礼記の成立過程と内容の解説【儒教の経典】
『礼記』は「らいき」と読み、儒教の経典の1つです。
もともとは孔子やその門人たちによる礼に関する記録で、漢代以降整理されまとめられました。古代中国社会の礼法についてさまざまな側面から書かれています。
目次
- 1. 『礼記』とは
- 2. 『礼記』の成立について
- 3. 『礼記』各篇の名称とそのおおよその内容
- 4. 『礼記』本文紹介
『礼記』とは
礼記とは、儒教の経典で『儀礼』(ぎらい)、『周礼』(しゅうらい)とともに三礼といわれています。三礼のうち『儀礼』『周礼』は礼制について規定する経典ですが、『礼記』は礼制のそれぞれについて説明するという内容の経典です。
全49篇で、礼の通論、制度、喪服、祭祀、音楽などについて書かれています。
要するに古代の礼について書かれた本ですのでつまらなそうと思われるかもしれませんが、これを現代語訳付きで読んでみるととても面白い!古代中国で行われていた人としてのあり方、ふるまい方などがさまざまな角度から具体的に語られわかりやすいです。
『礼記』の成立について
『礼記』の成立については『隋書』経籍志にあり、それによると「漢代の初め、河間献王という人物が、孔子の弟子や後世の学者たちが遺した礼に関する記録を手に入れ、皇帝に献上した。その後漢の劉向がこれを整理し、さらに戴徳がこれを整理して『大戴記』と呼ばれた。後に戴聖が整理したものは『小戴記』と呼ばれた。漢代末の馬融はこの『小戴記』を受け継ぎ、後漢末の学者・鄭玄は馬融の教えを受けてこれに注釈を施した」等とあります。
『礼記』各篇の名称とそのおおよその内容
『礼記』各篇の名称とそのおおよその内容は以下の通りです。
名称 | 内容 |
---|---|
(1)曲礼上 (2)曲礼下 | 古代の言語、飲食、応対、 進退の作法について |
(3)檀弓上 (4)檀弓下 | 喪の礼について |
(5)王制 | 先王の祭祀、養老 などの法について |
(6)月令 | 各月の気候と政令について |
(7)曾子問 | 一般的な礼などについて |
(8)文王世子 | 周の文王の行いなどについて |
(9)礼運 | 礼が天地自然の理をそなえて いることなどについて |
(10)礼器 | 礼を行う時に用いる 器などについて |
(11)郊特牲 | 祭祀について |
(12)内則 | 父母や舅姑につかえる 法などについて |
(13)玉藻 | 天子の日常生活での衣服、 飲食などについて |
(14)明堂位 | 古代の礼楽、器具などについて |
(15)喪服小記 | 喪礼の雑事について |
(16)大伝 | 祖宗人親の大義について |
(17)少儀 | 年長者につかえる礼儀について |
(18)学記 | 教学について |
(19)楽記 | 音楽について |
(20)雑記上 (21)雑記下 | 喪事について |
(22)喪大記 | 喪について |
(23)祭法 | 祭祀について |
(24)祭義 | 祭祀の義理について |
(25)祭統 | 祭祀の義理について |
(26)経解 | 経典を教える場合などについて |
(27)哀公問 | 礼と政について |
(28)仲尼燕居 | 礼の効用について |
(29)孔子間居 | 君主の務めについて |
(30)坊記 | 聖人が礼を教えることについて |
(31)中庸 | 天と人が同じ真理の下に あることについて |
(32)表記 | 仁について |
(33)緇衣 | 君主と民の関係などについて |
(34)奔喪 | 喪礼について |
(35)問喪 | 喪に居るの礼について |
(36)服問 | 喪に服する義について |
(37)間伝 | 喪礼について |
(38)三年問 | 三年の喪について |
(39)深衣 | 深衣の制度について |
(40)投壺 | 矢を壺に投げ入れる礼 について |
(41)儒行 | 儒者の行いについて |
(42)大学 | 成人が学ぶべきことについて |
(43)冠義 | 成人が冠を受ける礼について |
(44)昏義 | 婚礼の意義について |
(45)郷飲酒義 | 郷飲酒礼の義について |
(46)射義 | 弓射の義について |
(47)燕義 | 天子や諸侯、臣下の 宴会の義について |
(48)聘義 | 聘礼について |
