道家の思想と歴史

道家

道家とは老子荘子の思想や、それを信奉する人のことです。道教は道家思想を元にし、そこに他の要素を加味してできた宗教で、道家と道教は似て非なるものです。

※上の画像は老子を描いたもの。

道家とは

道家(どうか)とは、老子や荘子を代表とする思想やそれを信奉する人々のことです。

儒家墨家のように、道家独自の思想グループが存在したわけではありません。

中国古代の春秋戦国時代、道家は儒家や墨家と並んで当時の思想界を代表する存在でした。

道家は戦国末から前漢初にかけて、学問として整理されていきました。

道家の思想は老子に始まり、老子の思想は『老子』にまとめられています。

老子が「道」を重んじたため、戦国時代の後期から「道家」と呼ばれるようになりました。

老子の思想は荘子がさらに発展させていき、「老荘」と並び称されています。

「道教」は「道家」とイコールではありませんが、元になったものは道家思想で、そこに他の要素を付加し宗教化されました。

老子の人生と思想

人生

老子は生没年不詳で、実在を疑う人もいます。

孔子に礼を教えたともいわれており、孔子より年長という説、逆に孔子より後に生まれたという説もあります。

姓は李、名は耳(じ)。母の胎内に81年おり、生まれた時にはすでに白髪だったといいます。

身長は2メートル近く、耳が長く目は大きく、額が広く歯はわずか、四角い口と厚い唇という容貌の持ち主で、楚の国に生まれ、150歳を超えて亡くなったといわれています。

この経歴からはなるほど実在が疑われてもおかしくありません。

老子は東周の図書館の役人をしていましたが、周王朝が衰退していくさまに、都を去って国境の関所に行きました。

関所の役人が老子に著書を所望すると、『道徳経』上下五千字余りを書いて渡し西のかなたへ去っていきました。

この『道徳経』が『老子』です。

上巻1~37章は、最初に「道」の文字で始まっているので「道教」といい、下巻38~81章は「徳」で始まっているので「徳教」といい、合わせて『道徳経』といいます。

『老子道徳経』『老子五千言』とも呼ばれています。

『老子』は後代に書かれた偽書との説もありましたが、考古学上の発見から秦朝以前に書かれたものであることは確実となっています。

思想

老子が説く「道」とは、万物の根源に存在する永遠に不変の法則のことです。

「道の道とすべきは常の道にあらず。名の名とすべきは常の名にあらず」(道の中で道と言えるものは不変の道ではない。名前の中で、これが名前だと言えるものは不変の名前ではない)

「道は一を生ず。一は二を生ず。二は三を生ず。三は万物を生ず」(道が一という気を生み、一が陰陽の二気を生む。陰陽二気が作用しあって、三というエネルギーを生み、これが陰陽の気を調和して万物を生む)

