チャイナドレス(旗袍・チーパオ) 【満州族の民族衣装とその歴史】

チャイナドレス

チャイナドレスとは

チャイナドレスとは立て襟でスカートの両脇にスリットの入った、女性用の中国式ワンピース、中国の民族衣装のことです。「チャイナドレス」とは日本だけの呼び名で、中国語では“旗袍 qípáo”(チーパオ)と言います。

“旗袍(チーパオ)”とは「満州族の長い衣」という意味です。満州族というのは1616年に「清朝」を興し、1646年~1912年まで中国大陸とモンゴルを支配した民族で、現在の中国では少数民族になりますが、今ではほとんどが漢民族に同化しています。つまり“旗袍”というのは中国を代表する服装というより、満州族の服装のことなのです。

チャイナドレスの原型

チャイナドレスは女性用のドレスと思われていますが、元は男女兼用です。ゆったりとした、まっすぐなシルエットで、現在の体の線を強調する服とは似て非なるものです。スリットはありましたがこれは馬に乗る時の便宜を図って考案されたものです。

この時代の皇帝の姫君の“旗袍”が発掘されていますが、非常に豪華なもので、襟は立て襟ではなく丸襟になっています。また袖口が馬蹄形になっていて、これは射撃に便利なように作られたデザインです。

チャイナドレスはいつ変化したか

清朝が滅びますと、清朝時代の服を着る人はいなくなっていきますが、チャイナドレスだけは生き延び、西洋の服装の影響を受けながら変化していきます。

1920年代、まず腰回りが細くなりずん胴型ではなくなります。

20~30年代は襟が高くなったり低くなったりし、すそも長くなったり短くなったりします。この時代おしゃれなモダンガールが現れ、このドレスのシルエット、つまり着た時に体の形がどう見えるかにこだわるようになります。

40年代に入るとスリットの切り込みは長くなり、いわゆる私たちのイメージ通りの「チャイナドレス」になっていきます。

チャイナドレスが消えた時代

1949年新中国が建国されると、社会は一新し、チャイナドレスに身を包んだおしゃれな女性たちは徐々に姿を消していきます。特に1957年に始まる反右派闘争や1966年に始まった文化大革命ではこのような服装をした女性は攻撃の対象になりました。

やがて70年代末から80年代にかけての改革開放の時代になるとチャイナドレスは復活し、現在ではパーティ用ドレスとして人気を集めています。

台湾や香港のチャイナドレス

大陸でチャイナドレスが姿を消したころ、香港では依然女性の外出着として着られていました。2001年日本公開の香港映画『花様年華』では60年代の香港を舞台に、主演女優マギー・チャンによるさまざまなチャイナドレス・ファッションを見ることができます。

チャイナドレスの作り方

チャイナドレスの作り方の特徴はその採寸の仕方にあります。かつて服は商店で買うものではありませんでした。“裁缝 cáifeng”と呼ばれる「仕立屋」がやってきて採寸し仕立てます。チャイナドレスの採寸箇所は普通の洋服より多く、このため体にぴったり合ったチャイナドレスができあがるのです。今でも中国にはこうした仕立屋さんがあって、気に入った布地を持っていけば体に合ったチャイナドレスを作ってくれます。

チャイナドレスがよく似合う小説

チャイナドレスがよく似合う小説を一つだけ挙げるなら何と言っても「張愛玲」の小説でしょう。1940年代の上海、つまり大日本帝国時代の上海でまだ20代前半の彼女の小説は人気を博します。彼女の小説に出てくる女性はみなチャイナドレスを着、彼女自身も常にチャイナドレスに身を包んでいます。この時代チャイナドレスはまさに彼女たちの日常着であり、外出着でした。「張愛玲」のやや退廃的な美しい小説は、チャイナドレスを着た女性なしには成り立たなかったでしょう。新中国の成立とともに彼女は追われるようにアメリカに渡ります。人民服の女性たちが彼女の小説の中で生きることはほとんどありませんでした。