先んずれば人を制す
「先んずれば人を制す」の由来
「先んずれば人を制す」は、中国の秦末期、秦が滅びつつある中での出来事が元となってできた故事成語です。当時秦では反乱が広がっている状況でした。
「先んずれば人を制す」の故事の時代
「先んずれば人を制す」の故事の場所
「先んずれば人を制す」の故事
紀元前209年7月陳勝らが大沢で決起(反乱軍)し、9月に入ると項梁(項羽の叔父)は会稽郡の長官殷通に呼び出されこう言われます。
「長江の西では反乱が広がっておる。これは天が秦を滅ぼそうという証だ。先んずればすなわち人を制し、遅れればすなわち人の制するところとなると言うではないか。わしもこの機に乗じて挙兵しようと思う。そこで貴公と桓楚にも加わってもらいたい」
その時桓楚は沼地に逃亡していましたので項梁は
「桓楚のありかは甥の項羽だけが知っておりまする」
こう言うと外に出て、項羽を呼び剣を持たせて部屋の外で待機させました。梁は再び部屋に入り殷通に向かって
「どうか項羽を召して桓楚を呼ぶようご命令ください」と言うと殷通は
「わかった」と返事をします。梁は項羽を部屋に呼び入れると一瞬間をおいて彼に目配せし
「今だ」と項羽に声をかけます。そこで項羽は刀を抜いて殷通の首を切り落とします。
その後項梁が殷通の首を持ち印綬を下げて部屋から出ていくと役所の中は騒然となり、大混乱となったところで項羽は役人たち数十人を切り殺します。生き残った者たちはみなひれ伏し、歯向かおうとする者はひとりもいませんでした。
この話から「先んずれば人を制す」という成語が生まれました。
「先んずれば人を制す」の関連語
同じく項羽の話が元になった故事成語には、「四面楚歌」「捲土重来」「鴻門之会」「左遷」などがあります。
同時代の話から作られた故事成語に、韓信が活躍する「背水の陣」、その戦いで捕らえられた李左車の言葉から「敗軍の将は兵を語らず」、などがあります。
「先んずれば人を制す」の中国語
中国語 | 先发制人 |
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ピンイン | xiān fā zhì rén |
音声 | |
意味 | 人より先に行えば有利な立場に立てるということ。 |
日本語では「先んずれば人を制す」だけが成語になっていますが、中国語では上に挙げた故事成語の物語の中にもあるように、“先发制人,后发制于人”(先んずれば人を制し、遅れれば人に制される)とペアで知られる表現です。“制人”と書けば「人を制す」と能動態に、“制于人”と書けば「人に制される」と受動態になります。
ところで中国のビジネス界は、今まさにこの成語に突き動かされているようです。
たとえば中国では2016年頃からシェア自転車が大流行、このビジネスでの2強は「摩拝単車」と「Ofo単車」2社でしたが、その後続々と新しい会社が参入というニュースが入ったのもつかの間、2強以外はばたばたと倒産の憂き目を見ているとか。まさに「先んずればすなわち人を制し、遅れればすなわち人の制するところとなる」です。
三人寄れば文殊の知恵ならぬ、儲け話になるという現代中国、これが儲かる!となると人に先んじるため後先なく殺到している感じに見えますが、これが今の中国を支えるエネルギーにもなっているのでしょう。