蓬莱の伝説【不老不死の果実の実があるといわれた仙山】

蓬莱

蓬莱(ほうらい)とは仙山の名前です。

蓬莱山は渤海湾からはるか東にある仙人の島で、ここに生える果樹の実を食べると不老不死になるといわれています。

あらゆる権力を手に入れた始皇帝は不死の命を求めて、徐福に数千人の童男童女をつけ大船団を組ませて蓬莱山発見の旅に出向かせました。

けれども彼らが戻ってくることはありませんでした。

徐福たちはなんと日本にたどり着き、そのまま中国に戻ることはなかったと中国では伝えられています。

蓬莱とは

蓬莱(ほうらい)とは、中国で渤海(ぼっかい)の東に存在するといわれる仙島のことです。

渤海とは遼東半島と山東半島の間にある海域のことです。

渤海の地図
渤海の地図。

このあたりは古来日本とは関わりが深く、初期の遣唐使は、博多からこの渤海経由で山東半島に上陸し、そこから陸路長安に向かいました。

その後新羅との関係が悪化してこのコースをとることが難しくなり、そこで五島列島から東シナ海を渡って長江に向かい、揚州からは運河を使って長安に向かうようになりました。

遼東半島には旅順、大連など有名な都市がありますが、ここは日清戦争勝利後の下関条約で当時の清が台湾とともに日本に割譲した場所です。その後三国干渉によって遼東半島は清に返還されました。

山東半島にある有名な場所には青島があります。また煙台市には蓬莱区という場所があり、ここは蜃気楼を見ることのできる名所として知られています。

中国最古の地理書といわれる『山海経』(せんがいきょう)は妖怪とも動物ともつかない不思議なイラスト満載の本ですが、この中の「海内北経」に「蓬莱山は海中にあり、大人の市は海中にあり」と書かれています。ここでいう「大人の市」とは「蜃気楼」のことだと解釈されています。

蓬莱神話

この「蓬莱」については以下のような神話があります。

渤海湾の東、はるかかなたに深い深い谷があった。この谷は「帰虚」といい、この世のすべての川と天の川の水はすべてこの谷に注いだ。

帰虚の中には山が5つあった。この5つの山だけで3万平方里の広さがあった。それぞれの山は隣り合っていたが、山と山との距離は7万里あった。

山の上に黄金で作った宮殿があった。ここには神仙が住んでおり、行き交う鳥や獣はみな純白だった。到るところに真珠や美玉があり、ここに生える樹木に花が咲き実を結ぶと、その実は不老不死の実で、食べた者は永遠に若く、死ぬことはなかった。

仙人たちはみなここで幸せに暮らし、日がな一日雲に乗り霧を御し、山々を往来していた。その数数百、数千でその様まことににぎやかだった。

ところがこの山々は海の中にあって根っこがなかったので、ひとたび海が荒れ狂うとゆらゆらと漂流しだす。そうなると仙人たちが昼間どこかに出かけ、戻ってきても住処がない。これに困った神仙たちは天帝に訴えることにした。

天帝がおっしゃるには、山が移動するのは大した問題ではないが、波風が大きすぎて北極まで流されると大海原に吸い込まれてしまう。そうなるとお前たちの住む場所がなくなってしまい、これは確かに困った問題だ。

そこで天帝は霊亀を司る海神に、すぐに大亀15匹を集めて3班に分け、それぞれ6万年ずつ働かせよと命じた。

こうして3匹の亀がそれぞれ山1つを受け持ち、交代で山を支えることになった。

これで山の漂流問題は一見落着したが、山々から数千里離れたところに「龍伯国」という国があり、ここに巨人が住んでいた。

巨人国では占いの道具が不足しており、そこで5つの山のうち2つの山の海底にいる6匹の亀を引っ張り出して、自分の国に連れていってしまった。亀の甲羅で占うためである。

亀の支えがなくなった2山は北極まで流れていって大海に沈んだ。

2山が消えて「蓬莱」「方丈」「瀛洲」の3山が残り、世に有名な仙境としておおぜいの人々をひきつけるようになった。

始皇帝と蓬莱山

中国を統一して大帝国を建てた秦の始皇帝は、不老不死を願い続けた帝王としても有名です。彼は50歳で亡くなるのですが、寿命というには若いその死は、不老不死の薬と称された怪しげなものを飲み続けたからではないかともいわれています。その中には水銀もあったようです。

B.C.219全国巡幸の途中、神仙の術が盛んな山東省琅琊(ろうや)を訪れた際、始皇帝は斉の方士(神仙をめざした修行者)である徐福から「この海の東には仙人が住むという3神山(蓬莱、方丈、瀛洲)があります。船に童男童女を乗せ、この場所を探しにいかせてはどうでしょうか」と進言されます。

そこで始皇帝は徐福に、男女数千人を乗せた大船団を指揮させ、蓬莱山から不老不死の薬を持ち帰らせようとしました。

この企ては失敗するのですが、以降中国では「徐福一行は日本にたどり着いた」という話がまことしやかに伝えられています。

日本では徐福の話を知っている人はそう多くはないでしょうが、実は徐福伝説は日本各地に残っており、徐福のお墓まであります。

もしかしたら徐福は蓬莱山を探して、本当に日本までやって来たのかもしれません。

なぜ蓬莱伝説は生まれたのか

蓬莱伝説はなぜ生まれたのか。

蓬莱区
蓬莱区。

上述したように、渤海湾に面した山東半島に蓬莱区という蜃気楼がよく見える場所があり、時にここから海のかなたにいくつもの山が見えたのでしょうか。

不老不死の仙人にあこがれた古代人たちの目には、軽々と雲に乗って山から山を行き交う仙人の姿も見えたのかもしれません。