玉と玉器【古代中国で権力者たちに重宝されてきた宝石の歴史】

玉

(ぎょく)とは、中国で昔から珍重されてきた石の一種です。霊力があるとされ、古代においては祭祀や埋葬にも使われました。古典の中で玉はしばしば比喩的に用いられています。

「玉」とは

」と書いて「ぎょく」と読みます。また、この玉を用いて作られた装飾や道具などを玉器(ぎょくき)と言います。

玉は石の一種ですが、中国では昔から珍重されてきました。

ホータンの玉
和田玉(ホータンの玉)。軟玉の一種。
ネフライト
ネフライト(軟玉)。
ヒスイ輝石
ヒスイ輝石(硬玉)。

玉には「硬玉」と「軟玉」があり、代以降、中国で用いられてきた玉は主に柔らかい軟玉で、鉱物的にはネフライトです。一方、硬玉は鉱物的にはヒスイ輝石によってできています。

軟玉には新疆で出る「和田玉」(ホータン玉)、陝西省で出る「藍田玉」(らんでん玉)、河南省で出る「独山玉」(どくさん玉)などがあります。

中国で最も愛される古玉は「和田玉」で、崑崙山(こんろんさん)で採れる軟玉です。崑崙山は西王母が住むという言い伝えがあることから、和田玉は「玉の王」と呼ばれて歴代の皇帝に愛されてきました。

崑崙山
崑崙山。和田玉の産地です。

硬玉には瑪瑙(めのう)などがありますが、これらは中国では18世紀まで珍重されることはありませんでした。古代中国人にとって玉の魅力とは、水晶のようにキラキラした透明感のある光沢ではなく、「潤沢以温」(うるおっていて温もりがある)光沢にこそあったのです。

玉の使われ方

中国においては古くから邪鬼を払い幸運をもたらすものと考えられていました。

新石器時代の玉璧
新石器時代の玉璧。璧とは祭祀や宝物として用いられた玉器です。
新石器時代の玉琮
新石器時代の玉璧。琮とは祭祀用の玉器です。

新石器時代にはすでに玉を身に付けたり祭祀に用いたりしており、玉を死者の口に含ませて埋葬したと思われる例もあります。

婦好墓
婦好墓。多くの玉器が出土しました。
年表
年表。の時代にはすでに玉器が使われていました。

殷墟の婦好墓(ふこうぼ…婦好は中国最古の女性将軍)からは755点もの玉器が出土し、当時の支配階級が玉器を収集していた様子が伺えます。

出土した玉器の形はさまざまで、礼器、装身具、飾り物、道具などに使われていたようです。

西周以降になると、玉は道徳的な意味合いも持つようになりました。

西周時代の鳥形佩
西周時代の鳥形佩。佩とは腰に下げる服飾の玉器です。

「君子は必ず玉を佩する」(立派な人物は必ず玉を身につけた)

「それ昔は君子徳を玉に比す。温潤にして沢あるは仁なり」(昔は君子の徳を玉にたとえた。温かみと潤いがある玉は仁を表している)

などの言葉が残っていますが、玉のこうした象徴的な意味こそ、玉が中国で愛されてきた理由だといわれています。

玉は呪力を持ち、身に付ければ魔除けとなり、玉を粉にして飲めば仙人になれるともいわれていました。

漢代の龜鈕玉印
漢代の龜鈕玉印。取っ手の部分が亀の形になっている玉器の印鑑です。

漢代前漢B.C.206~A.D.8 後漢A.D.25~A.D.220)では、玉を人体の穴…目、鼻、耳など9つの穴…に置けば人の精気は外に漏れず、その霊力によって遺体は腐敗しないと信じられていました。来世で再び生きようと願う帝や貴族は玉を用いて遺体を覆う衣を作らせました。

