琵琶の歴史と種類 【図説】
目次
- 1. 「琵琶」とは
- 2. 琵琶はシルクロードの西からやってきた
- 3. 日本の琵琶
- 4. 琵琶をめぐる物語
「琵琶」とは
「琵琶」とは弾いて鳴らす弦楽器のことで、中国には歴史的に大きく分けて3種類の「琵琶」があります。
一つ目は、秦末から後漢にかけて流行した円形の胴とまっすぐな首を持つ形の琵琶で、後の月琴の祖となります。呼び名としては、枇杷・琵琶・秦琵琶・秦漢子など。この円形の胴の琵琶はのちに胴と棹が分離した形になり、阮咸と呼ばれるようになります。阮咸は人名で「竹林の七賢」(3世紀後半晋代に、俗塵を避けて河南省の竹林に集まり清談したと言われる七人の隠士)の一人。琵琶に巧みであったことから、当時使われた琵琶にその名がつけられました。その後、棹の部分を短くした月琴が生まれます。
二つ目が、洋ナシ型の胴と曲がった首を持つ四弦琵琶で、今使われている琵琶の直接の祖先。前漢時代にイランからシルクロード交易を経て中国に入ったものと考えられています。唐・宋の時代に伴奏用楽器としてもてはやされますが、後に独奏楽器として使われるようになりました。また元は器具を使って弦をはじいていましたがやがて指ではじくようになり、琵琶の置き方も元は水平だったものが縦にしてかかえるようになりました。
三つ目は、洋ナシ型胴とまっすぐな首を持つ琵琶です。インド起源の琵琶でシルクロードのオアシス国家・亀茲(…現新疆ウイグル自治区庫車県一帯)を経て南北朝期の北朝に入り、唐代では宮廷音楽にも使われるほどもてはやされましたが、宋代に廃れました。日本の正倉院にはこのタイプの琵琶が保存されています。螺鈿紫檀五弦琵琶ですが、これは遣唐使が唐から持ち帰ったものとされ、このタイプの琵琶としては世界唯一遺っているものです。
「琵琶」以外の中国の音楽・楽器については、「中国の伝統音楽・楽器」のページで詳しく紹介しています。
琵琶はシルクロードの西からやってきた
上述したように琵琶は第一タイプを除くと、イランやインドなど中国の西からやってきています。そしてこの楽器は琴などと違って横に置いて弾くのではなく、縦にかかえて弾きます。ここから琵琶は元遊牧民族が馬に乗って弾いた楽器で、それがシルクロードを通って中国に入ってきたのだろうと想像されています。
こうした来歴のせいでしょうか、琵琶は長い間中国において朝廷で演奏できる正規の楽器とはみなされていませんでした。六朝時代(222~589)になると民間ではもちろん宮廷でも演奏されるようになり、やがて上層の士人にとって琵琶は琴とともに最も愛される楽器となります。
北斉(550~577)の顔之推が書いた『顔氏家訓』には、「外国語(鮮卑語)と琵琶が弾ければ世の中に出て何とかなる」という話があり、まるで現代の子供たちが学ばされる英語とピアノのようだ、と中国の研究者が書いています。
日本の琵琶
日本の琵琶は7~8世紀に唐から伝わりました。唐で作られた琵琶が四弦琵琶、五弦琵琶、ともに正倉院に残されています。特に五弦琵琶に関しては歴史的なものは世界でこの1つしか残されていません。
現在日本で使われている琵琶は洋ナシ型の四弦琵琶で、中国の琵琶との違いは、日本では撥を使って演奏するのに対し、中国ではギターのように自分の爪、または義爪で演奏することです。「日本の琵琶は古風を遺している」と中国人は言います。中国の古代の演奏のしかたをそのまま今に伝えている、ということです。
琵琶をめぐる物語
最後に琵琶をめぐる物語を二つ紹介しましょう。
『琵琶行』
一つ目は白居易(はく・きょい)の詩『琵琶行』です。この中で琵琶の音色がみごとに言語化されており、古来音楽を詠じた至文(至高の文章)と言われています。
元和10年(815年)白居易が九江郡の司馬に左遷された頃、客を送っていった道筋で一人の琵琶を弾く女に出会います。
彼女はもと長安の芸妓でしたが容色が衰え、今は商人の妻になっています。
