李斯の生涯~法による支配を推し進めた名宰相~【歴史地図】

李斯

李斯(りし)は始皇帝の丞相として、郡県制度や度量衡、貨幣の統一、焚書坑儒などの政策を推し進め、始皇帝の統治を助けました。始皇帝が亡くなると、宦官・趙高にそそのかされ、その死を隠蔽して始皇帝の末子を二代皇帝にしますが、後に趙高によって命を奪われました。

李斯とは

李斯(り し…生年不詳~BC.208)は、に生まれ、最初役人になりましたが、その後荀子の元で帝王術を学ぶと秦に行って丞相・呂不韋の食客になりました。呂不韋に認められて秦の役人となり、秦王・政に、諸国を滅ぼして天下を統一するよう進言すると、客卿という身分に取り立てられました。秦の天下統一が成り、始皇帝が即位するとその丞相に取り立てられ、秦王朝の基本方針・郡県制度や法律、度量衡などの統一などを、始皇帝の補佐として推進しました。始皇帝が行脚先で急死すると、皇帝側近の宦官・趙高にそそのかされ、始皇帝の遺書の改ざん、長男扶蘇を自殺に追いやって、末子胡亥を二世皇帝として擁立するなどに手を染め、やがて趙高に図られて悲惨な死を遂げました。

戦国時代中期の地図
戦国時代中期の地図。秦は左に位置しています。
年表
年表。李斯は戦国時代に活躍し秦の丞相となりました。

李斯の経歴

李斯は秦ではなく楚の上蔡(じょうさい…河南省にある地域)に生まれ、その町で役人になりました。

ある日役所のトイレにいたネズミが人や犬の姿におびえながら糞便を食べ、一方倉庫にいたネズミは悠然と貯蔵米を食っているのを見ました。李斯は「人もネズミと同じだ。居る場所によって賢や不賢が決まるのだ」とため息をつきました。

「場所が人生を決める」と悟った李斯はちっぽけな故郷に別れを告げ、荀子の元で帝王の術を学んだ後、当時の超大国・秦に行き、まだ始皇帝を名乗る前の秦王・政の丞相であった呂不韋(りょ ふい)の食客となりました。まもなく李斯は呂不韋に認められ、秦の役人として登用されました。

役人となった李斯はある日秦王・政に持論を説くチャンスを得ます。李斯は秦王にこう言いました。「チャンスというものはただ待っているだけではいけません。人の隙に乗じるのです。秦がかくも強大になった今こそ諸国を滅ぼし天下を統一する時です」。

これを聞いた秦王は李斯を客卿(かくけい…外国人の大臣)に抜擢しました。

のちにの鄭国というスパイが秦に入り込み、秦の国力を弱めようとして灌漑工事をさせていたことが発覚。秦王朝における外国人排斥の機運が高まり、李斯も追放されそうになりました。すると李斯は秦王に「これまで秦国は何人もの外国人政治家を使っておおいに繁栄してきました。商鞅(しょう おう)・張儀・范雎(はん しょ)みな外国人です。そして秦は彼らを登用することで強大になりました…」。李斯は、人も物資も優れているならば外国のものであっても用いることこそ、強国の道だと縷々説きました。

秦王は李斯の意見に耳を傾け、これを採り入れました。そして中国を統一し始皇帝となると、李斯を丞相(じょうしょう…現代の総理大臣にあたる)にしました。

始皇帝側近としての李斯の仕事

李斯は始皇帝の丞相になると、皇族や功があった臣下を諸侯に封じることなく郡県制度(ぐんけん制度…中央政府が派遣する役人が地方を治める制度)の徹底を進言しました。また悪名高い「焚書坑儒」(ふんしょ こうじゅ…実用書以外の本を焼き、儒家を生き埋めにするなどの思想弾圧)を建議したのも李斯です。

始皇帝は丞相李斯の補佐の元で、法律を定め、度量衡や貨幣、文字などを統一しました。

始皇帝死後の李斯

始皇帝は始皇帝37年(BC.210)に、李斯のほか宦官の趙高、そして始皇帝が寵愛していた18子である末っ子の胡亥(こがい…BC.230?~BC.207 秦王朝の二世皇帝)を供として諸国巡幸をしていましたが、その旅の途中7月に病に倒れます。

始皇帝は、陝西省に遠ざけていた長男・扶蘇(ふそ…BC.242~BC.210)に「軍は蒙恬に任せ、お前は咸陽に戻って私の葬儀を取り仕切れ」という手紙を書いて趙高に渡しました。

李斯は、巡幸の途中であり、次の皇帝がまだ定まっていないので、始皇帝の死を秘し、遺体を温度調節ができる車に安置して、今までどおりの行動を続けました。

こうした中趙高は胡亥に、兄・扶蘇ではなく胡亥自身が即位するよう説得します。また李斯に向かっても胡亥擁立を説き、これに反対する李斯を最後には説き伏せ、始皇帝の手紙を書き替えて扶蘇に送り、扶蘇を自殺に追い込みます。

胡亥は咸陽の都に戻ると、二世皇帝として即位しました(在位BC.210~BC.207)。趙高がすべてを取り仕切り、李斯は半ば脅されながらこれに加担しました。

悲惨な最期

趙高は実権を握ると胡亥・二世皇帝を操り、李斯を息子とともに謀反を企んだと陥れ、腰斬(ようざん)の刑という残虐な刑で命を奪いました。

その刑を受けるために牢から出された李斯は同じく刑場に引かれていく息子に「お前といっしょにあの黄色い犬を連れ、故郷でウサギ狩りをしたいと思っていたが…」と声をかけ共に泣いたといいます。