塞翁さいおううま

意味
人生の幸不幸や吉凶は変転するものであり、人間の予想や思惑どおりにはならない。
例文
会社を首になったからってそんなに落ち込むな。人生万事塞翁が馬って言うじゃないか。あの会社をやめたから今があるって言える時が来るかもしれないぞ。
出典
淮南子えなんじ』人間訓……『淮南子』とは: 前漢の武帝の頃書かれた思想書。淮南王劉安(B.C.179~B.C.122)が編纂。道家思想を中心に儒家・法家・陰陽家の思想を交えて書かれている。淮南王劉安とは:漢の高祖(劉邦)の孫。武帝に対する反乱を企てて自害。学問や文化を愛し、方術の士を招き、諸思想を収集して『淮南子』を編纂した。

「塞翁が馬」の由来

塞翁が馬」は中国の前漢の時代に書かれた『淮南子』という書物の中にある話が元となってできた故事成語です。

「塞翁が馬」の故事の時代

「塞翁が馬」の故事の時代(年表)
塞翁が馬」の故事の時代(年表)。中国の前漢時代の出来事です。

「塞翁が馬」の故事の場所

「塞翁が馬」の故事の場所(歴史地図)
塞翁が馬」の故事の場所(歴史地図)。『淮南子』は淮南でまとめられました。

「塞翁が馬」の故事

塞翁が馬

国境のとりでの近くに、運命判断など占いの術に長けた老人の一家がありました。ある日飼っていた馬がなぜか突然国境の外、胡人(北方の異民族)の住むあたりに逃げていってしまいました。人々が見舞いにやってくるとこの老人は

「今度のことは福を呼び込んでくれるかもしれんよ」と言います。

それから何か月かして、この逃げた馬がなんと胡人の飼っている立派な馬を何頭か引き連れて戻ってきました。人々がまたやってきて「良かった良かった」と祝福すると老人は

「これは災いをもたらすかもしれんよ」と言います。

この老人の家では良馬をたくさん飼っていたのですが、ある日老人の息子が馬から落ち足の骨を折ってしまいました。人々が見舞いにやってくるとこの老人は

「今度のことは良いことかもしれんよ」と言います。それから一年が過ぎ、胡人が大挙して国境を越えて侵入してきたので、体の頑健な男子はみな兵隊にとられてしまいました。彼らの多くはこの国境のあたりで戦死しましたが、老人の息子は足を悪くしていたため徴兵を免れ、親子ともども命拾いしたということです。

この物語が故事成語「塞翁が馬」となりました。

淮南子
『淮南子』の著者たちの像。右上に書かれている文字『淮南鴻烈』は『淮南子』の別名。

「塞翁が馬」の関連語

「塞翁が馬」と同じく前漢時代の話が元となってできた故事成語には、「朝令暮改」「百聞は一見に如かず」「窮鼠猫を噛む」などがあります。

「塞翁が馬」の中国語

中国語塞翁失马
ピンインsài wēng shī mǎ
音声
意味人生の幸不幸や吉凶は変転するものであり、人間の予想や思惑どおりにはならない。。日本語と同じです。

意味は日本語と同じですが、中国語では「塞翁之馬」ではなく「塞翁失馬」(塞翁馬を失う)と言います。

「塞翁が馬」という故事成語はしばしば「人間万事塞翁が馬」だ、という使われ方をします。この時の「人間」は「にんげん」ではなく、「じんかん」と読みます。

中国語の“人间”には日本語のような「人」という意味はなく、「人間の住むこの世・世の中・世間」という意味です。この成語の典拠である『淮南子』人間訓の「人間」も「世の中」という意味で「じんかんくん」と読みます。

「人間」という漢字はそもそも「人のいる空間」という意味を表していますから、この言葉が日本に伝わった時なぜ「人」という意味になったのか、そちらの方が実は不思議です。ただこの成語「塞翁が馬」が日本に伝わった時すでにそのズレに気づいていて、そこで「じんかん」と読ませ、「にんげん」とは読まなかったのでしょう。