舜(舜帝)【古代中国の神話上の皇帝・実在の可能性も】

舜

(しゅん)とは三皇五帝のひとりで、古代中国における伝説の中の聖帝です。同じく三皇五帝の一人、から権力を禅譲されて皇帝の地位につきました。堯・舜は儒家によって作られた伝説の帝王だと思われていましたが、近年の考古学上の発見により、実在の可能性も見えてきています。

舜とは

舜

舜(しゅん)とは三皇五帝のうち五帝の一人。堯(ぎょう)から帝位を禅譲され、堯の時代とともに優れた治世を行い「堯舜の治」と称えられました。堯舜ともにのちの儒家の創作ではないかとも言われていますが、近年中国では各地で古代の発掘が進み、2015年に中国社会科学院が「堯の時代は実在した」と発表しています。

舜の姓は姚(よう)、号は有虞氏(ゆうぐし)。五帝の一人・顓頊(せんぎょく)の7代目子孫とされています。

舜の陵墓
舜の陵墓。

舜の生涯

舜は生母を早くなくし、父親と継母、その連れ子であるきょうだいと暮らしていましたが、父親は連れ子に後を継がせたくて何度も舜を殺そうとしました。それでも舜は父に孝を尽くし、その噂がやがて堯の耳にも入りました。

堯は舜を政治に参加させるとともに、その娘二人を舜に嫁がせました。

舜はその際、自分を嫌う父親の許しを得ませんでした。

この件について『孟子』では弟子の万象(ばんしょう)が、聖人の舜が父の許しを得ずに妻を娶ったことについてどう解釈したらいいでしょうかと孟子に聞いています。

すると孟子は、親の許可を待っていては舜は結婚できなかった、人として結婚することは大切な生き方なのでそちらを優先したのだ、と答えたといいます。

堯の娘二人は舜に嫁した後よく舜に仕え、堯は舜の人格の並々ならぬことを知ります。

また舜の周りには彼を慕う人が集まり、その数わずか三年で町が作れるほどだったといいます。

それなのに舜の家族は彼の命を狙い続けました。たとえば井戸を掃除するよう舜に言いつけた後、家族が上から土を放りこんで生き埋めにしたこともあります。舜は横穴を掘ってそこに入り込み危うく難を逃れましたが、そういた目に遭っても舜は父への孝行をやめませんでした。

こうした人柄にほれ込んだ堯は彼を摂政(総理大臣のような職務)に抜擢します。舜は堯の摂政を28年間務めたのですがこの間天下はよく治まり、やがて堯から帝位を禅譲されます。禅譲とは「帝王がその位を子に世襲させず、徳のある者に譲ること」です。

堯が亡くなって三年の喪が終わった時、舜は堯の子・丹朱に遠慮して黄河の南に隠棲します。ところが諸侯たちや訴えごとを持つ民衆は、丹朱のところには行かず舜の元を訪れます。

孟子はこれについて「舜が帝位に就くのは天の意志だ」と言っています。

こうなってから舜はやっと都に戻り帝位に就きました。

その後舜は黄河の治水のために禹(う)を採用します。禹の父・鯀(こん)も堯のもとで治水工事を行ったのですが失敗。その仕事を受け継いだ禹はこれにみごと成功します。

舜は帝となって後南への巡幸の途中で亡くなりました。二人の妻が急いで駆けつけますが、この妻たちもまた湘水(しょうすい…湘江 洞庭湖に注ぐ長江支流)で身を投げたか船が転覆したのかで亡くなってしまいます。姉の方は湘君、妹の方は湘夫人と呼ばれ、今では水神となって祭られています。この姉妹の名は屈原の『九歌』に登場し、また李白の詩『洞庭湖に遊ぶ』にも出てきます。

堯と舜がセットで語られる理由

堯・舜は常にペアで語られます。なぜペアなのか。堯・舜が聖王になった一番の理由が「禅譲」にあるからだという説があります。禅譲するためには譲る帝王と譲られる帝王が必要ですから。この説は堯・舜がおそらくは儒家による創作ではないかという立場に立っています。権力を私物にするべきではないという儒家の思いが「禅譲」をする聖王たちという物語を生んだのではないか、と。

堯・舜は伝説の聖王か

現代ではほとんどの人が堯・舜は伝説の中の帝王だと考えています。

ところが近年中国各地で紀元前数千年のものという遺跡が続々と発掘されており、こうした考古学の成果から、の前のも実在すると中国では考えられるようになっています。夏、つまり舜が採用した禹が作り上げた王朝が実在するなら堯・舜も実在するのではないか、となるわけで、事実人民日報日本語版2015年6月26日版に以下のようなニュースが登場しました。

…中国社会科学院はこのほど北京国務院プレスセンターで、山西省臨汾市襄汾県・陶寺遺跡の発掘成果に関する記者会見を開き、発掘調査の重大な収穫を発表した。中国社会科学院考古研究所の王巍所長は、「陶寺遺跡は『堯の都』であったと推定される。堯・舜時代はもはや伝説ではなく、確実な史実によって証明された」と述べた…

中国社会科学院という権威ある機構のトップが「堯・舜時代は確実な史実によって証明された」とまで言うわけですからかなり重みがあります。

日本でも夏王朝まではかなり史実に近いと見ている学者が多いのですが、それでも殷王朝のように遺跡から文字情報が出てこないことから「夏王朝は実在するという確たる証拠はまだない、但し実在しないという確たる証拠もない」という立場の学者もいます。「堯・舜は実在した」は日本ではニュースになっていませんので、「確たる証拠」待ちというところでしょうか。

日光東照宮唐門の舜像

日光東照宮の陽明門をくぐるとその先に純白の唐門があります。ここに施されたたくさんの彫刻の中に舜帝の像があり、その柔和な表情の舜像は東照宮を造った徳川家光の祖父・徳川家康を似せたといわれています。聖人である舜帝の姿を家康に重ねたのかもしれません。

日光東照宮唐門の舜像
日光東照宮唐門の舜像(中央)。