中国の四大美人と「美」「美人」に対する意識の歴史

中国の四大美人

中国の四大美人

中国の四大美人といえば「西施せいし」「王昭君おうしょうくん」「貂蝉ちょうせん」「楊貴妃ようきひ」の4人です。それぞれその美しさは「沈魚」「落雁」「閉月」「羞花」と形容されています。

四美図という画題は古くからありましたが、四大美人がこの四人で定着したのは比較的新しく20世紀に入った後のようです。また、この四人のうち貂蝉だけは実在の人物ではなく、小説『三国演義』の登場人物のため、貂蝉を除いて「虞美人ぐびじん」を入れることもあります。このページの一番上にある絵は、明代に描かれた数十人が並んでいる美人図を加工し並べた物ですが、その美人図の中にも貂蝉は入っていませんでした。

明代に描かれた四美図
明代に描かれた四美図。描かれている女性たちに名前はなく、現在の四大美人の四人はまだ定着していません。

西施

西施」:春秋時代(B.C.770~B.C.403)の人。川で衣を洗う姿を見て魚が驚き水の底に沈んでしまったと言われています。それを表す言葉が「沈魚」です。

西施は春秋・越の人で、越の仇敵・呉の王に貢物として送られます。その後呉王は西施のとりことなり政治を顧みなくなって越に滅ぼされてしまいます。

王昭君

王昭君」:B.C.52~B.C.15 前漢の人。漢の後宮の女性でしたが、絵師に賄賂を贈らなかったために醜く描かれ、匈奴の王に嫁がされます。その道すがら空を飛んでいた雁の群れが、王昭君の弾く『出塞曲』の哀切な響きに胸打たれ次々と空から落ちてきたと言われます。これが「落雁」の由来です。

貂蝉

貂蝉」:三国時代の人。花園で貂蝉が月に願い事をしていた時、急に明月に雲がかかった様子を見て、あるじの王允が「貂蝉は月より美しかった」と人に語ったことから生まれた言葉が「閉月」です。

貂蝉は後漢末期、横暴をきわめた董卓を滅ぼすために王允が策した「美人連環の計」を実行に移して、呂布と董卓の間で二人を翻弄し、呂布に董卓を倒させることに成功します。貂蝉は『三国演義』の中で創作された人物であり実在の人物ではありません。

楊貴妃

楊貴妃」:719~756 唐代の人。楊貴妃が花園で、自分の運命を悲しみながらそっと花をなでると花びらが閉じ、その様子に女官たちが「貴妃様があまりにお美しいので花たちが恥ずかしくてうつむいてしまった」と言ったことから「羞花」という言葉が生まれました。

楊貴妃は唐の最盛期の皇帝・玄宗の愛妃。玄宗に愛され、その親族も栄華をきわめますが、後に反乱が起き、蜀への逃亡の途中で親族とともに捕らえられ亡くなります。

沈魚落雁ちんぎょらくがん」「閉月羞花へいげつしゅうか」はともに際立った美人を形容する言葉です。

四大美人の生きた時代(年表)
四大美人の生きた時代(年表)。西施が春秋時代、王昭君が前漢時代、貂蝉が後漢~三国時代、楊貴妃が唐代の人です。

「美」という漢字

「美」という漢字の成り立ち

」という漢字は「大きな羊」と書きます。昔中国では羊を神の供え物としました。「美」という文字は「神に供えるものの姿」を表しています。「義」や「善」という漢字にもよく見ると「羊」が入っていて、同類のものであることを示しています。

『説文解字』という最も古い部首別漢字字典には「美は甘であり、甘は美である」と書いてあります。こちらの説明では美は「味覚」です。「ああおいしい!」これが美です。この字典はまた「美と善は同じ意味だ」と書いてあります。するとこちらは徳性に関わってきます。

よく人は「顔じゃないよ、心だよ」と人を慰め?ますが、この字典によれば「美」には感覚的な満足と徳性、つまり顔と心の両方が入っているようです。

「美人」とは何を指すか

「美」が感覚的な満足と徳性を表すとしたら、「美人」は古代においてどういう意味だったのでしょうか?これは必ずしも「美女」を表す言葉ではありませんでした。

周の時代に書かれた『詩経』の中の「美人」は男性を指し、戦国時代に書かれた『楚辞』の中の「美人」は君主を指しています。

古代において「美人」は男女を問わず外見の美しい人であると同時に、品性の高い人を指したようです。

「美人」の形容詞

かつて「美人」は男女を問わず「顔・体・心の美しい人」を意味しましたが、では美しい女性・「美人」はどういう言葉で形容されているのでしょうか?

