捲土重来
「捲土重来」の由来
「捲土重来」は杜牧の詞が元となってできた故事成語です。中国の秦~前漢の時代、劉邦に敗れた項羽は長江西岸にある烏江まで落ちのびてきました。その場面を詠った詩です。まずは年表と地図を見てみましょう。
「捲土重来」の故事の時代
「捲土重来」の故事の場所
「捲土重来」の故事
『史記』項羽本紀には、垓下で宿敵・劉邦との戦いに敗れ烏江まで落ちのびてきた項羽に、この地の長が「捲土重来を期せ」と説得する場面が出てきます。項羽はその言葉に「天は私をもう見放した」と言って、江東(長江の東側の地)の子弟を兵として連れていったのに一人も生還させられなかった、親たちに合わせる顔がないとその勧めを断り自刎します。
この時の項羽はまだ三十代の初め。人生をあきらめるには早すぎます。司馬遼太郎はその小説『項羽と劉邦』の中で、楚という南方の人は勢いづけば火を噴くように剽悍に戦うが、戦術に計画性が乏しく、戦勢が困難になると士気阻喪してくずれやすいと書いています。まさに楚の人・項羽という人そのもののようにも聞こえます。杜牧が惜しんだようにもしこの屈辱に耐えたならば、項羽はまたひと花ふた花咲かせることができたかもしれません。
捲土重来はこの烏江亭の長の言葉から生まれた成語です。直訳的な意味は「土煙を巻き上げるようにもう一度チャレンジせよ」ということで、元気が出てくる言葉です。
「題烏江亭」の原文
題烏江亭
勝敗兵家事不期
包羞忍恥是男兒
江東子弟多才俊
捲土重來未可知
「題烏江亭」の書き下し文
題烏江亭
勝敗は兵家も事期せず
羞を包み恥を忍ぶは是男児
江東の子弟 才俊多し
土を捲いて重ねて来たらば 未だ知るべからず
「題烏江亭」の現代語訳
烏江亭にて
戦いの勝敗は兵家という専門家でもわからないものだ。
男子たるもの大義の前には恥をしのんでこそ。
江東には優秀な若者が多い。
項羽がもう一度巻き返していたならば、歴史はどうなっていたかわからない。
「捲土重来」の関連語
「四面楚歌」は烏江に落ち延びてくる前の、垓下で敵に囲まれている項羽の話がもとになっています。
「鴻門之会」は項羽と劉邦の戦いの序盤の山場。劉邦陣営が生き延びようと画策します。
「左遷」は秦を滅ぼした後、項羽が劉邦を僻地へと追いやった話が元になっています。
「先んずれば人を制す」は項羽たちの旗揚げ時の出来事が元となっています。
「背水の陣」は劉邦陣営の韓信の話です。
「敗軍の将は兵を語らず」は背水の陣を敷いた韓信が倒した李左車の言葉です。
「捲土重来」の中国語
中国語 | 卷土重来 |
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ピンイン | juǎn tǔ chóng lái |
音声 | |
意味 | 失敗した後また立て直すこと。意味は日本語と同じですが「捲土重来」の「捲」の字が中国語は異なります。 |
杜牧はたとえば『江南春』や『清明』のような絵画的な作風でも有名です。