陳士美と秦香蓮
目次
- 1. 中国語の会話に出てくる“陳士美”
- 2. 京劇の『秦香蓮』
- 3. 陳士美と秦香蓮の物語
- 3-1. 陳士美
- 3-2. 陳士美の妻、秦香蓮
- 3-3. 科挙受験のために都・開封に
- 3-4. トップで合格
- 3-5. 陳士美は皇帝の娘婿に
- 3-6. 夫は皇帝の婿に、妻子は乞食に
- 3-7. 夫は探し当てたけれども…
- 3-8. あんまりな陳士美のしうち
- 3-9. 秦香蓮は命までねらわれる
- 3-10. 正義は包公の手で
- 3-11. 覚えたい中国語
中国語の会話に出てくる“陳士美”
中国のテレビドラマを見ていると時々「あいつったらまさに陳士美よね」という会話に出くわします。明らかに人の名前、そしてすごく嫌われている様子。この嫌われ者陳士美が今回の物語の主人公です。
京劇の『秦香蓮』
この陳士美は京劇の『秦香蓮』などに登場する男なのですが、京劇の主人公は彼ではなくその妻、秦香蓮です。夫婦なのに苗字が違うではないか、と思う方もいるかもしれませんが、中国では夫婦別姓です。別に社会主義国家だからそうなっているわけではなく、昔から中国は夫婦別姓なのです。つまり奥さんは夫の家系とは別だということでしょうね。子供たちは皆夫の姓になります。で話を戻しますと、陳士美はこの物語の中の悪役ということになります。
陳士美と秦香蓮の物語
陳士美 科挙に合格してこの貧乏から抜け出したい
それでは中国女性に最も嫌われている男・陳士美の物語を始めましょう。
宋の時代、均州と言いますから、今の湖北省のあたりです。ここに陳士美という男がいました。彼は60を過ぎた老親と心優しい妻、二人の子供と貧しいながら仲良く暮らしていました。陳士美は頭脳明晰で努力家、そして野心家です。彼は科挙に合格して役人になり、立身出世を果たしてこの貧しさから抜け出したいと思っていました。
陳士美の妻、秦香蓮
彼の奥さんの名前は秦香蓮といい、善良で働き者、舅姑によく仕え、子供をしっかり育て、糸を紡ぎ機(はた)を織って貧しい家の暮らしを支えています。夫が真夜中まで勉強していると愚痴もこぼさずそばで機織りをして夫を見守っている…まあなんというできた奥さん。
科挙受験のために都・開封に
さてこの年陳士美は科挙の試験を受けに都にのぼります。宋の都は開封。今の河南省です。湖北から河南まで、これはだいぶ遠いですね。列車も車もない当時命がけの旅だったでしょう。「合格してもしなくてもすぐたよりを出すからね」と言って彼は家族と別れ都に向かいます。
トップで合格
試験を終えて結果を待つ彼に「首席だ、首席で合格だよ、陳さん!」という声が。彼はなんと科挙の試験でトップ合格したのです。「苦節十数年、やっとここまで…さあ家族を都に呼び寄せよう」
陳士美は皇帝の娘婿に
いよいよ皇帝にお目見えです。その時陳士美につきそった役人が「皇太后は今回の首席合格者を皇帝の娘婿にしようとお考えじゃ。喜ぶがよい」と耳打ちします。すると陳士美「ああ、もし自分に妻子がなければなあ。もしそうなら富貴は生涯己のもの…」という考えが脳裏に浮かぶのです。やがて皇太后に呼ばれ陳士美は家の状況を問われます。すると彼はなんと「両親とも早くになくし、妻子もおりません」と答えてしまうのですよ! 人間というのは弱いというかあさましいというか…あんなに尽くした奥さんがいるというのに。皇太后は大喜び。すぐさま彼を孫娘の婿に決定します。
夫は皇帝の婿に、妻子は乞食に
さあそれから華やかでにぎやかな結婚式が行われ、陳士美は贅沢三昧の暮らしの中で親のことも妻も子もきれいさっぱり忘れてしまったというのですからまともじゃありません。そのころ郷里では手紙一本来ない息子を案じて両親は病気になり亡くなってしまいます。埋葬するお金もなく、妻秦香蓮は髪を切ってそれを売り、むしろに換えて舅姑を葬ります。その後母子3人は食べるものもなく寄る辺もなく、貧しい暮らしをしながら都に夫を探しに出るのです。
夫は探し当てたけれども…
母子3人は都で陳士美の行方を探すと、なんと夫は科挙で首席合格したというではありませんか。しかもその後皇女の婿になったと聞き、秦香蓮は大きなショックを受けます。翌日は陳士美の誕生日、母子は宮殿を訪れるのですが相手にされません。そのまま陳士美のいる奥に入り込むと夫にばったり。陳士美は妻子を見て心痛みますが、「もしこの話が皇帝の耳に入ったらおじゃんだ、皇帝を欺いた罪に問われ自分の一生はもはやこれまで…」と思い、知らん顔を決め込みます。
「お前はなんだ、勝手に宮殿に入り込んで」と怒鳴りつけると秦香蓮、立ち上がりまっすぐ夫の目を見ます。「まさか私をお忘れだとでも?私はあなたの妻秦香蓮ですよ」。陳は依然として「いいかげんなことを言うな。とっとと出てうせろ!」と言うばかり。「あなたがふるさとを離れてから毎年飢饉が続き、お父様お母さまとも亡くなった。棺桶を買うお金もなく…」妻の言葉に陳士美は辛くなるが、皇帝をだました罪に問われ、若く美貌の皇女を失い、贅沢三昧の暮らしもできなくなることを思うと、あくまでしらを切ることを選ぶのです。
あんまりな陳士美のしうち
子供たちは母のそでをつかみ「どうしてお父さんは僕たちのことを知らないふりするの?」秦香蓮はこれを聞き「私のことは知らないふりでもかまいません。でもこの二人の子供はあなたの血を分けた子、この子たちが飢えや寒さに苦しまないように、この子たちだけは引き取ってやってください」と哀願します。陳士美はせつなくなりますが、やはり今の暮らしを捨てる決心がつきません。刀を抜くや「いつまでもぐずぐずしているとひどい目に遭うぞ」とおどします。ところがこの優しい奥さん、芯は強いし弁も立つんです。「君(くん)をだます、これは不忠です。親をかえりみない、これは不孝です。実の子供を見捨てる、これは不仁です。苦難の中にある妻子を打ち捨てる、これは不義です!」と儒教の教えをタテに夫を責め立てます。陳士美は色を成して怒り、彼女たちをむりやり追いだしてしまいます。
秦香蓮は命までねらわれる
陳士美は自分の妻子を追い出すだけでなく命を奪おうとまでします。けれども命令を受けた家来が秦香蓮の話を聞いて同情し、秦香蓮が無事に帰れば自分が罪に問われる。けれどもこのような事情の母子の命を奪うことはとてもできない、と悩んだあげく、自らを剣に伏してしまうのです。純情な人ですね。母子をかくまうついでに自分も逃げればよかったのに…。
正義は包公の手で
母子はやがて包公のもとを訪れます。包公とは厳正な裁きで知られた北宋の政治家です。紆余曲折あるのですが、最後はこの包公によって陳士美は刑に処せられ、女性の敵として悪名を末代に残すことになるのです。
覚えたい中国語
贤慧 xiánhuì(善良で優しい…かつての理想的な奥さん像が持つ属性)