字(あざな)【中国の歴史上の人物名に使われる意味と理由】

字(あざな)

字(あざな)とは

と書いて「あざな」と読みます。これは中国において、かつて姓・名以外につけた名前です。古代の中国では男子は20歳、女子は15歳で字(あざな)を持つことができました。『礼記らいき』(周代から漢代にかけて儒者たちがまとめた礼に関する書物)に「男子は20歳で冠をつけ字を持った。女子は15歳でかんざしをつけ字を持った」とあります。字は自分でつけることもありましたし、人につけてもらうこともありました。一般には高級官僚である「士大夫」や知識人がつけ、地位の低い者が字を持つことはありませんでした。

字はなぜ必要だったのか

古代中国でも人の名前は姓と名の組み合わせでしたが、他人が人の名を口にすることは失礼なことでした。上述した『礼記』に書かれているように字は成人の呼び名であって、人に対しては名ではなくこの「字」を用いて呼びかけるのが普通でした。つまり字は名の代わりに用いられたのです。ただし字で呼ぶのも親しい間柄に限られ、役職を持つ人にはその役職で呼ぶのが礼にかなった呼び方でした。自称としては「名」を名のり、字を使うことはありません。

字と名の関係

字をつける時、名となんらかの関連がある場合が多いと言われています。

たとえば李白の字は「太白」、諸葛亮の字は「孔明」で亮と明が同じ意味です。趙雲の字は「子龍」で龍は雲を呼ぶ、ということから来ています。

字と名が逆の意味になることもあり、韓愈の字は「退之」で愈と意味が逆になります。

経書から取った例もあります。曹操の字は孟徳で『荀子』の中の言葉から取っています。

女性はほとんど字がありません。班昭はんしょう(45~117)は後漢の人で中国最初の女性歴史家ですが、彼女には珍しく字があり「恵班」と言います。

歴史上の有名人の姓・名・字

歴史上の有名人の名を、姓・名・字の順で紹介します。

歴史上の人物の姓・名・字
玄徳
諸葛孔明
雲長
翼徳(益徳)
子美
居易楽天
鵬挙

一般には「項羽」(姓+字)で知られています。

白居易も「白楽天」(姓+字)の方が有名です。

中国の氏と姓

字を書いたところで中国の名前について少し触れてみます。

中国ではまず「姓」が存在しました。女偏に「生」と書かれているように、姓は女性と関係があります。つまりこれは母系社会における血縁関係を意味していました。

その後貴族は「氏」という身分の高さを表す名を持つようになりました。たとえば「公孫」という苗字は今もありますが、これは諸侯の出身であることを意味する氏です。このほか官職名や居留地、技能などが氏となりました。

周代の貴族は姓も氏もありましたが男性は氏のみを名のり、女性だけが姓を名のりました。女性は結婚すると実家の姓と婚家の姓を合わせて名のり、たとえば実家の姓が「王」で婚家の姓が「李」ならば「李王氏」と名のったのです。

この姓と氏の違いはその後はっきりしなくなり、やがて同一のものと見なされるようになりました。今でも氏名とか姓名とか両方使いますね。

中国の姓と日本の姓

中国人は日本人に比べて姓が少ないため同姓が多く、たとえば私の周囲だけでも「李さん」は5人います。逆に日本人は姓が多く約30万ほどあるとのことで、中国人の間でよく話題になります。

現在中国で「単姓」(漢字1つの姓)は4700余で、「複姓」(漢字2つの姓)は100余。非常に多い単姓は、張・王・李・趙・劉で、「張王李趙遍地劉」(張王李趙いたるところに劉…最後の劉は流とかけていて、張王李趙劉はいたるとことを流れている、という意味になります)という言い方があるほどです。わりに多い複姓には、諸葛・欧陽・公孫などがあります。

13億以上の人が暮らす中国で姓が6000足らずでは必然的に同姓同名が多くなります。