蔡文姫(蔡琰)【生涯と伝説・悲痛な詞『胡笳十八拍』など】
目次
- 1. 蔡文姫とは
- 2. 蔡文姫の幼少時代の逸話
- 3. 蔡文姫の数奇な人生
- 4. 『胡笳十八拍』
蔡文姫とは
蔡文姫は蔡琰とも言います。後漢・三国時代の詩人で河南省の人。文姫は字です。父は後漢を代表する文学者かつ歴史学者・蔡邕です。
幼い頃からすぐれた才能を発揮した才女で、文学・音楽・書に通じていましたが、後に数奇な運命をたどります。
蔡文姫の幼少時代の逸話
蔡文姫の子供の頃の逸話として有名な話が残っています。
彼女が幼い頃、父の蔡邕が琴を演奏していると琴の2番目の弦が切れてしまいました。すると他の部屋で父親の演奏を聞いていた蔡文姫が「2番目の弦」と言います。蔡邕が試しにわざと4番目の弦を切ると今度も正確に「4番目の弦」と言い当てます。
「偶然だろうな」と父親がつぶやくと「昔の人は音楽を聴いて国の興亡を知ったり、楽器によって戦の勝敗がわかったと言います。なぜ私が切れた弦を聞き分けることなどできないとおっしゃるのですか」と言い返し、父親をびっくりさせたということです。
蔡文姫は後に音律に通じた人になります。この話からも音感が鋭かったことはよくわかりますが、幼い少女の故事の知識やこの切り返し方もすごいですね。彼女は後にその雄弁でも知られることとなります。
蔡文姫の数奇な人生
大変な才女であった蔡文姫ですが、その人生はきわめて数奇で幸せとは言い難いものでした。
蔡文姫が最初に嫁いだ夫は結婚の翌年に亡くなります。父の蔡邕も董卓を倒した王允によって牢屋に入れられ、亡くなっています。打ち続く悲劇の後またしても悲劇が彼女本人を襲います。後漢末の戦乱の中、彼女は胡軍の騎兵隊に拉致されてしまいます。その後南匈奴左賢王に嫁がされ、胡の地で子供を二人もうけたとされています。
蔡文姫が嫁した左賢王は匈奴の高官で、その妃ということになると相当な地位に思われますし、二人の間にはロマンチックな愛情もあったとする物語もあるのですが、史実は少し異なるようです。
後漢書に蔡文姫が匈奴の騎兵に連れ去られた出来事が記され、そこに「南匈奴の左賢王に没す」という文字が書かれているのです。この「没」という字は捕虜になったことを意味し、この字が使われている以上彼女の結婚は、漢代の王昭君のように武帝の娘の名義で匈奴の王に嫁したというような晴れがましいものではありません。
当時彼女は戦乱に逃げまどう難民の一人として匈奴に拉致されてしまうのです。つかまったのは彼女一人だけではありません。漢族のおおぜいの女たちも彼女と同じ運命をたどりました。
当時戦乱において敵の男の首を差し出せば褒美が得られ、女は戦利品としてそれを得た兵士のものになりました。こういう褒美が待っているからこそ兵士は勇敢に戦ったとも言えるのです。
こうした女たちの一人としてつかまった蔡文姫は、おそらくは彼女をつかまえた兵士の妻あるいは妾となったのでしょう。もちろんこの説もまた憶測の一つであって史実とは限りません。
蔡文姫はこうして胡の地に12年とどまったと言われます。その間子供を二人もうけたと言いますから、12年経ってもその子供はまだ十歳前後でしょう、母親が恋しい時期です。
拉致され胡兵の妻となって12年、蔡文姫に突然救いの手が差し伸べられます。彼女の父蔡邕と親しい間柄だった曹操が、匈奴につかまっていると聞いた彼女を思い出すのです。このままでは蔡邕を弔う者もいなくなってしまう、彼女を漢の地に戻そう…。
曹操は貴重な金の璧を用いて蔡文姫を匈奴から買い戻す交渉をします。
「贖買」(買い戻す)…後漢書に書かれているこの文字からも彼女がかの地の妃ではなかったことがわかります。一国の高官の妃を買い戻すことなどありえません。
こうして彼女は12年ぶりに漢に帰ってくるのですが、子供たちはどうなったのでしょうか?
