紙の発明と歴史 【古代中国での発明と蔡倫による改良】

紙の発明と歴史

は古代の中国において発明されました。今から二千数百年前、紀元前のことです。長年、蔡倫によって発明されたと言われてきましたが、近年では蔡倫より前の時代に紙が作られていたことが発掘調査によって判明しています。ここでは紙の歴史やそれに関するさまざまなエピソードを紹介します。

紙の原理

とは「いたり砕いたりした繊維を水の中で細かい(竹やあしを編んだもの)の上に置いて水は流し、簾に残った繊維体を乾かしたもの」のことです。紙を作るためのこの原理は現代に至るまで基本的には変わっていません。このすばらしい工程を発見・発明、更には改善していったのは古代の中国人。ではいったいいつ頃誰によって「紙」は作られるようになったのでしょうか。

紙はいつ生まれたか

紙は、後漢の宦官であったさいりんが発明し105年に皇帝に献上したと言われていました。が近年古い遺跡から次々と文字の書かれた「紙」が発掘され、蔡倫の時代よりも300年ほど昔、つまり前漢の中期ごろから紙は使われていたことがわかってきました。

紀元前数百年、ふるわたやぼろ布を洗って平らな場所に置いたまま忘れてしまっていると、それらが風化してボロボロになりそのまま乾燥してやがて薄い膜のようなものができ…こうした偶然の結果、紙の先祖は生まれたと想像されています。

蔡倫と紙

ではなぜ蔡倫が紙を発明したと言われるかというと、書写の道具として存在はしていても価値あるものとは思われていなかった「原始的な紙」を、蔡倫が画期的な書写の道具として開発し、しかも原始的な紙であっても作るには一苦労であった工程をもシンプルかつ大量生産が可能なものにしたからです。

蔡倫は湖南省に生まれ、西暦75年に宦官として宮廷に上がり尚方寺という部署で働いていました。この部署は器械や兵器を監理、製造するところでした。当時の皇帝は和帝、その皇后は鄧綏とうすいと言いますが、この皇后は美しかっただけでなく学問好きで人間としても優れていたと言われます。この鄧皇后が蔡倫に紙を作る実験を命じるのです。つまり今も生活に欠かせない紙はこの蔡倫と鄧皇后の出会いの結果生まれたと言えましょう。蔡倫は才能豊かで人柄も誠実だったと伝えられ、紙の材料としてさまざまなものを使って実験を重ね、西暦105年に紙造りを完成させるとこれを皇帝に献上します。

この時代、蔡倫以前に作られていた「紙」は桑の樹皮に水を加え叩いて伸ばしたものをにかわでつなぎ合わせたもので、一人の職人なら一日2、3枚しか作れませんでした。蔡倫の作った紙「蔡侯紙 さいこうし」は、さまざまな植物の繊維を水に浸してから叩いてドロドロの状態にし、その水気を絞って乾燥させて作りました。その後「紙」は中国全土に伝わっていきましたが、それまで使われていた書写の道具、竹簡や木簡に取って代わるまでにはまだしばらく時間がかかりました。

紙が使われるようになる以前、中国で文字は竹簡や木簡、または絹に毛筆で書かれていましたが、紙の発明により、竹簡や木簡のようにかさばらず、絹のように高価でない紙は中国全土に普及していきます。それでも竹簡は依然として重用され紙との併用時代が続き、完全に紙が竹簡に取って代わったのは晋代(265~420)になってからでした。紙が発明されているのになぜすぐ紙の時代にならなかったのか不思議ですが、美しい美術品のような竹簡に比べて紙はなんとも安っぽく、高尚なものを記すにふさわしくないと考えられていたのです。パソコンが発明され、かさばる紙は使わなくてもよさそうなのに紙が消滅することのない現代の状況にも似ているかもしれません。

蔡倫以降、後漢では何人もの職人たちが紙の改良に取り組みます。たとえば蔡倫の弟子・孔丹は故郷の安徽省宣城で紙造りに取り組み、青檀せいたんの古木の皮を使って素晴らしい紙を作ったと言われています。これが有名な「宣紙」で、日本では「画仙紙」とも呼ばれました。

また左伯(西暦200年頃の山東省の人)の作った紙も非常に美しく、当時の文人は左伯の紙を最も高く評価し、後漢の文学者で有名な書家の蔡邕は左伯の紙でなければ文字を書かなかったと言われています。

