西施【中国四大美人の1人・西施の生涯と伝説、戯曲など】

西施

西施とは

西施せいしとは中国の四大美人のうちの一人で、春秋時代の人です。世界三大美女の一人と言われる楊貴妃ようきひや三国志でも有名な貂蝉ちょうせん、そして日本での知名度はやや下がる漢の時代の王昭君おうしょうくんとともに中国四大美人となっています。

彼女の容貌については具体的には伝わっていませんが、仙女のような女神のような美しさだったと言いますから、気高さや清らかさが感じられる美女だったのかもしれません。彼女が生まれ育った越という国では、あまりの美しさに人はお金を払って見物したという話も残っています。

西施とその生きた時代

西施
西施。

西施の本名は施・夷光 (し・いこう)だとされています。なぜ西施と呼ばれるかと言うと、彼女が暮らした村に施という苗字の家が2軒あり、1軒は村の西にあり、もう1軒は村の東にあったので、西の施であった彼女は西施と呼ばれるようになったのだそうです。

ちなみに中国に「東施効顰」(東施ひそみにならう)という故事成語があり、これを日本語では「西施のひそみにならう」と訳し、人まねをして物笑いの種になる・人のやり方を踏襲することをへりくだっていう…などの意味で使います。

この成語の由来は、西施という美女は胸がときどき痛む病気があり、その時顔をしかめる(これが顰…ひそみ)様が非常に美しかったため、村の東に住む東施の娘がこれを真似たのだそうです。この娘は西施とは真逆の容貌の持ち主。彼女が顔をしかめると顔が一層恐ろしげになり、周りの人はみな逃げ出したという故事から来ています。

本題に戻すと、要するに西施の西は姓ではなく、「村の西に住む施」くらいの意味なんですね。名前の方は「夷光」と言われていますが、こちらで西施を表すことはまったくなく、西施以外では西子と書かれていることもあります。

西施
西施。

西施は生没年不詳ですが、紀元前5世紀ごろ、春秋時代に生きた人だと言われます。浙江省紹興市の諸曁の苧蘿村に生まれました。彼女はここで薪を売っていたとか、「浣紗」をしていたとか言われます。「浣紗」というのは「川で洗濯をする」と訳されますが、ほかに「カラムシ」という麻の一種の植物から繊維を取り、それを布にしていくための工程の一つを指す場合もあるそうです。

日本でも古代から盛んに行われていた「カラムシ織」の工程に、この植物を一晩水に漬ける作業があり、これが「浣紗」だったかもしれません。

西施の物語は後に昆劇の代表作「浣紗記」でもよく知られていますから、「浣紗」と言えば西施の物語を意味するくらい西施と結びついています。

さて西施が生まれた頃の浙江省紹興といえば、春秋時代は越の国でした。紹興酒で有名な紹興は当時は会稽かいけいという名前で越の首都です。そして春秋時代の越といえば呉、この呉と越はたいそう仲が悪く、「呉越同舟」という故事成語でも「呉越」は天敵どうしという意味で使われています。

この呉越の戦いがなければ西施は歴史に埋もれ、平凡で幸せな人生を送っていたかもしれません。またこの時代に巡り合っても、もし彼女が大変な美貌の持ち主でなければやはり普通の人生を全うしたことでしょう。

彼女の悲劇の人生はこの時代と美貌が結びついてしまったことに始まります。

西施が生きた時代(年表)
年表。西施が生きた時代は中国の春秋時代です。
春秋時代の呉と越の地図
春秋時代の呉と越の歴史地図。西施は越の国で生まれました。

呉越の争いと西施

中国大陸の南方に隣り合わせた国、呉と越はたびたび戦いを繰り返しています。近隣国家というのは例外なく仲が悪いものなのかもしれません。

この時代、越王の勾践こうせんが呉の先手を打って攻撃しますが逆に敗北し、勾践が呉王・夫差ふさの奴隷となることで和睦します。一国の王が奴隷の身分に落とされるのですから、その屈辱たるや大変なものでしょう。勾践は国に戻ると苦い肝を舐めてかつての苦しみを思い出し復讐を誓います。

勾践の部下に范蠡はんれいという優秀な武将がいます。

越は呉を打ち破るために呉王・夫差に美女を献上して戦意を失わせようとする策を立て、范蠡は美女をさがして国中を歩きます。

そこで西施の暮らしていた村にやってきて「浣紗」をしていた西施に出会うのです。当時西施は13、4歳くらい、彼女はこの「選美」(美人コンテスト)に選ばれて宮中に送られ、三年間、越王からの贈り物として恥ずかしくないように歌舞や礼儀、立ち振る舞いなど、当時美女に必須とされた教養を学びます。こうして17歳の時に呉王・夫差のもとに送られます。

果たして夫差はこの美女にうつつを抜かし、政治や国防をおろそかにし、それから十年の後越の攻撃に耐えることができずに敗北、亡くなります。

呉の滅亡後、西施は越に戻るのですが、その後の西施についてはいろいろな伝説があります。その一つは長江に沈められたというもの、もう一つはもともと魅かれ合っていた范蠡とともに越から逃げ出し、二人はその後幸せに暮らしたというもの。昆劇『浣紗記』は後者の説を取って描いています。

西施伝説と真実

さて今から二千五百年ほど昔のこの西施の物語はどの程度史実に基づいているのでしょうか?

