胡琴と二胡 【歴史・構造・代表曲】
目次
- 1. 「胡琴」とは
- 2. 「二胡」とは
- 3. 「二胡」の構造
- 4. 「胡琴」と「胡弓」
- 5. 『胡琴』(二胡)の代表的な作品…『二泉映月』
「胡琴」とは
「胡琴」とは、長い柄のついた胴に蛇の皮または桐の板を張った擦弦楽器の総称です。擦弦楽器とは弦をこすって音を出す楽器のことです。
「胡琴」は11世紀の2弦の「奚琴」(けいきん)が源流ですが、「奚琴」とは奚(4世紀から10世紀頃までモンゴルから中国大陸東北部にかけて存在した遊牧民族の国)から中国に伝わった擦琴楽器のことです。
「胡琴」と呼ばれる楽器は非常に種類が多いのですが、いずれも弦の数は2本で、弦は以前は絹、現在は金属弦です。
「二胡」とは
「胡琴」に含まれるいろいろな「擦弦楽器」の中で最も有名なものは「二胡」(にこ)です。「二胡」は別名「南胡」とも言いますが、伝統的な二胡は紫檀などで作った六角形や円形の共鳴胴に蟒(ニシキヘビ)の皮を張ったものです。
六角形の共鳴胴に蛇皮を張ったものを「京胡」と言い、京劇や川劇など伝統演劇の伴奏に使われます。
「高胡」は二胡をもとに絹糸の弦を金属弦に張り替えたもので、1920年代に作られ、粤劇や広東音楽で使われます。
このほかにも芸能の用途や地域別にたくさんの「胡琴」があり、それぞれに名前が付けられています。
「二胡」の構造
「胡琴」の代表「二胡」の構造は、竹製または木製の胴、硬木の棹(さお)、糸巻から成り、胴は円形、六角形、八角形など。胴の片側には蛇皮が張られ、もう片側には花窓が作られています。棹の上部に湾曲した頭の部分があり、その下に糸巻が二つあって内弦と外弦に分かれています。弓を2本の弦の間に当てて弾きます。
「胡琴」と「胡弓」
「胡琴」は日本語では「胡弓」(こきゅう)と訳されますが中国との関係は不明で、「胡弓」は日本語においては日本の伝統楽器と伝統的な擦弦楽器の総称を指します。中国語に「胡弓」はありませんので、「胡弓」を中国語読みしても意味は通じません。
『胡琴』(二胡)の代表的な作品…『二泉映月』
『胡琴』(二胡)の代表的な作品に『二泉映月』があります。
この作品は二胡のストリート・ミュージシャン華彦鈞(阿炳とも。1893~1950)の作曲で、憂いをたたえた曲調の中に力強さのある名曲です。
阿炳(「ビンちゃん」というニュアンスの呼び名)で知られるこの路上の音楽家は無錫(上海の近く)で生まれ、道士であった父親から音楽の薫陶を受けますが、三十代で目を患い視力を失います。その後路上で二胡の演奏を披露することで生計を立てました。
その後1950年といいますから阿炳57歳、亡くなる年です。中央音楽学院の二人の教授が無錫にやってきて、すでに重い病を得ていた彼の演奏を録音します。その時この曲の名前を聞くと彼は「この曲には名前はない。手の動くまま奏で、長い時間の経つうちに今のような曲になった」と言います。さらに「あなたはいつもどこで弾いているのか」と尋ねると「街角とか、恵山の泉庭で弾いている」と答えます。
そこでこの曲は『二泉映月』と名付けられました。
なぜ二泉なのかというと、彼がよく演奏していたという無錫市内にある恵山のふもとに「天下第二泉」という泉があります。陸羽(733~804 唐代の文人)がその著書『茶経』の中で、この泉で湧く水をお茶を飲むのに最も適した水として天下第二位と書いたのでこ二泉という名がついているのです。
唐代の文人が愛した泉に映る月…風情のある名前でこの曲調によく合います。
ちなみにこの路上の芸人がなぜ有名大学教授の知るところとなり、まさにタッチの差でこの名曲を後代に遺せたのか。実は彼の隣人の息子が二胡好きでやがて音楽大学に入学し、ある時阿炳が教えてくれたこの曲を弾いていると、民間音楽の収集をしていた教授が耳にはさみこの録音に至ったのです。
阿炳自身の演奏の録音は今もネット上で聞くことができ、彼の人生をしのびながら聞くとより一層胸に沁みます。
「胡琴・二胡」以外の中国の音楽・楽器については、「中国の伝統音楽・楽器」のページで詳しく紹介しています。