晋代から唐に至る時期は紙が一層改善された時期で、簾には極細の竹が使われ、そこに紙薬や殺虫力のある薬も加えて、紙の永久保存が可能になりました。また書写の道具としてだけではなく、絵や扇、灯ろうや傘、凧などにも紙が使われるようになりました。

紙の伝播

やがて紙はその製造法とともに、日本など東アジアやベトナムなど東南アジアに伝わり、さらに中央アジア、イスラム世界、そしてインドやヨーロッパに伝わっていきます。日本に伝わったのは7世紀のことです。イスラム世界では9世紀ごろに政治の世界で紙が使われるようになりました。アラビアの紙はその後スペイン・イタリア・ギリシアに伝わります。スペインで紙が作られるようになるのは11世紀です。やがて14世紀後期になるとアルプスの北へも伝わっていきます。中国人が紙を使うようになった時代に比べると千年以上も遅れていますが、ヨーロッパがなかなか紙を取り入れようとしなかったのは、十字軍(11世紀から13世紀にかけて前後8回、西ヨーロッパのキリスト教国がイスラム世界に送った遠征軍のこと。聖地エルサレムをイスラム諸国から奪還しようとした)以降イスラム世界から入ってくるものはすべて敵視したからだと言われます。紙は元々中国で作られたとは思われていなかったのです。

では中国以外の世界では紙の代わりに何を使っていたのでしょうか。

紙以外の書写道具

文字を初めて作ったのは紀元前4000年ころのメソポタミアのシュメール人です。彼らが作ったくさび文字は粘土板に尖筆で書かれました。

エジプトでは紀元前3200年頃からヒエログリフ(聖刻文字)という象形文字が使われており、この文字はパピルスに書かれました。今言う「紙」、つまり「ペーパー」という言葉はこのパピルスに由来しています。

パピルスは、パピルス草のずいを細かく裂きこれを格子状に並べて圧力をかけ、シート状にしてから木づちで何度も叩き、表面を滑らかにしたものです。パピルスは粘土板に比べると作りやすくまた安上がりで持ち運びにも便利でした。古代ギリシアや古代ローマでパピルスは社会、政治、文化などさまざまな場面で使われ、古代文明の発展に寄与しました。ただパピルスは湿気に弱く保存するには難がありました。またパピルス草が豊富に得られる場所もナイル川河口と河畔に限られていました。

トルコでは紀元前3世紀から羊皮紙が作られていましたが、羊皮紙は作るのに手間がかかりまたかなり高価なものでした。1冊の本を書くのに200枚以上の羊皮が必要だったと言います。そこで紙以前の時代、ヨーロッパでは重要性の高い内容は羊皮紙に、そうでないものはパピルスに書かれていました。たとえば聖書は羊皮紙に、覚書や領収書などはパピルスに書かれていました。4世紀、聖アウグスティヌス(古代キリスト教の神学者の一人)が手紙を羊皮紙ではなくパピルスに書いたことを詫びている記録が残っています。

発掘された蔡倫以前の紙

ヨーロッパでは長く、紙はギリシアかアラブで発明されそれが中国に伝わったと思われていました。中国では『後漢書』に西暦105年に蔡倫が紙を開発して和帝に献上したと記されており、ここから紙の発明者は蔡倫とされてきました。

ところが近年中国の西北部で次々と古紙の残片が発掘されています。たとえば

1934年新疆ウイグル自治区のロプノールで出土した麻紙1片は紀元前1世紀のものでした。

1957年陝西省西安で出土した古紙88片の年代もほぼ同じ紀元前1世紀。

1973年から74年には甘粛省で麻紙2片も同じく紀元前1世紀。

1986年に甘粛省天水市で出土した麻紙1片は紀元前2世紀のものでした。

また1975年湖北省で出土した戦国時代(中国)の竹簡には「紙」の文字があり、紙が前漢以前にすでにあったことが伺われます。

こうして紙が蔡倫の時代をさかのぼること200年、あるいはもっと以前からあったことが考古学的に証明されています。

紙の発明と歴史・参考年表
紙の発明と歴史・参考年表。

中国で作られたさまざまな紙

唐代の紙…この時期、紙は一層改良され生産量も増えました。この時代に作られた「貢紙」は朝廷に納めさせた特別に美しく上質の紙のことです。長安や洛陽の秘書監(皇家図書館)の本はすべて四川省産の貢紙を用いて書写したと言われます。またより標準的な紙は「印紙」と呼ばれ、店や寺院などで帳簿用に使われました。

