鬼谷子の伝説と優秀な弟子たち・書籍『鬼谷子』の内容紹介
鬼谷子とは古代中国戦国時代の縦横家・蘇秦や張儀の師といわれている人物であり、その人物が書いた本のタイトルでもあります。
ここでは鬼谷子の伝説や書物『鬼谷子』の内容を紹介します。
目次
- 1. 鬼谷子とは
- 2. 縦横家
- 3. 鬼谷子の伝説
- 4. 書物『鬼谷子』とは
- 5. 『鬼谷子』各篇の内容
鬼谷子とは
鬼谷子(きこくし…生没年不詳)は戦国時代(BC.403~BC.221)の人物であり、またその人物によって書かれた本のタイトルでもあります。
鬼谷子は戦国時代・斉(せい)の鬼谷という場所で隠遁生活を送っていたので、こう呼ばれています。
司馬遷『史記』の「蘇秦(そしん…?~BC.284)列伝」に「東方の斉に師事して鬼谷先生に習う」、同じく『史記』「張儀(ちょうぎ…?~BC.309)列伝」に「(張儀は)かつて蘇秦とともに、鬼谷先生の学術を事とす」と、縦横家である張儀、蘇秦がともに鬼谷子に学んだことが書かれています。
縦横家
縦横家と書いて「じゅうおうか」もしくは「しょうおうか」と読みます。この縦横家は、中国戦国時代に合従策や連衡策などの策略を考えた人たちのことです。
「戦国時代」という時代は、中国各地に割拠していた諸国が、互いに同盟を組んだり、排斥しあったり、脅したり、利益を餌にするなどして、戦わずして勝つことを求めた時代でした。軍事力をあまり消耗せず、といって欲しいものは手に入れようとした時代背景のもとに登場したのが、縦横家です。
勝たねばならない、しかしそのための財政的、人的消耗は最小限に抑えたいとなれば、智慧を使うしかありません。こうしてどの国からも策謀に長(た)けた人物が求められました。
そうした策略に合従策(がっしょうさく)と連衡策(れんこうさく)があります。
合従策は秦以外の六国が縦に同盟し、共同で西の超大国・秦に対抗しようというものです。この策を練った中心人物に蘇秦や公孫衍(こうそん えん…C.360頃~BC.300頃)がいます。
連衡策とは西の秦と横に結んで、周囲の国々を攻め落とそうという策です。この策の中心人物は張儀です。
縦横家たちは、朝は秦に仕えて楚を討つ策謀を考え、夜には楚に仕えて秦を討つ策謀を考えるといった具合に、定見だの信念だのとは無縁で、裏切りや寝返りもしょっちゅうのことでした。いわば雇われテロリストのようなもので、そのテロの対象は個人ではなく、国家でした。
鬼谷子の伝説
鬼谷子については以下のような話が残っています。
…昔むかし、趙という家と周という家があった。隣同士だった両家はとても仲が良かった。趙家は商売を、周家は農業を営んでいた。その後、趙家の商売が傾いて破産すると、周家は気前よくこれを助けた。趙家は深く感謝して娘を周家に嫁がせる約束をした。それから間もなく周家の主人とその妻が前後して亡くなり、家は没落した。すると趙家は結婚の約束を破談にした。周家の息子はこれを苦にして病気になり、まもなく亡くなった。趙家の娘は道理のわかる賢い女性で、婚約者の死を知ってその墓に駆け付け声をあげて泣いた。悲しみで気が遠くなる中、「墓の前の稲を一株持ち帰れ」という周家の息子の声がどこからか聞こえてきた。
果たして近くに稲穂の実る田んぼがあったので一株引き抜いて持ち帰った。その米をといで食べると娘はなんと子供を宿し、やがて男の子が生まれた。その子はすくすくと丈夫に賢く育った。この男の子こそ後世鬼才として赫赫(かくかく)たる功績をのこした鬼谷子である。
世の人は後に鬼谷子の功績をたたえ、祠堂(ほこら)を建立した。出身の村は鬼谷子村と名前を改め、後に谷子村と呼ぶようになった…
書物『鬼谷子』とは
書物『鬼谷子』は、鬼谷子という人物がまとめた本だと伝えられていますが、実は後の世の人の手になる偽書であるといわれています。
この本では戦国時代に活躍した縦横家の説を述べ、信念や徳などではなく時勢に適応して生きよと説いています。
