井の中の蛙
……『荘子』とは:戦国時代の宋国の蒙に生まれた思想家。道教の始祖の一人とされる。
※「井の中の蛙大海を知らず」と言うこともあります。
「井の中の蛙」の由来
まずは「井の中の蛙」の由来となったお話の年表と歴史地図から紹介します。
「井の中の蛙」の故事の時代
「井の中の蛙」の故事の場所
「井の中の蛙」の故事
「井の中の蛙」という有名な言葉は『荘子』の中に出てきます。
秋の大雨の季節、あらゆる川の水が黄河に注ぎ込んでいました。両岸は遠く隔たり向こうに立っているのが馬なのか牛なのかも見分けがつかないほどです。
黄河の神「河伯(かはく)」はすっかりうれしくなり、天下の善と美がすべて自分のところに集まったと思い込みました。
河伯は黄河の流れに沿って東に進み、やがて北海(ほっかい)に到達します。そこで東を向いて眺めると水の果てが見えない大海原です。
河伯は北海の神「北海若(ほっかいじゃく)」を見ながら嘆きました。
「私はこれまで実にうぬぼれていました。あなたの計り知れない大きさを見て、上には上があるものだと知りました」
すると北海若は
「井の中の蛙に海のことを話してもしかたがない。蛙は狭い自分の棲みかになじんでいるのだから。夏の命しか持たない虫に氷のことを話してもしかたがない。夏の虫は自分の生きている短い時間だけをすべてと信じているのだから。
見識の狭い人間に大道のことを話してもしかたがない。その人は世間の教えに縛られているのだから。今お前は大きな海を見渡して、初めて自分の小ささを知った。今のお前ならば大道の理についても語り合えそうだ」
と言ったということです。
「井の中の蛙」はまた「井の中の蛙、大海を知らず」とも言います。この言葉もまた、上に挙げた『荘子』の物語から来ています。
ところでこの「蛙」、なぜ「カエル」ではなくて「カワズ」なんでしょうか?
はっきりしたことはわかりませんが、昔からこの二つの呼び名があったようです。
江戸時代の「蛙」でも
芭蕉の句では「古池や かわずとびこむ 水の音」と「カワズ」ですが
一茶の句では「やせがえる 負けるな一茶 ここにあり」と「カエル」になっています。
不思議なもので上二つの有名な俳句、蛙の読みを交換するとイメージがだいぶ変わってしまいます。芭蕉の句からは深みが消え、一茶の句からは軽妙さが消えます。
では「井の中の蛙」を「カワズ」から「カエル」に変えたらどうでしょうか?
格言の重みが消える気がします。昔の人はこうして二つの音の語感から使い分けたのかもしれません。
「井の中の蛙」の関連語
「井の中の蛙」と同じく『荘子』がもとになってできた故事成語には、「朝三暮四」「荒唐無稽」「余地」「大同小異」などがあります。
(荘子の生涯や思想、著作『荘子』の中にある名言などについて詳しく紹介しています。)
「井の中の蛙」の中国語
中国語 | 井底之蛙 |
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ピンイン | jǐng dǐ zhī wā |
音声 | |
意味 | 井の中の蛙。見識の狭い人。 |
日本語の意味と変わりません。