宋代の紙…宋代では造紙原料として竹を用い、造紙業の中心地としては浙江省、安徽省、四川省などがありました。南唐の後主・李煜(り・いく)が四川省のすぐれた職人を招いて作らせた紙は「澄心堂紙」と呼ばれ、上品な紙質で珍重されました。

元代の紙…マルコ・ポーロの『東方見聞録』には元では紙幣が流通していること、紙銭を焼いて死者に供える習俗があることが記録されています。

明代の紙…竹を主原料として、日常生活のさまざまな用途や美術などに紙は使われました。また明代末期に書かれた『天工開物』(産業技術書)には紙造りの工程が書かれています。

紙の制作手順-1
『天工開物』に書かれた紙の制作手順-1。竹を切りため池に100日以上つけておく。
紙の制作手順-2
『天工開物』に書かれた紙の制作手順-2。叩いて皮を取り繊維状にした竹を煮る。
紙の制作手順-3
『天工開物』に書かれた紙の制作手順-3。繊維状になった竹をすだれですく。
紙の制作手順-4
『天工開物』に書かれた紙の制作手順-4。
簾を裏返し、紙を積み重ねる。
紙の制作手順-5
『天工開物』に書かれた紙の制作手順-5。
火であぶり、紙を乾かす。

紙はどんなものに使われたか

紙は書画のために開発されただけでなく、生活に不可欠なものとしても使われました。たとえば書画に無縁の庶民であっても「手紙」「紙銭」「草紙」は欠かすことができません。「手紙」とはトイレットペーパーのことです。9世紀のころ中国からふるさとに戻った一人のアラビア人が「中国人は清潔さにあまり気を配らず、トイレで用を足した後水で洗わず、紙で拭く」と記録しています。葬儀の際今も焼かれて死者に捧げる「紙銭」は冥銭とも呼ばれ、南宋の頃から全国に普及していきます。漢民族だけではなく少数民族も、庶民だけでなく朝廷でも行われた習俗です。「草紙」はトイレットペーパーとして使われるほか、火薬や薬を巻いて包む、包装紙として用いられました。

奇想天外な紙の使い方としては『隋書』に、北斉の文宣帝が囚人を紙の凧に縛り付けて飛ばして処刑するよう命じたという話が載っています。

和紙

和紙

和紙は中国の技術を導入したあと、研究・改良を経て日本独自のものにしました。現代の博物館や美術館で、古代の文献の修復に使われているのは和紙のみだそうです。

和紙はコウゾを原料に冬の2週間ほどをかけて作られます。コストや効率を重視する中国の紙造りに比べると、日本では質や美意識がより追求されました。他に例を見ないほど丁寧で繊細な紙漉きの技術を発展させ、9世紀遣唐使の時代すでに、彼らが日本から持っていった和紙は中国人に珍重され、唐の玄宗皇帝も文字を書くのに和紙を好んだと言います。「中国が紙を発明し利用したが、日本はそれを育てかつ尊んだ」と言う欧米人もいます。日本人らしいモノづくりの精神はかなり古くからあったのですね。

和紙は2014年にユネスコ無形文化遺産に登録されました。

紙の今後

13世紀中国大陸を治めていた元にやってきたマルコ・ポーロ(13~14世紀に生きたベネチアの商人。『東方見聞録』の著者)は「中国では紙幣を使っている!」と目を見張っています。貴重な金属でできた貨幣に代わって、無価値な紙のお札が流通していることに驚いたのです。その中国でいまやお札が使われることは少なくなり、QRコードなどのスマホ決済に移り変わりました。

お札万能の日本でも、紙の新聞や雑誌は急減しています。本やノートも遠からず消えていく運命かもしれません。

といって紙という優れものが完全に消滅することは考えられません。本や書写以外の分野でさまざまな用途に使われていくのではないでしょうか。特に質と美を追求してきた日本の和紙はそうした分野で活躍できそうな気がします。