合従連衡がっしょうれんこう

意味
合従連衡」は戦国時代に行われた外交術。
強大になったしんに対抗するため、燕・趙・韓・魏・斉・楚の6国が同盟することを「合従」と言い、秦が6国と個別に同盟を結ぶことを「連衡」と言う。
転じて個々の勢力が状況に応じて結び合ったり駆け引きをしたりすること。
例文
今の世界政治も昔と変わらぬ合従連衡の動きがあり、権謀術数が渦巻いているね。
出典
『十八史略』
……『十八史略』とは: 子供向けの歴史読本。南宋の曽先之によってまとめられた。

「合従連衡」の由来

まずは「合従連衡」の由来となったお話の年表と歴史地図から紹介します。

「合従連衡」の故事の時代

「合従連衡」の故事の時代(年表)
合従連衡」の故事の時代(年表)。中国の戦国時代の出来事です。

「合従連衡」の故事の場所

「合従連衡」の故事の場所(歴史地図)
合従連衡」の故事の場所(歴史地図)。東側の6国が秦に対抗するため同盟を結び、秦は個別に切り崩しを図ります。

「合従連衡」の故事

合従連衡

合従の従は「縦」の意味。中国大陸の南北に並ぶ国々の連合を意味します。

対する連衡は連横、つまり「横」を結ぶということ。東西の同盟を意味します。

戦国時代の洛陽らくようの人、蘇秦そしんは強大化する秦の脅威に対抗するため、南北に並ぶ六か国連合を呼びかけ、成立させます。

それに対し、しんの宰相・張儀ちょうぎは合従していた六か国と秦との個別同盟を成立させ、6か国同盟を崩壊させます。

この話は『十八史略』に出てきます。その一部を原文・書き下し文・現代語訳で読んでみましょう。

「合従連衡」に関する原文

秦人恐喝諸侯求割地。有洛陽人蘇秦、游説秦恵王不用。乃往説燕文侯、与趙従親。燕資之、以至趙。説粛侯曰、諸侯之卒、十倍於秦。併力西向、秦必破矣。為大王計、莫若六国従親以擯秦。粛侯乃資之、以約諸侯。蘇秦以鄙諺説諸侯曰、寧為雞口、無為牛後。於是六国従合。

「合従連衡」に関する書き下し文

秦人諸侯を恐喝して地を割かんことを求む。洛陽の人、蘇秦というものあり、秦の恵王に游説して用いられず。乃ち往いて燕の文侯に説き、趙と従(しょう)親(しん)せしむ。燕之に資し、もって趙に至らしむ。粛侯に説いて曰く、諸侯の卒、秦に十倍せり。力を併せて西に向かわば、秦必ず破れん。大王の為に計るに、六国従親してもって秦を擯(しりぞ)くるに若(し)くはなしと。粛侯すなわち之に資し、もって諸侯に約せしむ。蘇秦、鄙(ひ)諺(げん)をもって諸侯に説いて曰く、寧ろ雞口となるとも、牛後となるなかれと。ここにおいて六国従(しょう)合(ごう)す。

「合従連衡」に関する現代語訳

秦の王は、諸国をおどして、領土を割譲せよと要求しました。

その頃、洛陽の人で蘇秦そしんという者がいました。かつて秦の恵王に進言を奏上したことがあるのですが採用されることはありませんでした。そこで彼は燕の文侯のところに行き、秦への対抗策を説いて、趙と南北同盟を結ばせようとします。燕はこの提案を受け入れ、活動資金を与えて彼を趙に行かせました。

蘇秦は趙の粛侯しゅくこうに会うとこう進言しました。「諸侯の兵力は秦の十倍もあるのです。力を合わせて西の秦に向かえば、秦はきっと敗れるでしょう。

大王のために考えますと、このように六国が同盟を結んで秦を排斥するのが一番です」

粛侯は蘇秦のこの案を聞いてなるほどと賛同し、これに資金を与えて諸侯に同盟の約束をさせます。

蘇秦は諸侯を前にして「牛のような大物の尻にくっつくくらいなら、いっそ鶏のようなちっぽけな者のかしらになった方がましと言うものです」と卑俗なたとえを使って諸侯を説得しました。こうして南北に並ぶ国々による六国同盟が成立しました。

蘇秦の活躍で結ばれた同盟(=合従)ですが、しんの宰相・張儀ちょうぎの切り崩し(=連衡)によって翌年には破綻してしまいます。各国の利害の調整はいつの時代も難しいようです。

「合従連衡」の関連語

「合従連衡」と同じく戦国時代の秦にまつわる故事成語としては、秦の王が有利な立場を利用し「和氏の璧」を奪おうとして失敗した話から「完璧」と「怒髪天を衝く」。秦の戦略が元となった「一挙両得」「遠交近攻」などがあります。

「合従連衡」の中国語

中国語合从连衡
ピンインhé cóng lián héng
音声
意味その時々によって組む相手を変える。

日本語と同じように使います。