是々非々ぜぜひひ

意味
是々非々とは、良いことは良い、悪いことは悪いと公平な立場で判断すること。
例文
わが社は時の政権に対しては、常に是々非々の立場で対応してきました。
出典
荀子じゅんし』修身
……『荀子』とは:荀子(B.C.313~B.C.238)は戦国時代末の思想家。性悪説を唱えた。荀子の著作をまとめものが『荀子』。

「是々非々」の由来

まずは「是々非々」の由来となったお話の年表と歴史地図から紹介します。

「是々非々」の故事の時代

「是々非々」の故事の時代(年表)
是々非々」の故事の時代(年表)。荀子は中国の戦国時代の人です。

「是々非々」の故事の場所

「是々非々」の故事の場所(歴史地図)
是々非々」の故事の場所(歴史地図)。荀子は趙の国で生まれました。

「是々非々」の故事

是々非々

『荀子』修身篇に

「是是非非、謂之智、非是是非、謂之愚」

という言葉が出てきます。

書き下し文にすると

としとする、これを智とい、是を非とし非を是とする、之を愚と謂う。」

となります。

意味は

「正しいものを正しいと判断し、間違っているものを間違っていると判断する、これを智と言う。正しいものを間違っていると判断し、間違っているものを正しいと判断する、これを愚という」

ということです。

人間はともすると感情や身内意識、或いは利害で事柄の良しあしを判断しがちです。「ダメ!認めない!だって嫌いだから」なんてしょっちゅうやります。自分の感情や身内意識、損得勘定を度外視して、公平に言って正しいか否かで判断するというのはなかなか難しいことです。これができる人を荀子は「君子」、つまり立派な人物であると認めたわけです。

ところでこの「是非」という言葉、日本語では一般に「きっと・必ず・何がなんでも」という意味で使いますが、これは元々「是が非であろうと・正しかろうと正しくなかろうと」という意味で、それが「何がなんでも」という意味になっていきました。

「是々非々」の関連語

「是々非々」と同じく『荀子』がもとになってできた故事成語には、「性悪説」などがあります。

「是々非々」の中国語

中国語是是非非
ピンインshì shì fēi fēi
音声
意味ことの是非や良し悪しがはっきりしていること。

同じ言い方ですが、意味は少し違います。日本語は「公平な立場に立って是非を判断すること」ですが、中国語は「是非の判断がはっきりしていること」です。

また書き方も日本語は「是々非々」ですが、中国語では「是是非非」です。

つまり「々」という文字は中国語にはありません。「々」は「おどり字」・「くりかえし記号」とも呼ばれますが、これは日本独特の記号です。

「佐々木さん」は中国に行くと「佐佐木さん」になり、「奈々さん」は同じく「奈奈さん」になります。