長生殿 【玄宗皇帝と楊貴妃の戯曲】
目次
- 1. 『長生殿』とは
- 2. 『長生殿』のあらすじ
- 3. 『長生殿』の玄宗・楊貴妃物語の特徴
- 4. レイシと楊貴妃
- 5. 楊貴妃、馬嵬坡に死す
- 6. 月宮にて再会する
- 7. 和菓子の「長生殿」とどっちが先?
『長生殿』とは
『長生殿』とは、昆曲の代表的な演目で、後に京劇でも演じられるようになりました。清朝の洪昇(1645年~1704年)の作です。全50幕。
この舞台のストーリーは、唐代の詩人白居易の長詩『長恨歌』と陳鴻『長恨歌伝』に基づいて描かれた唐の玄宗皇帝とその愛妃・楊玉環(楊貴妃)のロマンスです。
『長生殿』のあらすじ
物語は、楊玉環(楊貴妃)が玄宗に召されて貴妃となるところから始まります。
玄宗は楊貴妃をことのほか寵愛し、二人は終日遊び暮らします。
楊貴妃の兄・楊国忠は高官に、三人の姉妹も皆高い地位が与えられ、楊一族は栄華を極めます。
玄宗皇帝は楊貴妃を喜ばすために遠い所から新鮮なレイシを運ばせ、その際馬が作物を荒らそうが、人命が失われようが気にとめることはありません。
一方で政務をおろそかにし楊国忠と安禄山をひいきにして、やがて安史の乱が起きます。
その乱から逃げる途中の馬嵬坡では、追いつめられて最愛の楊貴妃を亡くすことになってしまいます。
安史の乱が平定され、玄宗皇帝はやっとのことで長安に戻るのですが、明けても暮れても思うのは楊貴妃のこと。その彫像を見ては泣き、もう一度逢いたいと思いつめるのでした。やがて道士を東海にあるという仙山・蓬莱山に送り、そこでようやく楊貴妃を探し当て、道士の導きで二人は月宮でめでたく再会できたのでした。
『長生殿』の玄宗・楊貴妃物語の特徴
『長生殿』における玄宗と楊貴妃の物語は史実入り混じっていますが、美しいとは言えない史実の一部は描かず、あくまで美しい愛情物語になっています。
またこれは清朝の初めに描かれた話で、当時は明朝が滅び満州族に征服されたばかりでした。治世者が愚かで腐敗しているとどういう悲劇を招くか、玄宗と楊貴妃の物語に仮託して民族の悲劇とその原因を訴えた作品であります。
レイシと楊貴妃
楊貴妃がレイシを好んだという話は日本でも知られています。この話が『長生殿』第15幕「選果」に出てきます。
楊貴妃は生のレイシが好きだったので、玄宗皇帝は海南(広東省)からレイシを送るよう命じます。レイシは七日を過ぎると味が落ちるので、鮮度を保つため無数の馬を走らせリレー式で急ぎ都に運ばせなければなりません。途中では多くの作物を踏みつぶし、多くの人々をはねてしまいます。
楊貴妃の口に新鮮なレイシを届けるというただその一事のために、おおぜいの民衆が踏みつけられ、苦労して耕した田畑が踏みつぶされてしまったと言うのです。これでは国中に怨恨を生んでもおかしくありません。
楊貴妃、馬嵬坡に死す
では次に楊貴妃が馬嵬坡で亡くなる場面・第25幕を読んでみましょう。『長生殿』では楊貴妃は自ら人生に幕を閉じることになっています。大勢の兵士たちの「楊貴妃を倒せ」という怒号の中、彼女は玄宗皇帝にこう言います。
楊貴妃:陛下の深い恩はこの身を無くなろうとそれだけで事足りるものではございません。この危急の時、兵士を抑えるために自らへ刃を向けることのお赦しをいただきとうございます。陛下が無事に蜀の地に行かれるなら、私はたとえこの世にいなくとも、生きてお供をするようなもの。
玄宗:何を申す!お前がいないのであれば皇帝の地位も四海の富も何の意味があろうか。国が滅びようとお前を捨てることはない。
楊貴妃:陛下の恩愛どれほど深かろうと、事ここに至っては私が生き延びる道はございませぬ。もしここで命に恋々とするならば玉も石もすべてを失い、私の罪はもっと重くなりましょう。陛下は私などお捨てあそばして、この国を守ってくださいませ。
高力士:楊貴妃様はすでに命を捨てるお覚悟。陛下にはどうか国を守り、耐えて恩愛の情を断ち切ってくださいませ。
玄宗:もはやこれまでだ。貴妃がこのように覚悟を決めてしまったからにはどうすることもできぬ。高力士よ、貴妃のするにまかせよ。
実際はどうだったのでしょうか?恐怖に錯乱して逃げまどう姿の方が楊貴妃に似合っている気がしますが、この芝居ではあくまで美しく気高い楊貴妃を描いています。
月宮にて再会する
こうして玄宗皇帝と楊貴妃はこの世とあの世に引き裂かれますが、道士の活躍で月の宮で再び出会うことができました。この場面は最後の幕・第50幕に出てきます。
非常に美しい、昆曲にふさわしい場面です。
玄宗皇帝:天の道ははるかかなた、どうやってあそこまで行くのか?
道士:ご心配にはおよびません。仙橋をかけ、月の宮にご案内します。
玄宗皇帝:おお、仙橋が空に現れた。渡っていくとしよう。
(楊貴妃とも縁のある天上の楽の音が流れてくる)
嫦娥:私は月のあるじの嫦娥と申します。
近頃唐の楊貴妃が仙人界に入ったと聞きました。思いがけなくも織女様が彼女の想いの深さをあわれんで素晴らしい縁を再び続けさせようと、この月宮で二人を再会させるお考えです。
こうして二人は涙の再会を果たし、嫦娥や織女など月の宮の女神、仙人に囲まれ、天上界の夫婦となったことを祝福されたのでした。
『長生殿』は、昆劇団が訪日公演をする際よく上演されます。上演されるのは50幕のうちの一部だと思いますが、日本人にもよく知られたストーリーなので楽しめるでしょう。上演の際は日本語訳の字幕がつきます。
和菓子の「長生殿」とどっちが先?
中国の戯曲『長生殿』と同名の和菓子「長生殿」というものが石川県にありますが、これはどちらが先にできたのでしょうか?
実は石川県の和菓子の「長生殿」のほうがやや先にできました。どちらも白居易(772年~846年)の「長恨歌」が元になっていますが、和菓子のほうが加賀藩の前田利常(1594年~1658年)の時代作られたのに対して、戯曲の方は1688年ごろに完成したと言われています。
800年ほど前の漢詩をもとに、お菓子や戯曲が全く別の場所で近い時期に作られるというのも面白いですね。