四書五経~儒教の9冊の経典の成り立ちと概略~
四書五経(ししょごきょう)とは、儒教の思想を著した経書のうち四書と五経のことです。四書には『大学』『中庸』『論語』『孟子』があり、五経には『易経(周易)』『書経(尚書)』『詩経』『礼記(儀礼)』『春秋』があります。
四書五経とは
儒教の経典のうち、『大学』『中庸』『論語』『孟子』を四書といい、『詩経』『書経』『周易』『春秋』『礼記』を五経といいます。南宋の儒学者朱熹は四書を重んじ、五経は前漢武帝がこれを研究する「五経博士」を設置しました。
『大学』は『礼記』42篇のことで、内容は「修己治人」について。
『中庸』は『礼記』31篇のことで、中庸の徳について。
『孟子』は孔子の思想を継承して、孟子またはその弟子が書いたもの。
『詩経』は周代初期から孔子が生きた時代までの詩を集めたもの。
『書経』(尚書とも)は堯舜時代・夏・殷・周の時代の政治の心得などを書いた書。
『易経』(易・易経とも)は占筮のやり方と占いの言葉を記した書。
『礼記』(儀礼)は礼について書かれた書。
四書の成り立ち
北宋の儒学者である程顥(てい・こう)と程頤(てい・い)が儒教の入門書として『大学』『中庸』『論語』『孟子』を選びました。
この二人の兄弟は二程子とも呼ばれ、のちの宋学(朱子学ともいう)の先駆者とされています。
南宋の儒学者朱熹(しゅ・き…1130~1200)は二程子の選んだ四書に注釈を施し、『大学章句』『中庸章句』『論語集注』『孟子集注』を著しました。
この4冊は『四書章句集注』或いは『四書集注』(ししょ しっちゅう)と呼ばれています。
元代の仁宗からは四書が科挙の必須科目となり、これは清末に科挙が廃止されるまで続いたので、朱熹の『四書集注』は広く読まれ、士大夫の思想として日本など広く東アジアにも影響を与えました。
四書の内容紹介
では四書の内容を簡単に紹介します。
『大学』
『大学』はもと『礼記』第42編のことです。
大学とは小学に対するもので、成人の学問を意味します。
「修己治人」(己を修め人を治める)方法が体系的に示され、「明徳を明らかにする」「民を新たにする」「至善に泊まる」の3綱領を学問の目的としています。
また「物に格(いた)る」「知を致す」「意を誠にする」「心を正す」「身を修める」「家を斉(ととの)える」「国を治める」「天下を平らかにする」の8条目は目的達成のための順序です。
『中庸』
『中庸』も『大学』同様、元は『礼記』の第31編です。
孔子は「中庸」を最高の徳としており、『中庸』では「中庸の徳」を中心に書いています。
「誠は天の道なり。これを誠にするは人の道なり」とあり、誠を身につけるべきだとしています。
『論語』
『漢書』芸文志では『論語』について「論語は孔子がその弟子たちなどと問答をしたり、弟子たちがお互いに話をしたりした時の発言や、孔子から直接聞いた言葉を集めたものである。孔子が亡くなると、弟子たちはその言葉を集め、討論しながら編集していった。そこでこれを論語と呼ぶ」と書いています。
『孟子』
孟子は、孔子が編集したとされる『詩』や『書』を整理し、孔子の思想を継承して『孟子』7篇を書いたと言われています。また孟子の死後、その弟子たちが書いたという説もあります。
五経の内容紹介
前漢の武帝が置いた「五経博士」における五経とは『詩経』『尚書』『周易』『春秋』『儀礼』の5冊を指します。
唐代の太宗は学者の孔穎達に命じて「五経正義」をまとめ、以後これがいわゆる「五経」を指すものとなりました。こちらでは『周易』『尚書』『毛詩』『春秋左氏伝』『礼記』が「五経」とされています。
それではこれら五経の内容を簡単に紹介します。
『詩経』
周王朝の初期から春秋時代、孔子が生きた時代までの約500年間の詩を集めたもの。全305編。孔子による編纂とされています。
