干支・十二支・十干の違いと歴史【日本と中国では動物が違う?】

干支・十二支・十干

このページでは「干支と十二支」、「日本の干支と中国の干支の違い」、「動く十二支時計」、「中国語で干支と十二支の表現」などを紹介します。

また、干支の中で「亥」だけが日本と中国で違い、日本では猪ですが中国では豚です。日本で変化した理由などを説明します。サウンドマークをクリックすると音声が流れます。

十二支とは

「子(ね)、丑(うし)、寅(とら)、卯(う)、辰(たつ)、巳(み)、午(うま)、未(ひつじ)、申(さる)、酉(とり)、戌(いぬ)、亥(い)」の12文字のことを十二支(じゅうにし)と言います。

この十二支は紀元前の中国で暦や時間などを表すために使われ始めました。

十二支の起源

十二支に関するもっとも古い記録は中国の殷の時代(紀元前1700年頃~紀元前1046年)の甲骨文字にあります。この甲骨文字の中で十二支は日付を記録するのに使われていました。その後時代が進むにつれ、年月や時間、方角などを表現するのに使われるようになります。(※十二支を用いて時間を表現する方法については、このページの下の方で「動く十二支時計」を用いて説明しています。)

十二支の中国語表現

十二支の中国語による表現は以下のようになります。

中国語で「十二支」の表現
日本語中国語ピンイン発音
うしchǒu
とらyín
mǎo
たつchén
うま
ひつじwèi
さるshēn
とりyǒu
いぬ
hài

十二支の動物

十二支にはそれぞれ動物の名前が付いていますが、漢字は動物を意味する漢字ではありません。例えば、「子」という漢字には「鼠(ねずみ)」の意味はありません。この理由は、もともとただの記号であった十二支に、覚えやすいように古代の中国で動物名を当てはめたという説など諸説あります。

十二支の動物の中国語による表現は以下のようになります。

「十二支」の動物の中国語
動物名中国語ピンイン発音
ねずみ老鼠lǎoshǔ
うしniú
とら老虎lǎohǔ
うさぎ兔子tùzi
たつ(龍)lóng
へびshé
うま
ひつじ绵羊miányáng
さる猴子hóuzi
とり(鶏)
いぬgǒu
ぶたzhū

※猪の部分が「ぶた」になっていますが、中国語の「猪」は豚(ぶた)を意味します。

日本と中国で異なる干支の動物「亥」

日本の干支・十二支
日本の干支は豚ではなくイノシシ

干支は日本ではうしとらたつうまひつじさるとりいぬと数える十二支を指すのが一般的ですが、本来十干(じっかん)と十二支(じゅうにし)を組み合わせた60を一周期とする数詞のことです。起源は中国で、殷(紀元前17世紀頃 -~紀元前1046年)の時代にはすでに時間や方角などを表すのに使われるようになっていたといわれます。日本には4世紀から5世紀に伝わってきたようです。干支に12の動物を当てはめるようになったのは中国では秦朝からと言われますが、それが日本に伝わったのですから同じ動物が日本でも使われているはずです。ところが一頭だけ異なる動物になっているのです。それは子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥のうちの「亥」で、中国では「猪(ぶた)」なのに日本では「猪(いのしし)」になります。

この干支は日本など東アジア以外にタイ、ベトナムなど東南アジアやモンゴル、インドやロシア、アラビアなどにも伝わっているそうで、十二支にあてはめる動物はおおよそ中国と同じですが、国によっては一部変わります。たとえばベトナムでは牛が水牛に、ロシアではウサギが猫に、アラビアでは龍がワニになるそうです。ブタがイノシシになる国は日本のほかロシアもそうですが、ロシアはブタとイノシシの併用です。

ではなぜ日本ではブタがイノシシになってしまったのでしょうか?

磯田道史『江戸の備忘録』(文春文庫)にその答えが書いてありました。「日本人と動物」という項に、ブタはイノシシを家畜化したものだが日本ではその習慣がなかった、弥生時代に北九州を中心にブタを飼ったことがあるがすぐ廃れた、なぜなら森林が豊かな日本では野生のイノシシがふんだんに獲れたから、やがて仏教が伝来、肉食は嫌われブタは日本から消えた、そこへ干支が伝わりブタはイノシシになった」とあります。

十干とは

「甲(こう)、乙(おつ)、丙(へい)、丁(てい)、戊(ぼ)、己(き)、庚(こう)、辛(しん)、壬(じん)、癸(き)」の10文字のことを、十干(じっかん)と言います。この十干は紀元前の中国で暦や方角を表すために使われ始めました。

