羅針盤の発明と歴史~古代中国の磁石から~

羅針盤の発明と歴史

羅針盤(コンパス・方位磁石)が古代中国で発明されるまでには磁石や指南など様々な技術の変遷がありました。それらの技術と発明の歴史について紹介します。

羅針盤とは

羅針盤(コンパス・方位磁石ともいう)とは磁石が南北を示すことを利用して船などの進路を測る道具のことです。

少し高い山に登る時は必携です。その場合普通「羅針盤」とは言わず「コンパス」と言いますね。道に迷った時にコンパスを使えば東西南北の方角がわかります。コンパスは丸い形をしていて東西南北の文字が書いてあり、真ん中に針があります。方角を知りたい時はコンパスを平らな場所に置きます。すると針がくるくる回って止まります。針の先に色が着いている方が北です。そこで文字盤に書かれた「北」という文字を針先まで動かすと、東西南北が一目でわかるのです。山で道に迷うと命にかかわる場合がありますが、コンパスはこの危険を減らしてくれます。このすぐれものを発明したのは昔の中国人です。

コンパス
現代のコンパス。

羅針盤はいつ発明されたか

11世紀に出版された沈括しんかつ(北宋時代の政治家・学者)の随筆『夢渓むけい筆談ひつだん』(科学技術に関する話題が多い)に「磁針の中心に蚕の繭の新しい繊維を1本ロウで固定し、風のない場所に吊り下げると、それは常に南を指す。針の中には北を指すものもある」と書かれています。ヨーロッパで初めて羅針盤について書かれたのは12世紀の終わりに出版されたアレクサンダー・ネッカムの『物の本性について』という本で、「曇りの日や夜船の方位を知りたい時に磁石と針を触れさせると、針は円を描いてぐるぐる回り、動きが止まると先が北を示している」とあります。この本が書いている羅針盤は船乗りが中国人と交流する中でヨーロッパに伝わったものと考えられています。

羅針盤はかなり古くから中国に存在していましたが、航海に使われるようになったのは9世紀から11世紀の間と言われます。では中国ではいつごろからこうした方位磁石が使われていたのでしょうか。

古代中国の方角へのこだわり

中国では古くから「正しい方角」というものがとても重視されていました。地位の高い人は「坐北朝南」(北側に座って顔を南に向ける)ことになっていました。この方角を測るものを「圭表」と言いました。「圭表」とは地面に棒を垂直に立て、影の長さや位置を測って、東西南北の方位や時間を知るためのものです。

西安で発掘された約6000年前の新石器時代の遺跡では住居の出口がみな南向きになっていました。この頃からすでに古代中国人には方位知識があったと考えられています。

磁石の発見

古代中国では磁石が鉄を吸いつける現象はすでに知られていました。『管子』『山海経』『呂氏春秋』などにそうした記述がみられます。それらの中で「磁」には「慈」の字があてられていました。鉄が石に引き寄せられる様に親の慈愛を感じていたようです。

紀元前227年、後に始皇帝となる秦王は燕国の太子・丹が放った刺客・荊軻けいかに危うく殺されそうになります。当時の凶器と言えば刃物…鉄です。天下を統一した後阿房宮という大宮殿を立てさせた始皇帝はその門に工夫をほどこします。門に磁石をはめこんで、中に入り込む者が金属を隠し持っていないかをチェックしたのです。刃物を持っていると磁石に吸い付けられ捕まります。これを「磁石門」と言いますが、空港のセキュリティチェックとそっくりですね。人をくっつけるほど大きな磁石があったんでしょうか。磁石のカラクリを知らない人はさぞ驚いたことでしょう。

「司南」…羅針盤のひな型

司南
司南。

中国の羅針盤というと不思議な写真が出てきます。四角い枠の中には円があり、その真ん中に一方の先端が細いひしゃくのようなものが置いてある…。

このひしゃくのようなものは「司南」と言います。四角いものは「地盤」、円は「天盤」と言います。天盤は手で動かすことができます。天盤と地盤には「甲乙丙丁…」とか「子丑寅辰…」などの文字が等間隔で書かれています。このうち「子」は「北」、「午」は「南」を意味します。

