刎頸の交わり・刎頸の友
「刎頸の交わり」の由来
「刎頸の交わり」は、中国の戦国時代、藺相如と廉頗の話が元となった故事成語です。
「刎頸の交わり」の故事の時代
「刎頸の交わり」の故事の場所
「刎頸の交わり」の故事
この話は故事成語「完璧」の後日譚です。
藺相如が無事、秦王に取られそうになった「和氏の璧」とともに趙国に戻ると、その功績や大として上卿という高い地位が与えられます。当時、廉頗は同じ趙国の将軍でしたがこの地位の上をいったのです。これに廉頗は不満です。私は戦で大きな功績を立ててきた。藺相如は今回口先三寸でうまく立ち回っただけだろう。しかもどこの馬の骨やら身分も低い。あいつの下になるなど我が沽券にかかわる。ゆるせん!
そこで「藺相如に会ったら必ず辱めてやる」と周囲に宣言します。
ああ、現代の日本でもよくありますよね、こういうこと。ただ「会ったら必ず辱めてやる」とみんなの前で言ってしまうのが中国式です。日本ですとお腹の中にためこみます。
さてこれを聞いた藺相如は廉頗に会おうとしません。朝廷に参じる際も病気と称して廉頗との争いを避けようとしました。出先で遠くに廉頗の姿を見るや車の方向を変え回り道までして彼を避けます。
彼の手下である食客たちは(とうとう藺相如自身が食客を持つ身分になったのです!)「私たちがあなた様に仕えるのはあなた様の徳をお慕いするゆえです。今や廉頗将軍と同じ地位だというのにあの将軍は公然とあなたを侮辱します。それなのにあなたはあまりに将軍を恐れ将軍を避けようとなさる。普通の庶民だってあそこまで言われたら黙ってはいません。ましてあなた様は今や宰相という高い身分。このようなむごい目に遭って我慢しているなんてありえません。ひとつここは私たちにまかせてください」とまで訴えるのでした。
すると藺相如は今にも殴り込みに行きそうな食客たちを押しとどめこう言ってきかせます。「おのおの方、皆さんは廉頗将軍と秦王とどちらの方が上だと思われる?」食客はすぐさま答えます。「それは秦王にきまっています」。「あの傲慢きわまりない秦が我が趙に攻め込んでこないのはなぜか?それはわたし藺相如と廉頗将軍がいるからです。もしわれわれ二人が争えばどちらかが倒れてしまうでしょう。私が今このように耐えているのは、国家の存亡の方が個人の恨みより大事だからなのです」
この話を伝え聞いた廉頗は深く反省します。そして食客たちを引き連れ藺相如の屋敷まで行って心から詫びるのでした。
その後藺相如と廉頗は「刎頸の友」と言われるほどに深い信頼を寄せあい、生死さえ共にしようという友人になったと言われます。
「刎頸」とは首をはねることですが、「刎頸の友」とは、お互いに首をはねられても悔いがないほどの友情を意味します。この話が後に「刎頸の交わり」という成語になりました。
「刎頸の交わり」の関連語
「完璧」は、この藺相如が「和氏の璧」を秦から無事持ち帰ってくる話が元となった故事成語です。
「刎頸の交わり」の中国語
中国語 | 刎颈之交 |
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ピンイン | wěn jǐng zhī jiāo |
音声 | |
意味 | 生死を共にして悔いない深い友情のこと。 |
「刎頸」とは「首をはねる」という意味です。ちなみに日本の侍は「切腹」という自殺のしかたを取りますが、中国の古代、武将たちはいよいよという時「自刎(じふん)」という死に方をします。項羽と劉邦で有名な項羽は、垓下(がいか)における四面楚歌で自分の負けを悟り、虞美人に別れを告げ愛馬とともに烏江に向かいそこで自刎します。自分で自分の首を切り落とすって…切腹も怖いですがこちらはもっと怖いですね。