ある中国の研究者は、古代において中国の美女は「艶」「嬌」「麗」の3つの漢字で表現される回数が多いと報告しています。

「艶」とは美しく「グラマー」な感じ。現代のモデルさんのようなスレンダーな体つきではありません。

「嬌」とは若く甘ったるく愛くるしい感じです。

「麗」とは華麗な美しさです。

上記の形容詞のうち「グラマー」賛美は特に唐代に顕著です。当時西域の人々が唐朝の武官として抜擢されており、彼ら騎馬民族は安定した暮らしを始めるや肥満化する傾向にあったそうです。満足に食べられない暮らしをしていた庶民はその太った姿に憧れを持ったと言います。

唐代の絵画
唐代の絵画。宮中の女性たちの様子が描かれていますが、全員太っているように見えます。

近代アジアでもいくつかの国では同様の現象が見られ、それらの国のスターや政治指導者はでっぷり型が人気を集め美男とされました。

ただしこうした「ふくよか美女」崇拝は唐代だけの特徴で、宋代以降は優美ななよやか型になり、更に後代は纏足の時代に入り、このため女性は早くに成長が止まり、みな同じような背丈・体格になってしまいます。

清代に描かれた宮女の絵画
清代に描かれた宮女の絵画。ほっそりしてなで肩になっています。

「美人」を表す四文字の成語

中国で伝統的な美女を表す成語としては以下のようなものがあります。

「明眸皓歯」:輝く瞳と白く美しい歯。美人のこと。

「鮮眉亮眼」:くっきりとした眉とつぶらな瞳。美人の形容。

「鬟鬢如雲」:烏の濡れ羽色のような漆黒の美しい髪のこと。

「繊細腰肢」:すらりとした優雅な柳腰。

これらの成語からは、きれいな眉・つぶらな瞳・白く美しい歯・豊かな黒髪・すらりとして優雅なスタイルなどが美女の条件と言えそうです。

これら以外にも美女を形容する成語はたくさんあるのですが、その多くは「傾城傾国」(国を滅亡に追いやるような美貌の女性)・「貌若天仙」(仙女のような美しさ)・「艶若桃李」(桃やスモモのような艶やかさ)といった抽象的な表現が多く、具体的にはどんな美しさなのかはっきりわかりません。

古代中国の美容術

昔の女性はどんな美容や化粧をしたのでしょうか。

古代の女性のクリームとしては「牛脂+酒+香料」などで作ったものがあり、これで肌のうるおいを保つようにしていたそうです。

石鹸の役目をするものは、「大豆など豆を粉末にしたもの+漢方薬」で、これで顔や体を洗っていました。

シャンプーにしたのは「米のとぎ汁」です。

また入浴の際にはいろいろな香料を使っていたそうです。

化粧としては顔に粉をはたき、頬を赤く染め、唇にも朱をさしました。頬をどう染め、唇にどう朱をさすか、その形にはいろいろこだわりがあったようです。

眉についてですが、昔の人は眉を非常に重んじ、眉は人の寿命を表すと考えていました。特に両眉の間を「天庭」と呼び、この場所で人の貴賤や吉凶をよんだということです。

当時の人は、女性のつぶらな目と美しい眉に非常に魅力を感じており、眉の化粧に力を入れました。特に目元に近い方を細く、途中は太く、目じりに近い方はまた細長くする眉を「柳眉」(りゅうび)と呼び、この眉の形は非常に人気がありました。

女性が怒ることを日本語で「柳眉を逆立てる」と言いますが、ここから来ている言葉です。「柳眉」はまた「蛾眉」(がび)とも言われます。蛾の触角によく似ているからでしょう。

美人と黒髪

古代では豊かな黒髪もまた美女の条件でした。

唐代では未婚か既婚かで髪型が変わり、未婚の少女は頭の両脇で丸く髪を結って、一部は下に垂らしました。この髪型を「双環垂髻」といい、女性が最も美しいとされた少女時代(15歳から20歳)を象徴するものでした。

少女の髪型
少女の髪型-1。
少女の髪型
少女の髪型-2。

美人を指す年齢は15歳から20歳まで

中国の古典で16歳はよく「年方二八」(芳紀まさに16歳)と書かれます。これを日本人はつい「28歳」と読んでしまうのですが、2×8で16歳のことです。数え年齢(生まれたときに1歳で春節(旧正月)に全員が一つ年齢が増える)のため、現在の満の年齢だと14歳か15歳になります。

昔の中国で美女とは一般に数えで15歳から20歳までの女性を指し、これ以上の年齢の女性は美女の範疇に入れなかったと言います。そこで古典に出てくるヒロインの年齢も16歳という設定が多いのでしょう。