元宵節の由来と習慣【甘いお団子とランタンフェスティバル】
元宵節とは春節(旧暦元旦)から数えて15日目の満月の日を言い、 とも言います。2024年の元宵節は2月24日です。中国では新暦の新年ではなく、旧暦の春節をお正月として祝いますが、そのお正月の最後の行事です。家々に赤い提灯を提げ、家族が一堂に会してみなでご馳走や というお団子を食べます。
「絵で見る元宵節」の項を追加しました。元宵節の頃をテーマとした12枚の絵を見ながら風習や縁起物などを解説します。
元宵節の由来
元宵節の由来は漢代にさかのぼります。漢の文帝が正月の15日、戦いに勝利したことを民衆とともに祝おうとして始まった行事だそうです。その後道教や仏教の行事と混じり合い、今の元宵節になっていきます。隋、唐、宋と時代が下るとともにさらに大きな行事になり、町のあちこちに火をともした提灯が飾られるようになりました。そこで元宵節のことを
とも言うようになり、海外では「ランタンフェスティバル」として知られています。さまざまな催し
かつて女性が夜外を歩くことが禁じられていた時代、このお祭りの日は男女とも朝まで歩きまわることが許され、色とりどりの提灯で飾られた通りには獅子舞やら龍の舞やら高足踊りやらたくさんの出し物もあって、さながら現代のカーニバルのようだったと言われます。
元宵にちなんだ四字成語と漢詩
四字成語に
がありますが、これは「花火や灯火がまばゆく輝くさま」という意味です。“火树”は「灯火を提げた木」、“银花”は「銀色の光を放つ灯火」。この成語は唐代の蘇味道の詩『正月十五』から取られています。火樹銀花合し
星橋鉄鎖開く
暗塵馬に随って去り
明月人を逐うて来たる
游伎は皆穠李
行歌は尽く落梅
金吾夜を禁ぜず
玉漏相催すこと莫れ
(現代語訳)
元宵節の灯ろうが木に飾られて火の樹、銀の花のよう。
お城の前の橋は今日は鎖がはずされている。
馬の歩みとともに舞う埃は夜闇に消え
明るい満月が人々を追いかけてくる。
歌い女(め)、踊り女(め)たちはみなスモモの花のよう
彼女たちの歌う歌はみな「落梅」の調べ。
お城の衛兵も今宵はとがめだてしない。
水時計よ、この楽しい時をせかさないでおくれ。
蘇味道(648~705)は唐代の役人。現河北省の出身。
元宵というお団子
元宵節の日に食べるお団子に「元宵」というものがありますが、これは普通のお団子ではありません。普通のお団子は粉をこねて作りますが、元宵はもち米粉の入ったざるにゴマ餡や小豆餡、ピーナッツ餡など核になるものを入れ、ざるを揺すって餡を転がし粉をまぶしていきます。これをゆで浮き上がってきたら出来上がりです。食べればわかりますが、日本で食べる白玉団子などとは舌ざわりがまったく違い、まるで繭(まゆ)を食べているかのようで舌先でとろけていきます。元宵節の夜、北京のレストランで初めて元宵を食べた時のそのとろける舌ざわりと中から出てきた黒ゴマ餡の美味しさは忘れられません。今は元宵節以外でも食べられると思いますのでぜひお試しを。ちなみにこのお団子を中国の北方では
と言いますが、南方や台湾では と言っています。絵で見る元宵節
以下で紹介するのは清の時代に描かれた絵本です。宮廷の宮女や子供たちが元宵節の頃に庭園で楽しく遊んでいる様子が描かれています。
元宵節を祝う地域
十年ほど前、元宵節の華やかなにぎわいを見たくて北京に行ったことがあります。2月の北京はそれはそれは寒く、みぞれまで降っていました。その寒さの中を美しい灯ろうをさがしてさまよい歩いたのですが、大通りにも路地裏にもその気配がありません。がっかりしてホテルに戻りフロントで聞くと「元宵節?あああれはテレビで見るものだよ」という返事。中国から元宵節は消えてしまったのか…と残念でなりませんでした。ところがどうやら場所によっては盛んにお祝いしているようです。北京の前門、上海の豫園や台湾などではずいぶん大々的に元宵節のお祭りをしているということで、どこの家でもクリスマスツリーのように提灯を飾ってお祝いしているという元宵節に対する私のイメージが間違っていたようです。ところでこのお祭り、日本でも行われているんですね。長崎のランタンフェスティバルは同じ元宵節の日に街の中心部に1万5千個ものランタンや大型オブジェが飾られるそうです。