(49)喪服四制 | 喪のいろいろな規定について |
『礼記』本文紹介
では『礼記』の本文のいくつかを下に紹介しましょう。
(曲礼)から
傲(おごり)は長ずべからず。欲は従(ほしいまま)にすべからず。志は満たすべからず。楽(たのしみ)は極むべからず。
現代語訳
傲慢さは野放しにさせてはいけない。欲望は気持ちの赴くままにしてはいけない。志は満足させてしまってはいけない。楽しみは極めつくしてはいけない。
現代人に向けた言葉としても通じます。
貧しき者は貨財をもって礼となさず、老いたる者は筋力をもって礼となさず。
現代語訳
貧乏人が無理をしてお金を使ったり、老人が無理をして力仕事をしたりしても誠意を尽くしたことにはならない。無理をして見栄を張ることは礼ではない。身の丈にあったことで誠意を尽くせ。
父のあだはともに天を戴(いただ)かず、兄弟のあだは兵にかえらず。交遊のあだは国を同じくせず。
現代語訳
父親の仇とは同じ天の下に生きず必ず仇の命を奪う。兄弟の仇にあえば武器を取りに家に帰るようなことをせず、常にこれを準備しておく。友人の仇とは同じ国には住まない。
このあたりはいかにも古代の話です。
国君は春の田に沢を囲まず。大夫は群れをおおわず。士はべい卵を取らず。
現代語訳
君主は春の狩場で獲物を獲り尽くすようなことはしない。大夫は獣を群れで獲るようなことはしない。士は鳥や獣の卵を取るようなことはしない。
乱獲の戒めです。古代人は自然保護の大切さを知っていました。
人臣たるの礼は、あらわには諫(いさ)めず、三度諫めて聴かれざるときはすなわちこれを逃(さ)る
現代語訳
臣下としての礼は、あからさまに主君を諫めたりせず、何度も婉曲に言って聞いてもらえなかった場合、主君の元から去るべきである。
古代の独裁社会だからといって、異論が許されないということはなかったのですね。
(王制)から…長いので現代語で要約します。
現代語訳
中国と四方の蛮人にはそれぞれ異なる性質や習慣がある。
東の蛮人を夷という。彼らはザンバラ髪で、体には入れ墨をし、生ものを食べる者がいる。南の蛮人を蛮という。額に入れ墨をし、座る時は両足を向かい合わせにして親指を交える。生ものを食べる者がいる。西の蛮人を戎という。ザンバラ髪で獣皮をまとい、穀物を食べない者がいる。北の蛮人を狄という。鳥獣の毛皮をまとい、洞穴に住む。穀物を食べない者がいる。このようにそれぞれ皆異なる。中国人と四方の蛮人たちとでは言葉も通じないし好みも異なる。気持ちを通じ合わせるためにはそれぞれ通訳がいる。
古代中国では中原の地の文明を持たない者はすべて蛮人でした。東西南北にそれぞれ蛮人がいて、東夷、南蛮、西戎、北狄と呼ばれていました。
ちなみに古代日本人は中国の史書では「東夷伝」に現れます。
この文は、統治者は治める国の各地方の人民の性質をよく知っていなければならないという側面から書かれたものですが、当時中原(中国の中心地。今の黄河中下流域を指す)に住む人々の文明度は周囲の異民族に比べて圧倒的に高かったので、彼らにとって周囲の異民族はすべて蛮人でした。
さらに三国志の時代の後になると、周囲の異民族が中原に押し寄せ、長江以北の地は彼らによって統治されるようになりました。隋や唐の皇帝もみなこうした異民族の血筋だといわれています。
(学記)から…現代語訳による要約
現代語訳
大学での教え方には4つの方法がある。(1)学生の悪習がまだ発生していないところでそれを禁じること。(2)学生の学習意欲が高まったところで教えること。(3)年齢やレベルに合わせて教えていくこと。(4)学生がお互いに相手の長所を見て自主的に学べるようにさせること。
大学は今の大学ではなく、成人を教育する場所ですが、今の大学の教育法としても通用するかもしれません。
(表記)から
子これを言う、仁は天下の表(ひょう)なり。義は天下の制なり。報は天下の利なり。
現代語訳
孔子先生はこのように言っている。仁はすべての人にとっての目標である。義はすべての人が正しさを身につけるようにするための制裁である。礼はすべての人が互いに報いあい、なごやかにつながるために役立つ道具である。
原文にあるように礼を「報」ともいうのは、人が互いに報いあうからだそうです。お互いに敬意を贈り合い睦みあうということでしょうか。礼の本質が書かれているようです。