彼女に酒をふるまい琵琶を奏でてもらうと、身の上話を話してくれます。楽しかった娘時代、今の落ちぶれた暮らし…。
この話を聞いて、左遷された自分の身の上の悲しみをも感じずにはいられず、そこで七言の古詩88句を作って彼女に贈った…と序があり詩が始まるのですが、詩の中でこの序の内容が歌われていくのです。
秋、作者の一行が馬から下りて客のいる船に入ります。共に酒を飲もうとするのですが音曲がありません。酔って楽しもうと思ったのにそれもかなわず、そのまま別れるしかありません。別れ際に月を映す川面を眺めていると、どこからか琵琶の音が聞こえてきます。
…
こうして作者は琵琶の名手に出会い、彼女を船の中に招き入れその琵琶の音に耳を傾けます。その琵琶の音色を歌った部分が次です。書き下し文と現代語訳で読んでみましょう。
『琵琶行』の書き下し文
大弦は嘈嘈として急雨のごとく、小弦は切切として私語のごとし。
嘈嘈、切切、錯雑して弹けば、大珠、小珠、玉盘に落つ。
間関たる鶯語は花底になめらかに、幽咽せる泉流は氷下に難む。
氷泉は冷渋して弦は凝絶し、凝絶して通じず、声はしばらくやむ。
別に幽憂暗恨生ずるあり、この時声なきは声あるに勝る。
銀瓶たちまち破れて水漿ほとばしり、鉄騎突出して刀槍鳴る。
曲終わり撥収めて心に当てて画す、四弦の一声帛を裂くがごとし。
『琵琶行』の現代語訳
太い弦はザワザワと激しい雨の音のよう
細い弦はヒソヒソと内緒話をしているよう
ザワザワとヒソヒソが交じり合えば、大小の玉が玉の皿に落ちるかのよう
のどかな鶯の鳴き声が花の下でなめらかに響き
むせび泣く泉の流れが氷に閉ざされて行く道を遮られる
氷の下で泉は凍り付き、弦もまた凝結して流れは途絶え音はやむ
ひそかな憂いと恨みが生まれ、この時音がやむのは音があるより良い
しばらくすると銀の甕が破れて中から水がほとばしり
鉄の鎧をまとった騎兵が飛び出して、刀や槍を打ち鳴らす
曲が終わると撥を収めて弦の真ん中をザっと払う
四つの弦が同時に鳴らす音は絹を引き裂くよう
琵琶の音が、激しい雨の音、ささやき声、玉が皿に流れ落ちる音、鶯のさえずり、流れる泉の音、無音、甕が割れて水がほとばしる音、刀と槍がぶつかる金属音、バチで最後に琵琶の弦をはらう音、絹を裂く音…と描写され、突然静まり返る無音さえ美しい音として描かれています。
『琵琶記』
次に紹介するのは『琵琶記』と呼ばれる南戯(北宋末から明にかけて演じられた芝居)です。
主人公は後漢の学者で琴の名手としても有名な蔡邕とその妻の趙五娘。蔡邕は実在の人物です。この物語は古い民間伝承で、語り物としても演じられてきました。
蔡邕は、新婚の妻趙五娘と老父母を残して科挙試験のために上京し、合格後皇帝の命で牛丞相の家に婿入りしてしまいます。彼はその後豪奢な生活を送るのですが、故郷に残してきた家族は飢饉に見舞われ両親は死んでしまいます。妻の趙五娘は琵琶を弾きながら夫を探しに上京します。やがて二人は再会し、その後蔡邕は帰郷して両親の墓参りをし、二人の妻はそれぞれ夫・蔡邕によく仕えたという話です。
この物語には古いバージョンと新しいバージョンがあり、新しい方は上記の話ですが、古い方では、蔡邕が親を捨て妻を裏切ったため落雷に遭って死ぬという内容になっています。
この古いバージョンは『秦香蓮』という京劇の話とよく似ています。秦香蓮もまた琵琶を弾く女性で、あまりにもよく似ているので元の話は一つなのかもしれません。あるいはこういう話はかつて山ほどあったのかもしれません。
『秦香蓮』ではその夫・陳士美は自分の地位や身分を守るため妻の命さえ奪おうとする卑劣漢で、現代でも妻を裏切る悪い男の代名詞になっています。
蔡邕もまた私生活ではそうした男の一人だったのでしょうか?非常にすぐれた学者をそのプライバシーによって貶めるのは忍びなく、後世、劇の中では美談に変えたのでしょうか?二千年近い昔の歴史の謎です。