丞相の歴史と役割・有名な人物

丞相

丞相じょうしょうとは、中国古代における役人のトップ、古代の「首相」を意味します。戦国時代秦国で使われるようになり、明代初年に廃されました。

※上の画像は丞相となった魏の曹操。

丞相とは

丞相(じょうしょう)とは、古代中国の王朝において、国王や皇帝に仕えた役人のトップのことです。現代でいうと国王や大統領がいる国での「首相」に相当します。

ちなみに「丞相」という漢字の「丞」とは「命令を受ける」という意味で、「相」は「助ける」という意味です。

丞相は2人いる場合があり、その時はそれぞれ「左丞相」「右丞相」と呼ばれました。この場合の序列は秦代漢代では右丞相が上、三国後の魏や晋の時代になると、左丞相が上になりました。

丞相は時代によって置かれたり置かれなかったりしています。以下では丞相とその変遷を紹介します。

丞相とその変遷

秦代:丞相という官職名を始めて使ったのは戦国時代の秦の武王(第27代国王)です。

始皇帝時代の丞相に李斯(りし)がいます。

前漢:前漢時代の丞相は御史大夫(ぎょし たいふ)・太尉(たいい)とともに「三公」と呼ばれ、そのトップが丞相でした。前漢の最盛期を作った武帝(ぶてい…第7代皇帝)の時代には、皇帝側近が重んじられ、丞相の地位は下がりました。

哀帝(前漢末の第12代皇帝)時代に丞相の名は廃されて「大司徒」となりました。

後漢:後漢時代の三公は、「太尉・司徒司空」で、丞相という官職名はありませんでしたが、後漢末に曹操が丞相を復活させ自分が丞相となりました。

三国時代(魏・蜀・呉): 魏では曹操のあとしばらく丞相は置かれず、魏の後期に司馬懿(しば い)が丞相に任命されました。

蜀では諸葛亮が丞相になりました。

呉では丞相は顧問役にすぎず実権はありませんでした。

三国から西晋・東晋、南北朝の360年間は、一時期を除くと丞相は置かれませんでした。

隋朝では丞相は置かず、唐宋も基本的に丞相は置きませんでした。

元では中書省に丞相を置きました。

秦代から明朝初年に朱元璋(しゅ げんしょう…1328~1398)が丞相という官職を廃止するまでの1600年、上記のように丞相は置かれたり置かれなかったりで、官職名としての丞相が歴史に存在した時期は長くはありませんでした。

年表
年表。

丞相・宰相・首相

日本では丞相という言葉は使われてきませんでしたが、宰相の方は「昭和の歴代宰相」といった具合に今も使われています。どちらも中国から伝わった言葉で、ともに君主を支える役人のトップという意味です。ではどう違うかというと、「丞相」は正式な官職名で、「宰相」は通称で、正式には使われませんでした。「宰相」の「宰」は「コントロールする」「管理する」という意味ですが、「引き受けて助ける」という意味も持ち、「宰相」は後者の意味を持ちます。「宰相」の「相」も「助ける」という意味で使われています。

ちなみに日本語では「内閣総理大臣」のことを「首相」ともいいますが、中国語に「総理」はあっても「首相」という呼称はありません。毛沢東の補佐役として有名な「周恩来総理」は日本語では一般に「周恩来首相」といいますが、中国語に「首相」という呼称はなく、必ず「周恩来総理」といいます。

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