蔡文姫が書いたとされる『悲憤詩』には「児すすみて我が頸をいだき、母に問うにいずくにか之かんと欲すと」(我が子が私の首に抱き着いてきて「お母さん、どこに行っちゃうの」と聞く)という悲痛な詩句が書かれています。
また共に拉致されたほかの女たちは、漢の地に戻ることのできる蔡文姫を羨んだとも書かれています。
今から千年以上前の詩とは思えないほど臨場感と真情のこもった詩です。
蔡文姫が漢に戻ると曹操は彼女を部下の董祀に嫁がせます。けれどもそれからまもなく彼は何かで死刑を宣告されてしまうのですが、これを聞くや蔡文姫は髪振り乱し裸足のままで宴会の真っ最中の曹操の元に駆け付け、とりなしてくれるよう頼み込みます。この時の彼女の雄弁ぶりで夫は無事戻ってくるのですが、この夫婦の縁も長くは続きませんでした。董祀はまもなく病で亡くなってしまうのです。
後に蔡文姫は4番目の夫と結婚するのですが、この結婚は長く続き、彼女の没年は明らかではないのですが寿命をまっとうしたようです。
ところでこの3番目の夫の命乞いに曹操の元を訪れた蔡文姫に曹操はこう尋ねます。
「お父上の遺された膨大な書物はどうされたかな?」
すると蔡文姫は
「戦乱の中ですべて焼けてしまいました。ただそのうちの四百余冊は私すべてをそらんじております」
「おお、それはそれは。それでは近いうちに人を数十人あなたの家にやってそれを書き写させたいと思うがどうか?」
「その必要はございません。私がすべて書き写せます。ところで楷書がよろしいですか?それとも草書の方が?」
蔡文姫は書家でもありました。
こうしてこの四百余冊はすべて蔡文姫の手で書写され、曹操に献上されます。その文字には一字たりとも誤字はなかったということです。
『胡笳十八拍』
この蔡文姫が書いたとされる長詩に『胡笳十八拍』という作品があります。匈奴にとらわれその地で12年の月日を過ごし、子供を置いて漢に戻ったという悲痛な運命を18章の歌にしたものです。
胡笳とは西域の葦笛のこと。この詩は葦笛に合わせ琴をかき鳴らしながら歌います。
中国の伝統音楽・楽器については「中国の伝統音楽・楽器」のページで詳しく紹介しています。
この作品は1950年代末に、蔡文姫の作品とする郭沫若と唐代の擬作とする劉大傑との間で大論争が起きましたが決着はつきませんでした。その後唐代の擬作説が有力になっています。
では古琴とともに歌われる『胡笳十八拍』の詩のおおよその訳を下に紹介します。
第一拍
私が生まれた後漢の王室は衰えた。人は離散し私もひどい運命に。危険な道を人々は逃げまどう。この苦しみを誰に訴えたらよいのか。
第二拍
胡兵に妻になるよう迫られ、私はこの世の果てに連れていかれた。幾重にも重なる山が故郷への道を遮る。疾風が千里を走り、塵砂を巻き上げる。胡地の人はまむしや蛇のように凶暴だ。武具を身に着けおごり高ぶる。我が志も心も砕け悲嘆にくれる。
第三拍
漢の国を越え胡の地に入る。我が一族は滅び胡族の妻とされる身は生きていない方がましだ。獣の衣からは生ぐさい臭い。身も心も震えおののく。軍鼓が朝まで鳴り響き、胡の風ははるばると砂塵を舞い上げ要塞は暗い。この怨み悲しみはいつおさまるだろう。
第四拍
日夜ふるさとを思わない日はない。寒気の中に春を宿し、季節は私の心より辛くはない。国は乱れ人は主を失い、私の運命も幸薄く野蛮な胡の虜となった。風俗も心情も異なる異国では身の置きどころもない。好みも異なり言葉も通じず、心の中をさまよい歩くが難儀が多い。
第五拍
雁の群れが南に向かい北の物音を伝え、雁の群れが北に戻れば漢の便りを届ける。雁の群れははるかかなたを飛び、断腸の思いむなしく口を閉じる。眉をひそめて月に向かって琴をなでる。
第六拍
