重陽節の由来と習慣
目次
- 1. 重陽節とは
- 2. 重陽節の由来
- 3. 重陽節にちなんだ物語
- 4. 重陽にちなんだ漢詩
- 5. 現代の重陽節
重陽節とは
重陽節とは旧暦の9月9日に行う節句で、「重九節」とも言います。
秋真っ盛りの節句であるため、山に登って秋の景色を楽しんだり、菊の花を愛で、菊花酒を飲んだり、「重陽糕」という伝統の餅菓子を食べたりします。
もともとは疫払いの日だったようですが、やがて敬老の日となり現代に至っています。
重陽節の由来
重陽節は紀元前の戦国時代にはすでに存在し、唐代に民間節句として正式に認定されています。
中国で奇数は陽の数。九月九日は陽数の極である九が重なる日であることから「重陽節」と呼ばれます。もともとは陽の数が二つあるのは陽の気が強すぎるとしてその邪気を払う日でしたが、やがてこの日は吉祥の日となりました。
かつては菊の花を愛でたり、菊の花びらを浮かせた酒を飲んだり、菊の花に綿を置いて露をしみこませ、それで体をぬぐうなどの風習がありましたが、こうした習慣は廃れ、2013年からこの日は「老人の日」となっています。ただし法定祝日ではなく休日ではありません。
重陽節にちなんだ物語
道教の神仙説話にこんな物語があります。
後漢の時、汝南というところに両親、妻子とともに暮らす桓景という若者がいました。暮らしは決して楽ではありませんでしたがそれなりに暮らすことができました。ところがその後汝河という川の両岸で伝染病が流行り始め、どの家からも死者が出て埋葬する場所もないほどでした。桓景の両親もまたこの病の犠牲となってしまいました。
桓景は幼い頃から大人たちが「汝河には疫病神が棲んでいる。毎年人間界にやってきては伝染病をまき散らしていく」と言うのを聞いて育ちました。
桓景はこの疫病神を退治しようと、その方法を教えてくれる師を求めます。東南の山中に費長房という仙人がいることを聞きつけ、荷物をまとめると教えを請いに出かけました。
費長房は桓景に疫病神をやっつける青竜剣を渡します。桓景は朝から晩まで剣術の練習に励みます。瞬く間に一年が経ち、ある日桓景が剣の練習をしていると費長房がやってきて「今年の九月九日、汝河の疫病神がまたやってくる。急いで帰ってこれを退治しなさい。お前に茱萸の葉を一包みと菊花酒を一瓶やろう。村の人々を高い山に避難させるのだ」と言います。
桓景は急ぎ故郷に戻って人々を集めます。そして仙人の話を皆に伝えます。九月九日、彼は妻子や村の人々を率いて近くの山に登り、茱萸の葉を一枚ずつ配り、これを身につければ疫病神は近づいてこないと教えます。菊花酒も一人ずつ飲ませ、これを飲むと伝染病にかからないと伝えるのでした。
村の人々をこうして山に避難させた後、彼は青竜剣を身につけ一人部屋に座って疫病神を待ちます。
まもなく汝河の方から叫び声や怪しい風の音が聞こえてきます。疫病神が川から飛び出て岸に上がり、村里にやってきます。どの家にも人影がないのを見て、ふと顔を上げると大勢の人が山の上に集っています。疫病神が山のふもとに行くと酒の匂いがプーンとし、茱萸の香りが肺を衝き、どうしても山に登っていくことができません。
再び村に戻ると誰かが家の中で端然と座っています。そこで叫び声を上げるや襲いかかろうとします。桓景は疫病神がやってきたのを見ると剣をふるい迎え打ちます。何度戦っても疫病神は桓景を抑えることができず、逃げ出そうとしました。そこを桓景が青竜剣を振り上げて心臓めがけて一突きに刺し貫き、とうとうこれを打ち取りました。
その後汝河両岸の人々は疫病神の襲来を受けることがなくなりました。人々は九月九日になると山に登って桓景が剣で疫病神をやっつけた話をし、この話は父から子へ、子から孫へと伝わっていきました。
重陽にちなんだ漢詩
重陽節にちなんだ漢詩としては、王維の『九月九日山東の兄弟を憶う』が有名です。
王維は盛唐の詩人、山西省太原の人です。この詩は王維17歳、親元を離れ長安で科挙受験の準備をしていた時の作品です。
『九月九日憶山東兄弟』の原文
九月九日憶山東兄弟 王維
独在異郷為異客
毎逢佳節倍思親
遥知兄弟登高処
徧插茱萸少一人
『九月九日憶山東兄弟』の書き下し文
独り異郷に在りて異客と為り
佳節に逢う毎に倍す親を思う
遥かに知る兄弟高きに登る処
徧く茱萸を插して一人を少くを
『九月九日憶山東兄弟』の現代語訳
一人他郷にいて旅人となっている。
めでたい節句が来るたびに肉親を想う。
はるか遠くから想っている、兄弟たちがこの日高い山に登り。
みな茱萸の葉を挿しているがそこに一人家族が欠けているのを。
現代の重陽節
「重陽節」がなぜ現在の「老人の日」になったのかははっきりしません。80年代からこうした変化が起きてきたようです。中国人自身も疑問のようでネット上にその答えがいろいろ載っていますが、人によってさまざまです。
たとえば9は「久」と同音なので命の永遠、つまり長寿を意味するからとか、毛沢東の詩にこれに関連した内容のものがあるからなど。
現代の重陽節は名前と昔の記憶が残っているだけでその実質は消えたと言っていいかもしれません。