司馬の歴史と役割【古代中国の軍馬と軍事物資を司る官職】

司馬

司馬しばとは古代中国の官職名です。元は軍馬の管理をしていた官職ですが、馬が戦時において重要な役割を果たしていた時代、司馬もまた重要な役職でした。

司馬とは

司馬」(しば)とは中国古代の職名です。古代の戦争において馬は非常に重要で、春秋時代以前の軍隊において馬を扱う軍官は貴族の子弟が担当しました。当時の戦争は戦車部隊が最も重要でしたが、戦車は馬が引いたのです。強大な国家を「千乗の国」「万乗の国」などといいますが、これは「多くの兵車を出せる国」という意味で、ようするに「大国」のことです。兵車は左右に車輪をつけそれを馬が引いて戦闘に用います。火砲を前部に突き出した現代の戦車・タンクの古代版です。司馬はこの大切な軍馬を管理する役職でした。

兵馬俑の戦車(馬車)
兵馬俑の戦車(馬車)。戦国時代~秦代の戦車です。

司馬の歴史

司馬」はの時代に初めて置かれ、その地位は三公(さんこう…皇帝を補佐する役目で官僚としては最も高い地位)や六卿(りくけい・りっけい…西周王朝における6人の最高行政官)に相当し、司徒(しと…田土・財貨・教育などを担当した官職)、司空(しくう…建築事業を担当した官職)、司士(しし…役人を管理した官職)、司寇(しこう…警察や刑罰を担当した官職)とともに五官と呼ばれ、軍政と軍賦(ぐんぷ…軍用のために人民がおさめる品物や労役)を管理しました。

武帝(前漢の第7代皇帝 BC.156~BC.87)の時代には、大将軍(各将軍の上に立つ将軍)に所属する軍隊は5つに分かれ、それぞれに司馬が置かれました。

魏・晋・南北朝時代には、司馬の地位は将軍に次ぎ、後世の参謀長の役割を果たしていました。

司馬の職能

西周時代において「司馬」は国家の軍事行政部門のトップで、政権組織の主要なメンバーでした。その職能としては以下のとおりです。

(1)国の軍賦(ぐんぷ…兵役や軍用物資)の管理。

軍賦の基準を制定したり徴収運送したりし、その配備や使用に責任を持ちました。

(2)軍事訓練。

夏(か…中国最古の王朝とされる。考古学的に実在はまだ未確認)・殷(いん…考古学的に実在が確認されている最古の王朝。商とも)の時代にも軍や軍への召集は行われましたが、訓練のシステムはまだ存在していなかったとされています。

西周(BC.1045~BC.771)の時代になると常備軍が作られ、戦争も大規模なものになっていきました。それに従って軍隊には高いレベルが要求されるようになり、軍事訓練が重要視されました。周代の軍事訓練は後世とは異なり、軍の統帥者が日常的に行うのではなく、軍事行政部門…すなわち「司馬」が農閑期に軍役に服する者を対象として行っていました。

(3)軍法の執行。

「司馬」は軍隊の最高管理者であり、軍賦を管理し軍事訓練を組織する以外に軍法の執行者でもありました。軍紀に関する賞罰は司馬によって行われました。

(4)「司馬」の職能の主要なものは上記3点ですが、それ以外に司徒・司空とともに国家の行政事務を共同で管理していました。この3つの司は分業体制にあるとともに相互に関連し合っていました。特に「司馬」は軍賦の管理に責任を負っていたため、人民を管理する「司徒」や工事建設を担当する「司空」と協力しあって、さまざまな非軍事の仕事も受け持っていました。

司馬姓の有名人

司馬という苗字を聞けばすぐ浮かぶのは司馬遷ですが、それ以外にも司馬相如や司馬懿、司馬光など有名人がいます。司馬という姓の一族は先祖に司馬という役職を持った者が多いといわれています。以下に司馬姓の有名人を紹介しましょう。

司馬遷(しば せん…『史記』の著者)…先祖は白起の元で長平の戦いに参加した司馬靳(しば きん)。父は歴史家・司馬談。

司馬相如(しば しょうじょ)…前漢の文学者。

司馬懿(しば い)…曹操やその子・曹丕の配下にあって重用され、後に西晋の基礎を築き、高祖となった。

司馬光(しば こう)…北宋の政治家・学者。

「司馬」の関連ページ