十干の中国語による表現は以下のようになります。

中国語で「十干」の表現
日本語中国語ピンイン発音
こうjiǎ
おつ
へいbǐng
ていdīng
こうgēng
しんxīn
じんrén
guǐ

干支と十二支の違い

「干支」は「干」の文字が「十干」を意味し、「支」の文字が「十二支」を意味するという、二つの意味が合わさってできた言葉です。

そのため、正月などに「今年は酉年(とりどし)」と言うときも、本来は「十干」と「十二支」を合わせた、「丁酉(ひのととり)年(どし)」でした。現在では「十干」は省略され、十二支だけが使われるようになりました。

十二支による時間・時計

十二支の時計
十二支の時計。十二支と時刻の対応は上の図のようになっています。短針が24時間で1周、長針が120分(1刻)で1周、秒針が60秒で1周します。

中国では紀元前から、19世紀頃まで十二支によって時間を表していました。(※この十二支と時間に関しては、「中国語の時間の表し方」のページでも詳しく説明してあります。)

1日を2時間ずつ12分割し、その一つ一つを十二支と対応させる時刻の表記法を十二時辰と言います。この十二時辰は紀元前の中国で使われ始め、その後周辺国へと広がっていきます。19世紀に西洋の時間・時刻の表記が入ってくるまで日本など多くの国で使われていました。

例えば子の刻であれば、午後11~午前1時のことを指し、中間の午前0時のことを正刻と言います。

以下の動く十二支の時計は通常の時計とはやや異なり、長針が1刻(2時間=120分)で1周します。

60種類の干支による暦の表現

干支は全部で60種類あるため、干支による暦の表現は、60年周期となります。西暦の欄の年に60の倍数を足したり引いたりした年も同じ干支になります。

干支による暦の表現
日本語干支ピンイン西暦
きのえね甲子jiǎzǐ1984年
きのとうし乙丑yǐchǒu1985年
ひのえとら丙寅bǐngyín1986年
ひのとう丁卯dīngmǎo1987年
つちのえたつ戊辰wùchén1988年
つちのとみ己巳jǐsì1989年
かのえうま庚午gēngwǔ1990年
かのとひつじ辛未xīnwèi1991年
みずのえさる壬申rénshēn1992年
みずのととり癸酉guǐyǒu1993年
きのえいぬ甲戌jiǎ1994年
きのとい乙亥yǐhài1995年
ひのえね丙子bǐngzǐ1996年
ひのとうし丁丑dīngchǒu1997年
つちのえとら戊寅wùyín1998年
つちのとう己卯jǐmǎo1999年
かのえたつ庚辰gēngchén2000年
かのとみ辛巳xīnsì2001年
みずのえうま壬午rénwǔ2002年
みずのとひつじ癸未guǐwèi2003年
きのえさる甲申jiǎshēn2004年
きのととり乙酉yǐyǒu2005年
ひのえいぬ丙戌bǐngxū2006年
ひのとい丁亥dīnghài2007年
つちのえね戊子wùzǐ2008年
つちのとうし己丑jǐchǒu2009年
かのえとら庚寅gēngyín2010年
かのとう辛卯xīnmǎo2011年
みずのえたつ壬辰rénchén2012年
みずのとみ癸巳guǐsì2013年
きのえうま甲午jiǎwǔ2014年
きのとひつじ乙未yǐwèi2015年
ひのえさる丙申bǐngshēn2016年
ひのととり丁酉dīngyǒu2017年
つちのえいぬ戊戌wùxū2018年
つちのとい己亥jǐhài2019年
かのえね庚子gēngzǐ2020年
かのとうし辛丑xīnchǒu2021年
みずのえとら壬寅rényín2022年
みずのとう癸卯guǐmǎo2023年
きのえたつ甲辰jiǎchén1964年
きのとみ乙巳yǐsì1965年
ひのえうま丙午bǐngwǔ1966年
ひのとひつじ丁未dīngwèi1967年
つちのえさる戊申wùshēn1968年
つちのととり己酉jǐyǒu1969年
かのえいぬ庚戌gēngxū1970年
かのとい辛亥xīnhài1971年
みずのえね壬子rénzǐ1972年
みずのとうし癸丑guǐchǒu1973年
きのえとら甲寅jiǎyín1974年
きのとう乙卯yǐmǎo1975年
ひのえたつ丙辰bǐngchén1976年
ひのとみ丁巳dīngsì1977年
つちのえうま戊午xùwǔ1978年
つちのとひつじ己未jǐwèi1979年
かのえさる庚申gēngshēn1980年
かのととり辛酉xīnyǒu1981年
みずのえいぬ壬戌rénxū1982年
みずのとい癸亥guǐhài1983年