孫臏【騙されて足を失うが戦略により復讐を遂げた兵法家】

孫臏

孫臏(そんぴん)とは『孫子の兵法』で有名な孫子の子孫で、不自由な体で戦国時代の軍師として活躍しました。斉が他国に侵攻された国から援軍を頼まれると、孫臏はその都度侵攻された国ではなく、軍を出して手薄になった侵攻国そのものを攻めるという作戦で勝利しました。

孫臏とは

孫臏は紀元前4世紀頃、戦国時代で活躍した軍師で、『孫子の兵法』で有名な孫武の子孫です。孫臏の臏は、足切りの刑という意味で、縦横家の同門での将軍・龐涓にその才能を恐れられて魏におびき寄せられ足を失いました。その後魏から斉に脱出、斉の将軍に才能を見抜かれ、軍師となりました。魏に攻め込まれたが斉に援軍を求めると、孫臏は趙に援軍を向かわせるのではなく、軍が手薄となった魏を攻めて勝利。魏趙連合軍に攻め込まれたが斉に援軍を求めると、斉は同じく魏に攻め込み、策略を使って魏に大勝しました。これ以降軍師孫臏の名は有名になり、『孫子の兵法』も著者孫臏説がありましたが、近年漢代墓から孫臏による兵法書が発掘され、『孫子の兵法』は孫武によるものと結論が出ました。

戦国時代初期の地図
戦国時代初期の地図。孫臏が仕えた斉は地図右上に位置しています。
年表
年表。孫臏は戦国時代に活躍しました。

魏で足切りの刑に遭う

孫臏は、縦横家の祖といわれる鬼谷子(きこくし)に、魏の将軍・龐涓(ほうけん)とともに学びました。

龐涓は、孫臏のたぐいまれな才能を怖れ、彼をワナにかけようと魏に呼びよせ、彼に臏刑をくらわせてその両足を切断、その顔には黥(げい…入れ墨)を入れさせました。

斉の使者が魏にやってきた時、孫臏は密かにこれと会い、その車に乗って斉に脱出しました。

斉に来ると斉の将軍・田忌(でんき)が彼の才能を見抜き、これを客分としました。

田忌は孫臏を斉の威王に会わせ、威王は兵法についていくつか質問した後、彼を将軍としました。

桂陵の戦い

魏が趙に攻め込んだので、趙は斉に援軍を求めました。威王は孫臏を将軍として戦線に送るつもりでしたが、彼はこれを辞退して田忌を将軍に推薦し、自分は荷馬車に乗って軍師として戦地に向かいました。

田忌は魏の軍隊に包囲されている趙に向かうつもりでしたが、孫臏は「糸がひどくもつれた時は引っ張ってはいけません。相手の力が満ちている場所は避け、相手の力がからっぽの場所を攻めるべきです。そうすると形勢が逆転し、糸のもつれは自然とほどけていくのです」と進言しました。

この進言を受け入れた田忌は、軍を老人と子供しか残っていない魏に向け、あわてて戻ってきた魏軍を桂陵(けいりょう)の戦いで大敗させました。

桂陵の地図
桂陵の地図。

馬陵の戦い

その10年(13年という説も)後、魏と趙が連合して韓を攻め、韓は斉に救援を頼んできました。

斉では再び田忌が将軍となって魏に向かいました。

かつて孫臏を陥れて足を失わせた魏の将軍・龐涓は急を聞いて韓から魏に戻りました。

今回の孫臏の策は、斉軍から多くの脱落兵が出たように龐涓に見せかけるというものでした。

そのために斉軍は兵の食のためのかまどを毎日数万ずつ減らしていきました。

斉軍の様子を伺っていた龐涓は「斉の兵隊は臆病だ、どんどん脱落していくぞ」と喜び、精鋭軍の騎兵だけを率いて斉軍を猛追しました。

孫臏は龐涓軍は夕暮れに馬陵(ばりょう)に到着すると計算し、斉軍兵士に、待ち伏せに絶好の地で龐涓の到着を待たせました。孫臏はその待ち伏せの場所に生えていた大木の皮をはぎ、そこに「龐涓この木の下に死せん」(龐涓はこの木の下に死ぬだろう)と書きました。

孫臏の計算どおり夕方ここに着いた龐涓軍はこの木の文字を見つけ、何と書かれているのか火を近づけて見ようとした時、潜んでいた孫臏の部下がその火を合図に魏の龐涓軍に向けて一斉に矢を放ちました。

魏軍は大混乱に陥り、この状態を見た龐涓は「やはりあの孫臏の奴めを有名にしてしまったわい」と呟き自害しました。

これ以降龐涓が言ったとおり孫臏の名もその兵法も天下に知れ渡っていきました。

孫臏兵法

『孫子の兵法』で有名な兵法の書『孫子』は孫武によるものか、その百年後を生きた子孫・孫臏によるものか歴史学界では長く決着がつきませんでした。

ところが1972年に山東省にある山から漢代の墓が2つ発見され、そこから竹簡(ちくかん…竹を削り、そこに文字を記したもの)がたくさん見つかりました。

それらは『孫子』『六韜』『管氏』『墨子』などの書籍の一部で、さらには幻の書『孫臏兵法』も見つかったのです。

この発見によって『孫子』は孫武が書いたもの、孫臏の兵法は後世には伝わらなかったことが確認されました。

『孫臏兵法』には16~30篇に分けることのできるさまざまな内容があるのですが、このうち「リーダーの資格に欠ける条件」の部分がとても面白いので紹介しましょう。現代の政治家の能力判定にも使えそうです。

将として資格に欠ける例

1.能力がないのにあると思っている者

2.いばることや自慢が好きな者

3.地位への執着が強い者

4.金に貪欲な者

5.人間として軽い者

6.鈍い者

7.勇気に欠ける者

8.勇気はあるが弱い者

9.信じるに値しない者

10.決断力がない者

11.スピード感のない者

12.油断する者

13.人を傷つける者

14.エゴイスト

15.自分からルールを破る者

こうして15項目を読んでみると、紀元前も今も人間のさがは変わらないと思わされます。

では将たる資格とは…

将として資格のある例

1.義がある者

2.仁を持つ者

3.徳がある者

4.信がある者

5.智がある者

6.決断力がある者

なかなかいそうにない徳性の持ち主でなければならないようです。