金文【青銅器に刻まれた中国の古代文字】
金文とは
「金文」とは殷代から漢代にかけて作られた青銅器の上に鋳込まれた文字のことで、文章を指す場合と、「金文体」と呼ばれる字体を指す場合があります。甲骨文と並んで中国最古の文字で、古代史研究や漢字研究に不可欠の資料です。
青銅器は銅と錫を鋳造して作りますが、当時は銅を「金」と呼んでいたために、青銅器上の文字は「金文」と呼ばれました。
甲骨文字については、「甲骨文字(甲骨文)」のページで詳しく紹介しています。
金文の文字数
金文は殷代の後期から作られるようになりました。初期は王室の青銅祭器に王家の先祖の名前や紋章などが記されました。最古のものは「婦好墓」から出土した青銅器の銘文です。殷末には20字~30字の銘文が記されるようになり、西周の時代になると200字~300字という長文になっていきます。最も長い銘文は西周後期の「毛公鼎」で497字もあります。
金文の内容
金文…青銅器銘文からは、作られた時代の社会・歴史状況を見ることができます。殷末から西周の初めにかけての銘文には軍功への褒章や貴族に取り立てたという記録、また西周建国の困難さや殷王朝滅亡の教訓を記したものもあります。1976年に出土した西周早期の青銅器には32文字で「周の武王が殷の紂王を打ち負かした」ことが記録されており、『史記』にある「甲子の日、紂王の兵が負けた」という記述が事実であることを裏付けました。
西周の中期から後期にかけては土地の交易や経済賠償、刑事訴訟に関する判決などの記述、さらには他の国家との戦争の記録もあります。
金文が作られた場所
金文が鋳込まれた青銅器は初めは王室の工房で、やがて諸侯の工房でも作られるようになりました。東周時代になるとすべて諸侯の工房で作られるようになり、周王室の工房で作られた例は見つかっていません。
金文で用いられた漢字の特徴
漢字の生成法には象形・指事・会意・形声など4つの型がありますが、甲骨文字に出てくる漢字は象形文字が37%、指事文字と会意文字が40%、形声文字は18%です。これに対して金文では形声文字が70%以上を占め、漢字の進化と歩を一にする様子が伺われます。
漢字の生成法の4つの型については、「漢字の歴史」のページで詳しく紹介しています。
金文の字体
殷末周初の金文の字体は甲骨文字と似ており、象形的な要素を強く残しています。西周中期以降になると甲骨文字的な姿から脱してなめらかで調和のとれた字体になっていきました。長い文章では縦横左右の配列も美しくなりました。
金文は甲骨文字を受け継ぎ、絵画的であると同時に四角形の線形の字体に移行し、後の篆書体にバトンを渡す重要な役目を担いました。