神農(炎帝)

神農(炎帝)

神農とは

神農(炎帝)は中国古代の伝説に出てくる三皇五帝(中国の神話伝説に登場する8人の帝王。三皇は神、五帝は聖人で理想の君主とされる)の一人で、女媧の死後、帝王の座につきました。牛頭人身の姿をした慈愛深い神様だったと言われています。神農と炎帝を別人物として扱う書物もありますが、『史記 三皇本紀』の中で「炎帝神農氏」となっており、ここでは同一人物として扱います。

神農は姜水きょうすい(川の名前。現在の陝西せんせい省にあったと言われている)のほとりで生まれたため、姓をきょうと言いました。また、中国では王朝に五行思想の木・土・水・火・金のうちのいずれかを当てはめていましたが、神農はこのうちの火徳であったことから炎帝の名が付いたそうです。

農業と医薬の神「神農」

神農は木を切って農具を作り、人類に農耕の知識を教え、太陽に光と熱を出させて五穀を生長させ、暮らしを豊かなものにしてくれたので、その功徳をたたえて「神農」とも呼ばれています。

また、医薬の神でもあり、赤い鞭でさまざまな薬草を叩いては薬草の性質を確認したり、みずから百草を口に入れて薬草の効能を確かめ人々の病気を治しました。この神の体は手足と頭以外の体が透明で、内臓が外からはっきり見えました。もし悪いものを食べると内臓は黒くなり、そこで毒があるかどうかを確かめたそうです。なんども毒草を口にしたので一日に70回も毒に当たり、その最期は猛毒のある断腸草をなめたことで腸が切れてしまい、こうして亡くなったと言われています。

古くから医薬の神として知られていた神農は、後漢に書かれた本草書(医薬書)『神農本草経』など、本草学の中にその名を多く残しています。

神農と薬草
神農と薬草

農耕や医薬のほかにも麻や蚕から布を織って衣服とすることや、琴などの楽器を作って人々に音楽の喜びを人に教え、さらには弓矢を作って猛獣を追い払ったり、陶器を作って食べ物を煮炊き、保存したり、お酒を醸造しするなど実にさまざまなことを教え、こうして神農は古代の人々の暮らしを豊かなものにしてくれました。

神農は人々の生活がそれでもまだ不便であるのを見て、市場を作らせ必要なものを交換できるようにさせました。そこで神農は商業や交易の神様とも言われています。また当時は時計がなかったので、太陽が真上に来たら取引を行い、その時刻を過ぎたら市場を閉じることを教えました。こうするととても便利だったので人々はおおいに喜びました。

神農の娘「女娃」

『山海経』によれば、神農の娘の一人である女娃じょあは、ある時黄海に遊びに行き、溺れて死んでしまいます。死後その魂は「精衛」という名の鳥になります。頭に縞模様があり、くちばしが白く足が赤い精衛は海で命を奪われたことを恨み、鳥に姿を変えた後も小石や小枝を東海に投げ入れてはそれで大海を埋めようとし続けたと言われます。中国語の成語に“精卫填海”(精衛海をうずむ)という言葉がありますが、これは「困難に負けずに努力奮闘する」という意味です。

湯島聖堂の神農廟

東京の湯島に五代将軍徳川綱吉によって創設された聖堂(湯島聖堂)がありますが、ここには神農廟があり、毎年11月23日にはここで神農祭が行われます。この廟におさめられている神農像は三代将軍徳川家光の発願によって作られたものだそうです。

神農廟のある湯島聖堂
神農廟のある湯島聖堂