中元節(お中元)の由来と習慣
中元節とは中国の伝統行事の一つで、旧暦7月15日に行われてきました。
日本でも「お中元」と呼ぶ習慣があり、これは平素お世話になっている人に贈り物をする習慣ですが、これはもともと中国の中元節に由来しています。
目次
- 1. 中元節の由来
- 2. 中元節には「灯ろう流し」
- 3. 中元節の歴史的変遷
- 4. 日本の「お中元」の由来
- 5. ハロウィンと「鬼節」
中元節の由来
昔中国では春節の15日(春節…旧暦の正月から15日目、2度目の満月の日)を「天官大帝の誕生日」とし、これを「上元節」(元宵節とも)と呼びました。7月の15日は「地官大帝の誕生日」でこれが「中元節」、10月15日が「水官大帝の誕生日」で「下元節」と言いました。
後に民間において、7月15日は地府(地獄)の門が開き、死者の霊魂が赦される日だという言い伝えがあり、そこで中元節はだんだんと「鬼節」(死者の日)という意味を持つようになりました。またこの日は仏教の「盂蘭盆会(うらぼんえ)」(いわゆるお盆)とも重なり、こうして7月15日はこの二つの行事が習合し(異なる神々や宗教的教義が同一化すること)一体化して日本にも伝わりました。
中元節には「灯ろう流し」
中国人はかつて中元節には灯ろう流しをしました。
中元節の日には地獄の門が開き、祖先の霊が戻ってきて家族との団らんを楽しみます。そこで子孫たちは祖先をお祭りしお墓参りをし、灯ろうに火を灯して死者が帰る道を照らすのです。
上元節(元宵節とも)にも灯ろうを灯しますが、上元の灯ろうと中元の灯ろうとは異なります。陰陽の考え方によると、人は陽、死者は陰、陸は陽、水は陰です。水は神秘的で暗く、伝説の中の幽冥地獄を連想させます。昔の人は、死者の魂はこうした水底に存在すると考えていました。ですから上元の灯ろうは地上に灯すのですが、中元の灯ろうは川に浮かべました。
河に浮かべる灯ろうは「河灯」と呼ばれますが、「荷花灯」(蓮の花の灯ろう)とも言います。「河灯」は提灯の底にロウソクを置き、中元の夜、川や湖、海に浮かべ流します。こうして水中に沈んだ死者の魂や弔う親族のいない魂を救うのです。
中国の東北出身の女性作家・蕭紅は『呼蘭河伝』の中で、この行事について以下のように書いています。
7月15日は「鬼節」(死者の日)、怨みを呑んで亡くなった魂は生まれ変わることができず、地獄で苦しむしかない。生まれ変わりたくても帰る道が見つからない。この日もし河灯ろうがあったなら、これを寄る辺として生まれ変わることができるのだ…
陰の世界から陽の世界への一筋の道は非常に暗く、もし明かりがなければ道を見つけることができません。河に流される灯ろうは死者の魂を救い出す大切な明かりとなっているのです。
日本の夏の風物詩「灯ろう流し」もここに起源を持つのでしょう。単に灯ろうを水に映すときれいだからというわけでなく、水が死者の世界を意味するものだから、その死者を救う寄る辺として灯ろうを流したのです。
中元節の歴史的変遷
1920年代から40年代にかけて、中元節は中国全土で七夕節や清明節より盛んに行われていました。人々は一族で先祖をお祭りする習俗を代々守り続けていました。
戦後も各寺院や廟ではこの日、戦死した兵士を弔い称える祈祷を行っていました。
50年代以降、新中国となった中国大陸では「中元節などは封建社会の迷信だ」という声があがり、次第に廃れていきました。
60年代の半ば、北京の北海公園で最後の中元節が行われました。北海公園の湖には至る所ナスで作った灯ろうが浮かび壮観だったそうです。
文革時代になると、清明節を除いてすべての伝統節句は取締の対象となり、中元節も免れることはできませんでした。
1980年代、改革開放時代になっていろいろな伝統行事が少しずつ復活してきましたが、中国大陸のほとんどで中元節が復活することはありませんでした。
日本の「お中元」の由来
中元節はお盆の行事などとともに日本に伝わりますが、江戸時代からお盆に供物などの贈り物をする習慣が生まれ、こうして「お中元」と言えば「夏の贈り物」を意味するようになっていきました。
ハロウィンと「鬼節」
中国語ではハロウィンのことを「万聖節」とか「鬼節」と言います。日本でも近年盛んになったハロウィンですが、中国でも若者を中心に盛り上がっているようです。これは中国の若者に大人気のコスプレブームとも関係があるのでしょう。
若者の間のハロウィン熱とは裏腹に、伝統の「鬼節」(中元節)…要するに「お盆」のことですが…は消えつつあります。
では中国ではお墓参りなどはしないのかというと、家族や親族、祖先のお墓参りは毎年4月5日ごろの「清明節」にします。この日は土日などを使って3日休みになります。
日本の灯ろう流しはお盆の頃、戦災や災害などの死者の魂を慰めるために行われますが、こうした不特定多数のための慰霊は、中国では公的なもの以外は行われないと言っていいでしょう。中国はあくまで各「家」単位の社会なのです。これに比べると日本は日本そのものが一つの共同体。この意識が中国に比べるときわめて強いことが、灯ろう流しの慣習からも見えてきます。