不惑
昔は年齢を「数え年(かぞえどし)」で数えました。数え年というのは生まれた時にすでに1歳、最初の誕生日を迎えると2歳…という数え方です。そうすると昔の「不惑」は満年齢の40歳前、38~39歳のことになります。
現代は満年齢で数えますから、満40歳が「不惑」と呼ばれる年齢です。
「不惑」の由来
まずは「不惑」の由来となったお話の年表と歴史地図から紹介します。
「不惑」の故事の時代
「不惑」の故事の場所
「不惑」の故事
「不惑」は孔子の言葉が元になっており、由来となった文章は『論語』に登場します。
『論語』為政篇に以下のような文が出てきます。
「十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順う。七十にして心の欲するところに従えども、矩をこえず」
これが40歳を「不惑」と呼ぶ由来となった文章です。
この意味を現代語にすると以下のようになります。
「15歳の時に学問を志し、30歳になると自分で立つことができるようになった。40歳では己れの人生に迷いがなくなり、50歳で自分の天命が何かということを知った。60歳になると人の意見に耳を傾けることができるようになり、70歳になると自分の心のままに行動しても規範からはずれるということがなくなった」
これは74歳で亡くなった孔子が晩年に自分の人生を振り返って弟子たちに述べた感慨です。やがて人が生きる節目の指針となり、さらにはここで使われた言葉が節目の年齢を意味するようになりました。
「不惑」以外の年齢を表す言葉
上記の文章には不惑以外にも年齢を表す言葉が出てきます。15歳は「志学」、30歳は「而立」、40歳は「不惑」、50歳は「知命」、60歳は「耳順」、70歳は「従心」です。
日本では「不惑」以外ほとんど使いませんが、中国では書き言葉として「而立」「不惑」「知命」「耳順」はそれぞれ、30歳、40歳、50歳、60歳の意味で使われています。「志学」と「従心」は辞書にも出てきませんので使われないのだろうと思います。
還暦・古希・喜寿・米寿・傘寿・白寿などは?
日本では60歳で「還暦」、70歳で「古希」、77歳で「喜寿」、80歳で「傘寿」、88歳で「米寿」、90歳で「卒寿」、99歳で「白寿」…という言い方がありますが、「還暦」と「古希」を除くと中国語にはなく日本独自の言い方です。
「還暦」は中国語では「花甲」と言います。意味は「還暦」と同じで、60年経って干支…十干と十二支が一巡りし、生まれた年に戻ったという意味です。
「古希」は杜甫の詩『曲江』から取った言葉です。
77歳の「喜寿」は「喜」の草書体が七十七に見えるところから。80歳の「傘寿」は「傘」の略字が八十に見えるから。88歳の「米寿」は「米」の字をくずすと八十八に見えるから。90歳の「卒寿」は「卒」の略字が九十に見えるから。99歳の「白寿」は「百」から「一」を取ると「白」になるからという理由からです。
「不惑」の関連語
「不惑」と同じく『論語』がもとになってできた故事成語には、「温故知新」「和して同ぜず」「過ぎたるは猶及ばざるが如し」などがあります。
孔子に関連する故事成語として、『孔子家語』から「良薬は口に苦し」「水清ければ魚棲まず」、『詩経』から「有終の美」などがあります。
(孔子の生涯や思想、名言などについて詳しく紹介しています。)
(『論語』の概略や名言などについて詳しく紹介しています。)