後漢書とその著者・范曄の解説

後漢書

後漢書』とは、後漢王朝について書かれた紀伝体の歴史書のことです。南宋の范曄によって編纂され、唐代以降正史に組み込まれました。

後漢書とは

後漢書』(ごかんじょ)とは、後漢王朝について書いた紀伝体の歴史書のことで、正史の一つです。後漢の歴史は多くの人が書いているのですが、そのほとんどは時とともに消え、唐の章懐太子が南宋の范曄(はん よう…398~445)の『後漢書』に注をつけた後はこれだけが残り、『後漢書』といえば今もこの范曄の『後漢書』を指します。全120巻で、本紀10巻と列伝80巻は、范曄が南宋時代まで残っていた後漢に関するさまざまな史書やその一部を参考にして書き直し、本紀や列伝の後ろに「論賛」という自分の論評をつけて編集しました。志(天文、地理、礼楽、制度など分野別の歴史)30巻については晋の司馬彪が書いたものをもってきて合体させ、こうして『後漢書』は432年に完成しました。

『後漢書』成立まで

『後漢書』は范曄が書いたものだけが残りましたが、実はいろいろな人が『後漢書』を書いています。

今私たちは、正史としての権威ある『後漢書』は最初から当時の偉い学者が朝廷に頼まれて書いたのだろうと無意識に思っていますがさにあらず。

司馬遷の『史記』に触発された後世の学者たちが、我も我もと『史記』の続きや、『漢書』の続きを書くようになったというのです。その動機については、「朝廷に自分を売り込もうとした」とする説があります。

中国の歴史を正確に記そうとか、歴史に名を残そうといった抽象的な願望ではなく、もっと実際的な欲望から来ていると。

実は『後漢書』を書いた范曄もまたそうした人物の一人でした。

『史記』『漢書』『後漢書』という中国の史書を代表するそうそうたる書物の作者について、「時代が下がるほど書き手の柄が悪くなる」という身も蓋もない意見もあります。

とすると范曄は、権威ある書物の作者として神々しい後光を頭上に抱くエライ人…という後世の私たちが無意識に抱く人物像…とはほど遠いということでしょうか。

実は范曄の『後漢書』とは、范曄が生きた南宋という時代までに残されていた、後漢に関するさまざまな史書やその一部を参考にして范曄が書き直し、さらに本紀や列伝の後ろに「論賛」という自分の論評をつけて編集したものなのです。

やがて范曄本以外の『後漢書』やその一部は、梁(りょう…南朝時代の王朝 502~557)から隋にかけて次第に失われていきました。

唐代になると皇族である章懐太子(しょうかい たいし…唐の高宗の子。母は武則天)が范曄の『後漢書』に注をつけ、それ以後はこの『後漢書』だけが残って、やがて正史として認められたというわけです。

つまり『後漢書』は最初から権威ある書物として権威ある人物によって書かれたものではなく、長い年月によって他が淘汰される中で生き残り、唐代に至って「正史」という権威が与えられたのでした。

范曄とは

范曄は南宋の人で名家の出身です。早くから文章や音律、隷書に優れた才能を発揮していたといいますが、とてもわがままな人物としても有名でした。

上司の家で葬儀があった時、窓を開け挽歌に合わせて楽器をかき鳴らして上司の怒りを買い、左遷されてしまいます。

この左遷先で范曄は『後漢書』を編集、執筆しました。

数年後実母が亡くなり、その葬儀にも妓女を連れていくようなありさまで周囲の顰蹙を買っていました。

范曄は琵琶の名手でもありましたが、范曄が仕えた南宋の文帝が宴席で琵琶を一曲弾くようほのめかしても知らんぷりしていたといいます。けれども文帝は范曄の才能を愛し、これを罰することはしませんでした。

文帝の側近を排除しようとクーデターの動きがあった際、范曄もこの仲間として巻き込まれます。

范曄を可愛がっていた文帝は、この裏切りにとうとう怒って彼を投獄、刑死させました。

獄中で范曄は壁越しに「おい、誰が秘密を漏らしたんだ?」と仲間に聞いたというエピソードが残っています。なんだか最期まで駄々っ子のお遊びのような人生だったという印象です。

刑死したとき范曄は48歳でした。刑場に引かれていく際も家族には平然としており、妓女が挨拶をした時だけ涙を流したといいますから、才能はあっても人間としては常軌を逸した人物だったのでしょう。なるほど「柄がいい」とは言えません。

『後漢書』への評価

『史記』や『漢書』にはさまざまな評論があるのですが、『後漢書』以降はそうした議論があまりありません。

後の清代になって盛んに議論されるようになりましたが、そうした中でたとえば趙翼は「『後漢書』列伝はよく選ばれており」「立論は平を持し、褒貶もまことに当たり、范曄は学も識もあって、ただの才子だったと見るべきではない」と高く評価しています。

范曄自身が獄中で書いたという自序では「後漢書を作るにあたって古今の著述や評論を詳しく見たが、ほとんど気に入ったものはなく」「わたしの整理だけは決して恥じるところはない」と自負の思いを吐露しています。

「後漢書」の関連ページ