無為

老子は何より「無為」(何もしない)を説きます。

人の手を加えず自然に任せよと。

儒家は努力や出世をめざすのですが、老子はことさらに何かをしようとするな、ことさらに何かを言おうとするな、多くの物を持つなと言います。

安らぎと幸せは無為の中にある。

宇宙の真実を見よ、天も地も悠久なものとして存在を続けている。ことさら生きようなどとしないからだ、無為自然を守っているからである。

何かに愛着し、それをなんとかして自分の物だけにしておこうとするから、逆に失って不幸になるのだ…老子はこのように説いています。

最上の善とは水のようなものだ。恩恵を与えるだけで、他と争わない。

低く暗く、人が嫌がるところにも流れていく。

柔らかくて、どんな形にも順応し自分の姿を変えていく。

といって水ほど強いものはない。たった1滴でも絶えずしたたり落ちれば石にも穴があく。

水は永遠なる不変の法則「道」に近い。

小国寡民

小国寡民(しょうこく かみん)…小さい国で人口も少ない…これが理想の国であると老子はいいます。

才能が抜群の人にもその才能を使わせないようにする。

民を船にも乗せず武器も使わせない。

今ある食や住まい、風俗習慣を楽しみ、隣の国が見えてもお互い行き来しない。

これが老子の描くユートピアです。

老子の思想は、世間的な成功をめざす価値観とは真逆の思想です。

荘子の人生と思想

人生

荘子もまた生没年不詳ですが、梁の恵王(在位BC.369~BC.335)、斉の宣王(在位BC.319~BC.301)と同時代だといわれています。

この二人の王はどちらも孟子と問答をしているので、荘子と孟子は同時代の人だと考えられています。

荘子は宋の国の蒙出身で、名は周、字は子休、蒙の漆園を管理する役人でした。

楚の威王が、荘子が人物であることを聞いて、大金と大臣の地位をもって招きましたが、荘子はこれを断りました。荘子の伝記として伝わっている話はこれだけです。

思想

荘子の思想は『荘子』内編・外編・雑編にまとめられていますが、このうち内編…特に「逍遥遊(しょうようゆう)編」と「斉物(せいぶつ)論編」が荘子本来の思想だといわれています。

その他は荘子以降の学者たちが書いたものと見られています。

夢に胡蝶になる

「斉物論」とは「物をひとしくする論」という意味で「万物斉同」ともいいます。

ここに「夢に胡蝶になる」という有名な話が入っています。

…ある日荘子は夢の中で蝶になった。楽しく飛び回っていて、自分が誰であったかも忘れてしまった。目が覚めるとそこには荘子がいる。はたして荘子が夢で蝶になったのか、それとも蝶が夢を見て荘子になったのか。

荘子と蝶、夢と現実、生と死に本質的な違いはなく、いずれも相対的な違いにすぎない。

「万物斉同」・万物はひとしく同じなのだと荘子は説きます。

価値観にこだわる無意味さ

荘子はまた、それぞれの価値観の違いで争うことの愚かさを説きます。

それは人間どうしだけでなく、動物の世界にまで及びます。

人間の価値観は動物に通じるかと聞くのです。有名な美人を見ても魚は心を動かすことなく水の中にもぐってしまう。人間が後生大事に抱え込んでいる価値観などしょせんそんなものであると。

したがって儒家がこだわる仁や義などのスローガンも時と場合によって変わる相対的な価値観にすぎない、と切って捨てます。

人間の価値観に疑問を持つ荘子は、荘子自身の価値観やそれを表現する己の言葉にも疑いの目を向けます。

そこで言葉によらずして「明」という一種の悟りの境地によって真実と向かい合うということを考えます。

荘子のこの思想は後の仏教の「禅」に似ており、禅宗がインドから伝わった時、中国では『荘子』の思想の助けを受けて受容されたといいます。

老子と荘子が語る道家の思想は、俗世に生きる人間の価値観をひっくり返し、人に自分の生き方を振り返らせます。

また宇宙の根源や成り立ちに深い関心を寄せるスケールの大きさも老荘思想の魅力です。

『荘子』の寓意に満ちた語り口も古来読み手を惹きつけてきました。

黄老思想とは

戦国末期から前漢にかけて、老子の思想は伝説の皇帝・黄帝に始まるという考え方が広まりました。黄帝の思想は「無為にして治まる」というもので老子の思想と共通していたため、黄老思想と並び称されるようになりました。

道教とのかかわり

老子や荘子の「無為にして大自然に遊ぶ」という思想は、不老長寿である「神仙」や神秘的な世界への憧れを生みました。

やがて呪術や祈祷、陰陽五行説などとも結びつき宗教的になっていくのですがこれが「道教」で、老子や荘子の思想とは似て非なるものです。

初期の道教の一派としては「太平道」や「五斗米道」(ごとべいどう)があります。

道教では黄帝や老子は仙人であり、仙人としての老子は「太上老君」(たいじょう ろうくん)という名を持ち、天に君臨する存在となっています。

道観や道士

唐王朝の姓は「李」であり、老子の姓と同じであることから、唐朝では老子が尊ばれました。

玄宗皇帝は儒家とともに道家の『老子』『荘子』を官学とし、各地に「道観」(「玄元皇帝廟」ともいう…「玄元皇帝」とは老子のこと)と呼ぶ道教の寺院を建てました。

また神仙思想と結びついた後の道家は「道士」と呼ばれるようになりました。道士とは不老長寿の方法を学ぶ人のことで、仙人を意味することもあります。

「道家」の関連ページ