荘子 【老荘思想・斉物論などの思想と名言集】

荘子

荘子とは人物・思想家としての荘子を指す場合と、荘子の著書『荘子』を指す場合があります。前者は「そうし」と読み、後者は「そうし」または「そうじ」と読みます。

人物としての「荘子」

人物としての荘子は戦国時代中期の人。生没年はわかっていません。姓は荘、名は周と言います。宋国蒙県(河南省)の出身で、この地の漆園の官吏だったと言われます。道家(どうか…老子、荘子の説を奉じた古代中国の学派。諸子百家の一つ)の代表的な思想家です。

荘子の生きた時代(年表)
荘子の生きた時代(年表)
荘子の生まれた場所(地図)
荘子の生まれた場所(地図)。『荘子』の著者荘子は宋の人です。

思想書『荘子』

『荘子』は『老子』と並んで道家の代表的な書物です。『漢書』芸文志(かんじょ げいもんし…漢書は西暦1世紀、後漢の班固・班昭によって編纂された前漢の歴史書)には全52篇とありますが、現存する『荘子』は33篇。

33篇本は内篇7、外篇15、雑篇11から成り、内篇のみ荘子の作ではないか、外篇と雑篇は後の人が荘子の書いたものから取って編著したものだろうと言われています。

『荘子』が説く主な思想…斉物論(せいぶつろん)

斉物論は『荘子』内編の第二に出てきます。善悪などの価値観は相対的なものであり、あらゆる事物について差異はない。有と無、存在と非存在すべては斉同(等価)であるとしました。絶対的価値観を否定し、すべてを相対化しようとしました。この真逆の存在が孔子ですが、荘子は『荘子』の中で何度も孔子や孔子の尊敬する尭・舜といった聖王を批判しています。「仁義などというもので人の本性を縛るのは間違っている」と荘子は言います。

孔子
孔子』(リンク先のページで、孔子とその思想について詳しく紹介しています。)

老荘思想とは

道家思想は別名老荘思想と言われます。老荘思想とは老子と荘子を結び付けた思想ですが、老子と荘子は初めから結び付いていたものではありません。前漢以降、老子と荘子をひとまとめにする流れができました。

司馬遷の『史記』には「老子韓非子列伝」の中で、老子伝の直後に荘子伝が書かれています。ここで荘子すなわち荘周の紹介として「あらゆることについて学ばないことはなかったが、その肝要根本のところは老子の言に基づく。その著書は十万余言、大部分が寓言である。漁父などの諸篇を作って孔子の一派をそしり、それによって老子の学問を明らかにした」とあります。ここで老子と荘子の学問が結びつけられ、この考え方が後世に影響を与えました。

老子
老子』(リンク先のページで、老子とその思想について詳しく紹介しています。)

老子の「無の思想」と荘子の「無用の用」

老子がその思想の中で強調していたのは「無の思想」です。

老子は「道は一を生ず。一は二を生ず。二は三を生ず。三は万物を生ず」と言っています。

一とは「神」、「仏」、または儒教で言う「太極」のこと。つきつめれば「有」。すると「道」は「無」。「無」こそが宇宙の本体、本源、天地に先立って存在するものです。無が有を生ずるとはどういうことか。老子はこれを「働き」・「機能」から実証します。車が動くのは車の心棒の入っている空間…空虚な部分があってはじめて動くというのです。

荘子は老子の「無の思想」に強く共鳴していましたが、彼はこれに代わって「無用の用」ということを説きます。「用のないところにこそ用がある」と言うのです。役に立たないものは選ばれず使われない、したがって命を全うできる。役に立たなかったからこそ役に立ったのだ、という論です。

『荘子』の中の有名な話(1)…胡蝶となる

『荘子』(斉物論)に出てくる胡蝶の話は『荘子』を代表する有名な話です。

ある春のうららかな日、荘子はいつのまにかうとうとと眠ってしまいます。夢の中で彼はチョウチョになっています。チョウチョそのものが自分そのものでした。しばらくすると夢から覚め、元の荘子に戻りました。はて、自分がチョウチョになったのだろうか、それともチョウチョが荘子になったのだろうか。夢が現実なのか、現実と思うものが夢なのか…という話です。

『荘子』の中の有名な話(2)…井蛙海を語るべからず

いわゆる「井の中のカワズ」の話ですが最後まで読むとこのことわざのオチとは少し異なっているのがわかります。

河伯(かはく)という黄河の神様が満々と水をたたえる我が黄河を見て得意になり、流れに沿って東方に出かけました。

ところが東に行って北海にぶつかりますと、そこはさらに果てもない一面の海です。そこで河伯は茫然となり北海の神に呼びかけました。

「自分は今まで何者も自分には及ばないと思っていましたが、これは間違いでした」。

すると北海の神は

「北海はかくも大きいが、天地に比べれば小さい。だから自分が一番大きいなどと思うべきではない」。

河伯がそれを聞いて

「なるほど天地に比べればおのれは小さいものです。そう思っていればよろしいでしょうか」。

こう言うと北海の神は

「いやそれもいけない。なぜなら無限大に比べればすべてはゼロであるのだから、大きいも小さいもないのだ。時間も無限である。そう考えると昔も今もない。長生きも若死にもない。人の生死も一本の縄のようなものだ。その一部分をとって生きている、死んでいるなど区別するのもおかしい。大小にとらわれているのは皆間違っているのだ」

とこう諭したと言います。

この話のあと荘子はさらに、大小と言う時そこには優劣という考えが入ってくる、しかしこの優劣も見方によるのであって、その根本をきわめていけば優劣の考えもなくなっていく、と言っています。

道教と荘子

『荘子』の思想的な深さ、面白さは道教とどうつながるのでしょうか。道教と言えば中国の民俗宗教で、神仙術や呪術が浮かび何とも現世利益的、ご利益信仰的なイメージがありますが、これらは荘子の哲学とどう関わるのか。

実は道家が老荘思想中心なのは前漢一代だと言われています。その後は老荘の言葉は引用こそしていますが、それはある意味道教を広げるための客寄せだったとか。

道家は前漢の時代に老荘思想や黄老(黄帝と老子)思想を核として考え出されたものの、後漢の初め頃からは神仙思想や呪術などを加えて広がりつつ変化していった、本来の老荘思想からは変質していったと考えられています。

『荘子』が元となってできた故事成語

『荘子』の中の記述が元となって様々な故事成語ができました。そのうちいくつかは現在の日本でも使われています。

大同小異
大同小異』(リンク先のページで、「大同小異」の由来について詳しく紹介しています。)
朝三暮四
朝三暮四』(リンク先のページで、「朝三暮四」の由来について詳しく紹介しています。)