることが好きだったが、落馬して太腿の骨を折ってしまった。

人々はこの老人を見舞って慰めた。

すると老人は「これがどうして福にならないと言えるだろうか。きっと福となるに違いない」と言った。

それから1年後老人の住む地に胡人が大勢攻め込んできた。

働き盛りの男たちは弓を引いて戦ったが、要塞の近くで戦死した者は10人中9人もいた。

しかし老人の息子は足が不自由だったために父子とも無事だった。

こうして福は禍となり、禍は福となる。この変化を見極めることはできず、その深さを測ることも難しい。

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