華僑の歴史【華人との違い・移民する理由など】

華僑

華僑とは

華僑かきょうとは、「外国で暮らす中国人」のこと。「華」は「中国」、「僑」は「仮住まい」という意味です。「華僑」の国籍は基本的に中国或いは台湾です。同じ中国人移民でも国籍が移民先に替わっている中国人は「華人かじん」と呼ばれます。

「華僑」という言葉が初めて史料に現れるのは1883年という説、また1898年に「日本横浜華僑学校」が設立された時に「華僑」の文字が使われ、これが最初に使われた例という説があります。いずれにせよ清朝末期に登場した言葉です。

華僑……中国人移民はいつから

華僑と呼ばれる中国人移民は世界中にいますが、中国大陸から他の国々への移民はいつ頃から現れたのか?

この歴史は非常に古く、すでに秦の始皇帝の時代には海外移民は始まっていたと言います。

海外への移民の歴史は大きく分けて

1.秦~明代中期

2.近世(明代中期~新中国成立まで)

3.近現代(新中国成立後)

の3段階に区分できます。

この1の時期の海外移民は「華僑」ではなく、「唐人」「華人」「漢人」などと呼ばれていました。2のアヘン戦争以後になると中国人移民は「華工」「華民」「華人」「華商」などと呼ばれていましたが、上記したように19世紀末になると「華僑」という名称が現れ、20世紀初期にはこれが海外に移住した中国人の通称となります。

中国の年表
中国の年表。

華僑……中国人移民の歴史

中国の移民の歴史はすでに殷(いん…B.C.17世紀頃~B.C.1046年)末、周(しゅう…B.C.1046頃~B.C.256年)初期には始まっていたと言われています。太平洋の西南諸島には、5000年以上前に中国南部で暮らしていた中国人を先祖に持つ民族がいるという研究結果もあります。つまり紀元前に中国南部から島伝いに流れていったのです。

なぜ慣れ親しんだ故郷を離れ海を越えて他の国に移動していくのか、日本人にはわかりにくい心理ですが、これは日本という島国が位置的に、人間が流れ流れて行きつくどん詰まりにあるからなのかもしれません。日本から先に行こうとしても目の前には果てしなく広い太平洋が広がるばかり。どんなに災害が多い場所であろうともうここしかないと、日本人の先祖は覚悟を決めてここに定住したのかもしれません。

秦代の有名な移民…徐福

徐福じょふくは秦の始皇帝の命令で日本に送られた移民だと言われています。中国最古の正史『史記』「秦始皇本紀」には「徐市(徐福)発童男童女数千人、入海求仙人」という記述があり、徐福一行が秦の始皇帝の命で不老長寿の薬を求めて日本に行ったと書かれています。

漢の武帝の時代には張騫ちょうけんが西域(中国大陸の西)に遣わされ、後漢の時代には班超はんちょうが東ローマ帝国に派遣されペルシャ湾に至っています。

唐代には鑑真和上やその弟子が荒波を超えて日本にやってきました。

このように中国では古代からあちこちの地域に人が送られていることがわかります。

明末清初の海外移民

明末の中国人海外移民先で一番多いのがフィリピンです。17世紀には2~3万人がいたと言われます。

日本への移民も多く、江戸初期長崎で暮らす中国人移民は2万人以上おり、長崎の市中は商売をする「唐人」であふれていたと言います。

有名な明末の儒学者・しゅ舜水しゅんすいも日本に亡命し、水戸黄門で有名な水戸光圀に招かれ、明治維新の原動力ともなった「水戸学」に大きな影響を与えています。

アヘン戦争から新中国成立までの移民

1840~1949年の約百年は中国が最も多くの海外移民を出した時代です。

中国が半植民地状態になるにつれて社会の混乱、人口増や自然災害などの要因、さらには列強の植民地政策による労働者のニーズの高まりなどから多くの中国人が移民となって海外に渡りました。彼らは奴隷的な「契約労働者」となったのですが、その身分も労働条件も厳しく「苦力」(クーリー)と呼ばれました。