中国の歴史書『国語』『左伝』『史記』にはこの西施の名は見当たりません。『史記』には、越王が呉王に美女や宝物を贈ったという記述があるだけです。

ところが西施が生きた時代に近い時期の『墨子』『荘子』『孟子』などにはその名前が出てくるのです。

たとえば『墨子』には「西施之沈、其美也」とあります。これは他の三人の実在の人物と並べて書かれている部分で、「西施が沈められたのはその美しさのせいである」という意味です。

ここからは墨子が生きた紀元前4~5世紀に、すでに西施という美女が知られていたこと、川などに沈んで亡くなったらしいことがわかります。

また上にあげた「東施効顰」の故事は『荘子』に出ています。

『孟子』にも美女のたとえとして西施の名があります。

ではなぜ『史記』には呉越の話が出てきても西施の名前は出てこないのでしょうか。

中国の歴史家は、西施のように女性が外交の道具として使われるのは当時普通のことで、取り立てて名前を出すような存在ではなかったからだろうと言います。

確かに、「ハニートラップ」という言葉が存在するように、こうした手段はいくつかの国で今も使われていると時々暴露されています。この役割を果たす女性は美女が多いのでしょうが、彼女たちの名前が歴史に残るということはまずありません。

歴史家が彼女の名前に触れなかったとしても、上記のようにさまざまな本で彼女の名が取り上げられているのは、当時から彼女が民間に広く知られていたからでしょう。

ではなぜよくあった話の中で彼女だけが有名になったのでしょうか。

ハッピーエンドの最期と悲劇的な最期

西施の名前が民衆に広く知られ、その物語が愛されたのは、その類まれなる美貌とともに悲劇的な最期が関係しているのかもしれません。

『墨子』に「西施之沈、其美也」と書かれたのは紀元前4~5世紀、ハッピーエンド説が出てくるのは後代です。

西施が生きた時代、民衆はその最期まで知って彼女を憐れみ、それが多くの伝説を生んでいったのではないかとも言われています。

では西施はどのようにして亡くなったのでしょうか?

一説では呉王が亡くなる前に、西施を皮衣に包んで長江に投げ捨てたと言われます。

また別の説では越王・勾践が越に戻ってきた西施を同じく長江に沈めたと言います。

さらにまた別の説では越王夫人が西施の美貌に嫉妬し、自分の夫もまた呉王と同じようになるのではないかと邪推し、これを長江に沈めたとも言います。

いずれにしても何者かによって西施は「鸱夷子皮」という皮で作られた袋に入れられ、生きたまま長江に捨てられたというのです。

これが史実だとしたら、なんとまあ無残な最期。国のために犠牲になって貢物として他国に送られ、用済みとなれば川に沈められてしまう…。

この話を伝え聞いた民衆は結末を西施が幸せになるものとせずにはいられなかった、としたならばやがて西施伝説がハッピーエンドになっていったのもわかります。民衆が西施の幸せを望んだというところに、この話の美しさを感じます。

范蠡と西施

太湖
太湖。

さて、ではそのハッピーエンドの結末とはどういうものかというと、越王の優れた参謀・范蠡がかかわってきます。范蠡は上で書いたように最初に西施を見出した人です。その時范蠡は50代、西施は10代でした。昆劇『浣紗記』ではこの二人は最初から魅かれ合い、結婚の約束を交わし、その時この紗という布を「信物」…愛の誓いの品としました。

それから十年の月日が過ぎ、西施が戻ってくると范蠡は彼女を約束どおり妻として迎えます。その場面は、二人の乗る舟が五湖(太湖)に浮かぶ情景とともに語られます。

物語としては感動的なのですが、史実としてこの関係は二人の年齢差から言ってやや不自然ではあります。

ただ『史記』には范蠡のその後が書かれていて、范蠡は呉滅亡後、猜疑深い越王・勾践に命を奪われることを恐れて逃げ出し、名前を「鸱夷子」に変えて太湖に船を浮かべ斉に渡ったとあります。「鸱夷子」というのは西施を包んで捨てたとされる皮袋のことです。

なぜ范蠡は「鸱夷子」という名前に変えたのでしょう。ある学者はこのことから、范蠡はやはり西施が好きだった、彼女が忘れられなかったと解釈しています。

もしこれが史実だとしたら、これも佳い話です。自分が見出した美しい少女を貢物としてその人生を狂わせ、目的達成ののちには邪魔者として命を奪われてしまった…老境に入っていた范蠡がこの少女を自責の念とともに忘れられなかったとしても不思議ではありません。

西施をめぐる言葉

西施が出てくる成語にはもう一つ、「情人眼里出西施」(恋人の目には相手の姿が西施のように美しく見える)というのがあります。中国ではこの成語は今もよく使われています。

西施をめぐる作品…昆劇の名作『浣紗記』

西施をめぐる文学作品で代表的なものには、明代の戯曲『浣紗記』があります。梁辰魚の作。

春秋時代の越の将軍・范蠡と西施を主人公にした作品で、二人が偶然出会って互いに一目ぼれ。その後西施は呉王・夫差の元に送られ、その寵愛を受けますが、やがて呉は滅亡。二人は再会し、太湖に舟を浮かべて愛を語り合います。昆劇の代表作です。