この盤の上にひしゃくの形をしたもの、つまり「司南」が乗っていて、これは静止状態と先端が南を指すので「司南」と呼ぶのです。

この謎めいた物体は何に使ったかというと…占いに使ったのです。天盤を回して一定の位置に止まった時そこにある文字から吉凶を占いました。

戦国時代(紀元前5~3世紀)の本『鬼谷子きこくし』(戦国時代に鬼谷が書いたと言われる遊説に関する書)にこの「司南」についての記述があります。「鄭の人は玉をとりに行く時、道に迷わないように司南を持っていく」。この司南は「指南」とも書きます。現代中国語で「指南」は「指針・よりどころ・手引き・ガイド」のこと。日本語で「指南」は「指導する」意味で使います。この「指南」は古代の「司南」つまりコンパス・方位磁石に由来を持つと考えられます。

魅力的な形を持つこの司南ですが、磁力が弱く、重かったために使われることはあまりなかったそうです。

磁石の針と「偏角」

中国で紀元前から使われていた「司南」はひしゃくの形をしていました。これでは方向が正確には示せません。そこで今使われているような「針」が開発されるのですが、これも中国で発明されました。そしてここにも「占い」、つまり「風水」がかかわっています。中国では家や墓を作る時、凶を避けるため、その土地の地形や方位、日取りが重視されました。特に唐代になると前代から行われていた科挙制度がいっそう発展し、農村出身者が科挙に合格するようになります。彼らは農村を出て都会で官僚となって活躍し、老年になると引退、再び農村に戻って美しい自然の中に隠居用の家を建てようとするのですが、老境に至った彼らは官僚時代の儒教思想より荘子や老子、そして道教思想の方がなじむようになります。こうして唐代では風水思想が盛んとなり、家を建てる時の場所や日取り選びに風水を重視するようになりました。

晩唐の書で風水に関する文献『管氏地理指蒙』に「磁石針」が出てきます。「磁石には母親の本性があり、針は鉄から作る。磁石と鉄の母子性はこれによって感応し、互いに通じるようになる。鉄で作った針はその母性をいっそう高める。磁石の針は軽くまっすぐで、その指し示す方向は正しくなければならないが、やや偏っている…」

科学書というより占いの書じみていますが、この中では「磁石に針を使っている」ことと、「磁石の示す方向と地理的方向にはズレがある」ことが書かれています。地理的北極と磁気的北極とではわずかにずれていて、これを「偏角へんかく」と言うのですが、8世紀から9世紀頃中国ではすでにこの「偏角」が発見されていたことがわかります。ヨーロッパで偏角が知られるようになるのは15世紀と言われていて、これらの知識に関して中国がいかに早かったかがわかります。

羅針盤が航海に使われるようになった宋、元、明代

風水など占いのために使われていた羅針盤ですが、北宋になると航海に使われるようになります。それまで太陽や星に頼っていた航海術ですが、曇りや雨になると羅針盤なしにはどうにもなりません。

唐代、日本の僧侶・円仁の『入唐求法巡礼行記』には海上で悪天に遭遇した時の様子が描かれています。方向がまったくわからなくなり、ある人はこちらが北だと言い、ある人は北西だと言い、大混乱に陥ったと書いてあります。

羅針盤は北宋時代に船の航海に使われるようになり、元代には航海に不可欠な機器となりました。遣唐使の時代多くの船が海の藻屑となりましたが、羅針盤があれば防げたものもあったことでしょう。

明代の鄭和ていわ(明代の宦官にして武将)の大航海はよく知られています。1405年鄭和は時の永楽帝の命を受け、240隻を連ね、西太平洋・インド洋の30数か国を訪れました。1433年までに前後8回に渡って航海をし、1414年にはアフリカからお土産としてキリンを中国に連れ帰っています。こうした大航海を可能としたものの一つに羅針盤の活躍があったことは言うまでもありません。