これが玉片を金銀の糸でつづって死者に着せた「金縷玉衣」(きんる ぎょくい)や「銀縷玉衣」(ぎんる ぎょくい)です。

玉はまた副葬品としても使われ、埋葬時に「含玉」・「葬玉」と呼ばれる玉を死者の口に含ませました。

1968年、中国河北省満城県西部の陵山の山頂付近で漢代の墓が発見され、それが武帝の異母兄である中山靖王劉勝(B.C.159頃~B.C.113…前漢の諸侯王。第6代皇帝・景帝の子)夫妻の墓であることがわかりました。この場所は今、満城漢墓(まんじょう かんぼ)と呼ばれています。

満城漢墓にある劉勝の墓からは玉を金糸でつづった金縷玉衣が出土しています。

玉衣の長さは1.88メートル、玉片は全部で2498個。玉衣は中年時に亡くなった劉勝の遺体の腹をかたどったのでしょうか、腹部が突き出ており、玉の両手は玉器を握っています。

発掘時この玉衣の中に劉勝の遺体や遺骨はなく、遺灰と思われる灰が少々残っていただけでした。

遺体に玉衣をつける習俗は後漢時代に盛んになりますが、後漢の次の魏の時代に、文帝(曹操の子・曹丕…A.D.187~A.D.226)によって禁止されました。

玉は身分を象徴します。諸侯は地方に封じられる時、「六瑞」(ろくずい)と呼ばれる玉器を授かります。これは王、公、侯、伯、子、男などの爵位ごとに形や大きさ、模様が異なります。また玉帯という腰につける装身具は帝王や高級官僚だけが用いることのできるものでした。

古典の中の「玉」

玉は中国の古典の中でも語られ歌われています。それらを以下に紹介しましょう。

『詩経』(中国最古の詩篇)

「言念君子、温其如玉」(あなたを思い出すと、玉のように暖かく優しかった)…『詩経

『礼記』(らいき…儒教の経典)

「古(いにしえ)の君子は必ず玉を佩する」(昔の立派な人物は必ず玉を身につけた)…『礼記

「それ昔は君子徳を玉に比す。温潤にして沢あるは仁なり」(昔は君子の徳を玉にたとえた。温かみと潤いがある玉は仁を表している)…『礼記

「昔者、君子比德於玉」(君子の徳は玉にたとえることができる)…『礼記

『説苑』(ぜいえん…前漢の劉向の選または編による説話集)

「玉に六美あり、君子はこれを貴ぶ」(玉には六つの美があり、君子はこれを尊ぶ)…『説苑』

『説文解字』(せつもんかいじ…中国最古の漢字字典。後漢の許慎の著)

石之美有五徳者。潤澤以温、仁之方也。…『説文解字』

(玉の美には五つの徳…仁、義、智、勇、潔…がある。温かみがあってしっとりとしているのは仁のようだ)

『紅楼夢』(清朝時代の18世紀に書かれた小説)

清代の『紅楼夢』は玉をめぐって繰り広げられる話で、天界から石ころが一つ、玉に化けて人間界に下り、主人公である賈宝玉(か ほうぎょく)一家、一族の人生を見届けた後また天上に戻るという内容です。

「和氏の璧」(故事成語)

和氏の璧」(かしのへき)という故事成語もあります。春秋時代の人が山の中ですばらしい玉の原石をみつけ、楚の王に献上しようとしますが、ただの石ころだと言われて足を斬り落とされてしまう話です。後にこの原石は玉器となり、の昭王に15の城と交換してでもほしいと言わせました。

玉への憧れが磁器に

古代中国人の玉への憧れはやがて人口の玉…青磁(せいじ…青緑色の磁器)や白磁(はくじ…白素地に無色の釉薬をかけて焼いた磁器)の誕生につながったといわれています。

明代の青磁器
明代の青磁器。
明代の白磁器
明代の白磁器。

翠玉白菜と肉形石

台湾にある「故宮博物館」には玉を用いて白菜をかたどった有名な作品があり、「翠玉白菜」と名づけられています。

同博物館所蔵の有名な作品には他に「肉形石」(にくがたいし)もあります。豚の角煮そっくりという面白い作品ですがこちらは玉ではなく碧玉(水晶(石英)の細かい結晶が集まってできた鉱物)でできています。

この博物館ではこの二つの作品を見るために長い行列ができています。

翠玉白菜
翠玉白菜。
肉形石
肉形石。