彼らはその多くが誘拐など犯罪的手段によって、あるいは強制労働者として船で海外に連れていかれるのですが、船内での死亡率はきわめて高く、劣悪な環境で海を渡ったことがわかります。

のちにアメリカやオーストラリアなどでは、中国人労働者排斥運動が起こり、移民の多くはやがて東南アジアに向かうようになりました。

1980年代以降の海外移民

新中国成立以降中国人の海外移民は姿を消しましたが、80年代以降新しい移民が海を渡るようになりました。中国人留学生たちです。留学生とその家族は学業を終えるとその地に残る人が多く、彼らが「新移民」となりました。後には投資移民も増え、彼ら新移民の海外移住先は先進国が多く、中でも合衆国やカナダなど北アメリカを選ぶ人が最も多くなっています。2008年までに海外に移住した中国人移民は約800万人にのぼります。

華僑から華人へ

「華僑」とは海外に移住したものの国籍はまだ中国または台湾に置いたままの中国(台湾)人のことです。日本語で言うと「一世」ということですから心は祖国にあり、いつかは故郷に錦を飾りたいと思っている人たちで、この心境はよく理解できます。「二世」になるとそうした親に育てられ、自分は中国人であるとともに今暮らしている国の人間でもあるという2つのアイデンティティを持つようです。ところが「三世」になると一般には中国人だという意識は消え、昔祖父母が中国からこの国に来たらしいけど、自分は中国人ではなくこの国の人間と明確に意識するということです。

こうして「一世」の華僑は「二世」を経て、「三世」の華人になっていくと言います。

特に東南アジアに移住した華僑たちは、自分たちは現地の人間より上であるという意識が強かったようで、現地化せず中国の伝統を守り中国人であるという誇りを持って生きたのだそうですが、やがてフィリピンやインドネシアなどで中国人への排外運動が起こり、当の中国や台湾でも二重国籍は認めず、移住先の国民になるよう勧めたということもあって、1950年代~1980年代にかけて「華人化」が進み、現在に至っています。

世界に散らばる現代の華人たちは基本、移住先の国に国籍や文化面でも同化しつつあるようです。

華僑の学校

華僑は移住先で中国語や中国文化を教える学校を作ってきましたが、東南アジアでは中国人排斥運動などにより衰退し、他の地域、アメリカでは学校というよりお稽古事レベルです。日本には横浜や神戸にいくつかの伝統的な華僑学校がありますが、子供を日本人の学校に入れる華僑・華人の家庭が多くやはり衰退傾向です。ただし近年では子供を華僑学校に入れたがる日本人の家庭もあるというニュースも聞きます。中国経済の勃興を受けて、子供の頃から中国語を習わせたいということでしょう。

中国文化を教える学校といえば近年では「孔子学院」が浮かびます。

ここは華僑や華人たちが自分たちの文化を守り伝えていくために手弁当で作った学校ではなく、中国政府が中国による世界覇権を視野に入れて、自分たちに友好的な世界世論構築のために作ったと言うことができるでしょう。

世界各地に作られている孔子学院は日本でも20か所近い大学に設置されています。

この学校では中国政府に対する批判などは許されないと言われ、そうした意味で言論の自由がない・スパイを養成している疑いがあるなどの理由でアメリカでは、2018年頃から廃校の動きが進んでいます。

日本の孔子学院は一般にカルチャーセンター化していて、「スパイねえ…」という感じです。日本では近いだけに中国の実態は割りによく知られていて、「中国政府は酷くてキライ」「台湾は大好き・応援したい」「中国語や中国の歴史、伝統文化を学ぶのは楽しい」といった具合に、上手にノホホンと利用されているように思います。中国政府から資金援助があるので他の語学学校より学費が安く、年配者を中心に受講者は多いようです。