『詩経』は『毛詩』とも呼ばれます。『詩経』が『毛詩』ともよばれるのは、前漢時代『詩経』のいくつかのテキストのうち、毛という姓の二人の人物が記した『毛詩』に後漢の鄭玄が注釈をつけて『毛詩鄭箋』を著し、これ以後『詩』或いは『詩経』といえば『毛詩』を指すようになったためです。
『詩経』は風(ふう)・雅(が)・頌(しょう)の3つのジャンルに分けられています。
風…諸国の民謡。周王朝時代には各国の詩を集める採詩官がいて、王はその詩によって各国の風俗や人情を知り、政治の役に立てていたといわれます。
雅…朝廷における歌。
頌…神の前における祭りの歌。
『尚書』
堯舜時代・夏(か)・殷・周の時代全5代の政治の心得などを書いた本。
孔子が編集したとされています。
『論語』や『孟子』の中で『尚書』は単に『書』と書かれています。同様に『詩』と書かれることが多い『詩経』とともに、『尚書』は教養人が必ず学ぶべきものとされてきました。
『尚書』は夏・殷・周各王朝の歴史官の記録として伝わったものを孔子が編集したと考えられています。
『尚書』はまた『書経』とも呼ばれます。『尚書』と呼ばれるのは「孔子が編集した尚(たっと)ぶべき書」から来ています。
『周易』
占筮(せんぜい…筮竹で卦を立てて吉凶を占う)のやり方と占いの言葉を記した本。『易』『易経』ともいいます。
五帝の最初の帝・伏羲(ふくぎ)が八卦(はっか)を作り、神農が八卦を重ねて六十四卦を作りました。
周の文王が卦辞(けじ…卦の意味を説明した文)を作りました。
周公が爻辞(こうじ…卦を構成する爻について説明した文)を作りました。
上記の内容を解釈した文を「十翼」といい、これは孔子が書いたといわれています。
『春秋』
『春秋』は、春秋時代の魯の国の隠公元年(BC.722)から哀公14年(BC.481)まで、12公、242年間の歴史書。
魯の国の歴史官が記録してきたものに、孔子が手を加えて編集しました。
中国最初の編年体(出来事を年代順に記したもの)による歴史書です。
これに対するのが司馬遷の『史記』で、こちらは紀伝体と呼ばれます。
孔子は『春秋』に出てくる諸国の出来事について、大義(人としての道)と名分(名称と名称に伴う内容と実績)の立場から、是非や善悪を論じました。
孔子はそうすることで、歴史や政治のありかたに対する自分の考えを明らかにしました。
「春秋の筆法」という成語がありますが、この成語は『春秋』から来ています。
その意味するところは以下2つあります。
1.批評や批判がきわめて厳しい書き方のこと。
これは孔子が『春秋』の中で、大義名分によって「乱臣」や「賊子」の罪悪や過失などに厳しい筆誅を加えていることからきています。
2.間接的な原因を直接の原因にするかのような書き方。または論理的に飛躍しているが、それも一面の真実であるような論法や書き方のこと。
これは『春秋』で、小さな事件が大きな影響を及ぼしていくようなことを述べていることからきています。
『春秋』は簡潔に書かれているので、戦国時代のころまでにその解釈本がいくつか書かれました。それを「春秋三伝」と呼びます。
「春秋三伝」には『春秋左氏伝』『春秋公羊伝』『春秋穀梁伝』があります。
『春秋左氏伝』…史料としての価値が高く、もっともよく読まれています。また散文のモデルとして後世にまで大きな影響を与えました。
『春秋公羊伝』…前漢の武帝は、『公羊伝』を専門に研究する部署を置きました。
『春秋穀梁伝』…「春秋三伝」の中では元の文の意図を最もよく伝えているといわれています。
『儀礼』
漢代に五経の一つとされた『儀礼』(ぎらい)は周王朝初期の周公旦が書いたもので、孔子が編集したものとされていますが、内容から見れば春秋戦国時代から前漢時代の礼について書かれたものだといわれます。
唐代に五経の一つとされた『礼記』(らいき)は、儒教の礼の経典で、三礼…『儀礼』『周礼』『礼記』の一つ。
このうち『儀礼』『周礼』は礼制を規定する経典ですが、『礼記』は礼制の解説書的な書物です。
礼の意義、精度、喪服、祭祀、婚姻、音楽などさまざまな内容について解説しています。