厳寒の地の身を切る寒さに震え、異国の食は喉を通らない。夜、川の流れはむせび泣き、朝長城の姿を遠く見ても帰る道はあまりにも遠い。昔を思えば荷物の支度も滞る。
第七拍
日暮れの風が哀しげに吹き、あたりの物音が聞こえる。この悲しさを誰に伝えよう。あたり一面の原野にのろしの見張り台がずっと続き、牛や羊の群れが広がる。この地の人々は子供や老人を卑しみ強い者だけを愛でる。草を追いかけ、草が尽きればまた移動していく。
第八拍
天に目があるならなぜ私ひとりこの地に漂わせているのか、私は天に申し訳ないことなど何もしていないのに、私を流転させ、辺境に送り、胡人の妻とする。なぜなのだろう。いったいなぜなのか。
第九拍
天も地も果てがなく、私の悲しみもまた同じ。人生はあっという間に終わるが、人生の盛りに喜びを楽しむこともなかった。運命を恨んで天に問いかけるが、天は青々として昇っていく手立てもない。顔を挙げればむなしく雲と霞が立ち込めるのみ。
第十拍
戦いののろしは消えることなく、いくさの日々はいつまでも続く。殺気が朝ごとに要塞の門にぶつかり、胡の地の風は夜ごとに辺境の月に吹き寄せる。故郷とは遠く隔たり世間との交際も絶えた。泣こうにも声なく息がつかえる。生涯の苦しみは別離という運命から。
第十一拍
私は生をむさぼっているのではない。死にたくはないのだ。そこにはわけがある。生きてなお故郷に帰りたい。太陽よ月よ、私は胡地のとりでにいて、胡人が私を愛し子供が二人生まれた。子供をいつくしみ育てることに恥ずかしい思いはない。この子らをいつくしみこの辺境の地で育て上げた。
第十二拍
東風に乗ってぬくもりがやってきた。漢と胡のいくさが終わり、胡の民は喜び舞い踊る。漢と胡は講和して互いに武器をおさめた。漢の使いが私を千金であがなうと言う。うれしいことにふるさとに生きて帰って聖君(曹操)にお目にかかれる。悲しみは幼子との別れ。喜びと悲しみにこもごも襲われる。
第十三拍
胡で生まれた子供を抱き寄せ、涙で衣が濡れる。漢の使者は私を迎えその馬は走ったら止まらない。幼子は声をあげて泣いたが誰も気づかない。子を憂いて陽に光なし。どうにかしてお前を連れて帰れぬものか。子供から一歩遠ざかるごとに足取りは重くなっていく。
第十四拍
体は故国に戻ったが子供を連れてくることはできなかった。心は落ち着かずいつも飢えている。万物は移り変わっていくのに私の辛さ、苦しみは移ってはいかない。山は高く地は広くお前に会える日はいつなのか。夢の中でお前と手をとりあい喜んだり悲しんだりするが、目が覚めると心の痛みで休むことができない。
第十五拍
包(パオ)で暮らし異人の妻となり、願いがかなってふるさとに戻る。再び漢に戻れば喜びあふれるが、心の憂いはますます深まる。太陽や月は遍く照らしてくれるが、子供と別れた悲しみは耐えがたい。生死もわからず誰に尋ねたらいいものか。
第十六拍
私と子供は、日が東、月が西にあるようなもの。共にいることができずむなしく断腸の思いを抱く。琴をかき鳴らせば心が痛む。子供と別れ故郷に戻ったが、古い怨みが消え新しい怨みが生まれた。血を流し顔を挙げて天に訴える。なぜこのような咎めを受けるのだろう。
第十七拍
故郷の山は道をふさぎ、漢を離れた時より胡に別れを告げた時の方が思いは深まる。
辺境では野が黄ばみ枯れ葉が乾く。砂塵舞い上がる戦場に残る白骨に刀傷と矢の痕が残る。風や霜が身に染み入り、春や夏も寒い。人も馬も飢えて騒がしく、体に力が入らない。また長安に戻れるとは思いもよらなかった。ため息をつくのをやめようとすればただ涙が流れる。
第十八拍
胡笳は胡の笛。琴に換えても音律は同じ。十八曲を歌い終えて響きの余韻は尽きず、思いもまた尽きようもない。胡と漢は異なる地、異なる風俗。天と地のごとく子は西に母は東に。私を苦しめる怨みは空よりも果てしなく、天下広しと言えどおさめることはできない。