華僑の宗教

関帝廟は三国志の英雄・関羽を祭っています。関羽は信義に厚かった武将と言われ、そのために商売の基本・信義の神様・商売の神様に転じ今に至っています。

この二つのお廟は日本最大のチャイナタウン・横浜中華街にもあります。関帝廟は何度も焼失していますが、その都度寄進を集め今も立派な関帝廟があります。華僑は海外に移住した後精神のよりどころとして媽祖廟や関帝廟などを作ります。

媽祖廟は海の女神を祭るお宮で、もともとは宋の時代の実在の女性です。生きている時から巫術をよくし人々を助け、その後神様として祭られるようになり、特に航海の守り神となって今に至っています。横浜中華街には媽祖廟もあります。

華僑の信仰する神様としてはこの他「観音様」があります。観音菩薩はインドでは男の神様でしたが、中国では女の神様となりこれが日本にも伝わっています。

浅草寺の本尊は観音菩薩で、中国人観光客をここに案内すると中国式の祈りを捧げる人がいて、中国人・台湾人に観音信仰が深く根付いていることを感じます。

なぜ中国人は移民するのか?

日本人は可能な限り日本で暮らしたい民族のようで、たとえばアメリカに留学した人たちも学業が終われば帰国するのが当たり前です。中国のアメリカ留学生はむしろ残る方が普通で、帰国するのは移民できなかった人たちと今なお言われています。

1980年代から日本でも、いわゆる「残留孤児」とその家族を中心として中国から移住する人たちが増えました。彼らの中には教師や医師など安定した仕事を持つ人もおり、なぜ故郷とそこでの安定した仕事を捨てて日本で暮らそうとするのか、当時これは多くの日本人にとって理解できない現象でした。

逆に中国人にとっては、故郷の土地が暮らしにくければ言葉の通じない外国であろうと、他の土地に流れていくのは自然なことのようです。残留日本人など血縁的に日本人であれば言わずもがなのことです。特に80年代の中国農村部の暮らしと日本の暮らしとでは雲泥の差がありました。

では外国に移民した中国人はその国の人になりきるのか?もちろんそれぞれの国にだんだんと同化してはいくのですが、自分が中国に根があることは片時も忘れず、文化や伝統も伝承していく傾向があります。

これも海外に移民した日本人が、いったん移民を決意したならばその国の国民になり切ろうとするのとはだいぶ異なります。日本に帰化した中国人になぜ帰化を選んだのかと聞くと「日本のパスポートが便利だから」と答える人が非常に多く、日本人が期待する「日本が好きだから」という答えはほとんどありません。もし日本人が中国に帰化したとするならば、その理由は中国が好きだからというのが多いでしょうし、中国のために貢献したいという思いも強いことでしょう。日本人はいったん自分の帰属先を換えたなら、新しい帰属先に忠誠を尽くそうとします。

日本国籍を取った中国人にこうした意識はほとんどないと言っていいでしょう。彼らは自分や家族が生き、生活する便宜のためにその国を選んだにすぎないのです。よその国に帰化しようとそれは便宜上にすぎず、彼らは死ぬまで中国に根を持つ中国人だという意識を持っています。こういう話を聞くと腹を立てる人がいるかもしれませんが、住んでいる国に忠誠を尽くすという発想はもしかしたら日本人独特の感性かもしれません。忠誠は信頼しあった人に尽くすのであって場所ではない、と中国人は考えているかもしれません。

日本は今なし崩し的に移民を受け入れ始めています。この傾向は今後も続くでしょうし、その大部分は中国からの移民である可能性が高いでしょう。彼らが日本に帰化したとしてもそれは必ずしも日本に好意を持ち日本に忠誠心を持つことは意味しない、ということは知っておくべきです。

ただし興味深いことに、中国人移民が日本に帰化し、その後日本で生まれた中国人二世は自分は日本人だと意識する人が多く、その感性もまた基本的に日本人と変わりません。もし日本における移民政策をヨーロッパの二の舞にならないようにと思うのであるならば、ポイントはこうした子供たちだろうと思います。