これでわかるように『鬼谷子』の思想は、儒家がいう仁義とはだいぶ異なります。『鬼谷子』という書物は古来洪水や猛獣にたとえられ、これを読むことを禁じたり破棄されたりする中、ひそかにこれを読み学ぼうとする人もまた絶えなかったといわれています。
この書は、「禁じられた智慧の実」「古来稀なる奇書」と呼ばれてきました。中国文化の色濃い特色を持ち、乱世における治世哲学といわれるかと思えば、謀略の巨著、成功学の宝典とも呼ばれています。
鬼谷子の卓絶した智慧と縦横学の策略を融合させた実践哲学であり、その方法は、時勢に順応し、権力のありかを嗅ぎつけては処世を変えるというものですから、きれいごととは無縁です。現代でも暗闘の絶えない政権内部や生き馬の目を抜くようなビジネス界で、密かに『鬼谷子』を愛読する人は多いといわれています。
『孫子の兵法』が総合的な戦略の本だとするならば、『鬼谷子』は具体的なテクニックが網羅されている策謀の本です。
『鬼谷子』各篇の内容
『鬼谷子』各篇には以下のような内容が書かれています。
第1篇
人と言い争うときは相手の勢いを抑え、相手の反駁を誘うことで相手の力を探る。ときにはまくし立てて相手の警戒をゆるめる。ときには相手の言葉に耳を傾け、相手に誠意があるかどうかを観察する。もし相手の言い分に反駁するならば、証拠をしっかりと把握し、それを相手にはつかませないことだ。相手に対しては時にオープンになり、時には心を閉ざす。この二つを臨機応変に用いると言葉はあふれるように出てきて、いろいろな変化も楽しめる。
第2篇
人と弁論をする時は、反復の技法を使う。後ろに戻れば過去がわかり、再び前に来れば今がわかる。これを繰り返して相手を探れば、相手の本音が見えてくる。声が聞きたければまず沈黙せよ。高めたければまず下に下りよ。奪いたければまず与えよ。
第3篇
押したり退いたりのコツをつかむ。コツをしっかりつかめばこっちのものである。もし君主の気分に沿って導いたり何かを提案すれば、臨機応変に君主を説得できる。
第4篇
物にはすべて傷がある。弁論では相手の傷を利用し、自分の傷は守る。小さな傷でも山のような大きさにできる。だから傷が小さい時はこれを補う。大きい時は断ち切ってしまう。大きくて手の施しようがない傷はいっそこれを裂いてしまう。そうすれば傷跡も消える。
第5篇
人と弁論する時は何とかして相手の真意を探り出す。その後それを引きずり出して、戻れないようにする。こうすれば後はどうにでもなる。
第6篇
身を修め、単独で修行をする。
第7篇
もし天下の諸侯に遊説するならば、必ず諸侯の心情を推し量ることだ。相手が極度に興奮している時はホンネが隠せない。極度に恐れている時も、真情は隠せない。こういう時こそ人を効果的に人を説得することができる。
第8篇
相手の真意を推し量れる人は釣り人のように顔や声に出さない。魚の方が勝手に釣り竿にひっかかるのだ。「推し量る」ことを「摩」というが、この「摩」の意味は相手を刺激することで、そうすると相手はいつの間にか釣り竿にひっかかる。コトが成功しても相手はそれにまったく気付かない。
第9篇
諸侯を説得するということは天下の権力を量ることだ。各諸侯国の地形、謀略、財産、食客、天の時、安全と危険…こうしたことを比較観察した後に遊説に行くのである。
第10篇
大事を行うには羅針盤のようなガイドが必要である。遊説をガイドするものは謀略であり、まずは策を立てる。その後、策の目的に基づいて遊説に行く。
第11篇
遊説するにはまず疑心を解くこと。そのための良い方法とは相手に実情を打ち明けさせることである。
第12篇
耳でよく聞き、目でよく見る。天下の耳を使って聞けば、聞けないことはない。天下の目で見れば、見えないものはない。天下の心で考慮すれば、わからないことはない。事に対して我が手を見るごとく知り尽くしていれば、すべてがわかる。
第13篇
遊説は巧みな言辞に頼ることだ。相手に合わせて話しをし、それに合わせて言葉を選ぶ。
ひとことはっきり言うのではなく、相手をよく観察し、言葉の技巧を用いなければならない。