立夏

立夏

立夏りっかとは二十四節気にじゅうしせっきの1つで夏の始まりを意味する節気です。

昼と夜の長さが同じ日である秋分と、1年で最も昼の長い日である夏至の中間としてできたのが立夏です。

このページでは立夏の意味、成り立ち、実際の季節感とのずれ、2019年の立夏の日にちと期間、立夏の七十二候、立夏の食べ物や季節の花などを紹介していきます。

なお、2019年の立夏は5月6日となっています。

立夏とは

立夏

立夏りっかとは二十四節気にじゅうしせっきの1つで、「夏の始まり」を意味します。「立」は中国語で「始まる」という意味です。太陽の位置を表す黄経で45度の時を言い、新暦では5月5日~6日ごろになりますが年によって変わります。ちょうど子供の日のあたりで立夏を迎えます。

立夏は二十四節気の1つ

二十四節気とは古代中国で作られた暦で、日本では平安時代から使われています。上の図のように1年を24等分し、それぞれに名前を付けたものです。

二十四節気は太陽の運行に基づいており、1年で最も昼の長い日を夏至げし、1年で最も昼の短い日を冬至とうじ、昼と夜の長さが同じ日を春分しゅんぶん秋分しゅうぶんとし、この4つを春・夏・秋・冬の中心として決めた暦です。この4つの節気は合わせて「二至二分にしにぶん」と呼ばれています。

二十四節気の仕組み

この二至二分が二十四節気を決めるうえでの基準となっています。

立夏はこの春分と夏至のちょうど中間の日で、暦の上ではこの日から夏が始まります。

夏の節気は立夏りっか小満しょうまん芒種ぼうしゅ夏至げし小暑しょうしょ大暑たいしょとなっており、立夏は夏の最初の節気です。

また、立春りっしゅん立夏りっか立秋りっしゅう立冬りっとうの4つを「四立しりゅう」と言い、それぞれ春夏秋冬の始まりの日として重要な節気となっており、二至二分と四立を合わせて「八節はっせつ」と言います。

二十四節気の成立時期
二十四節気の成立時期。殷の頃に二至二分、西周の頃に八節、春秋戦国の頃に二十四節気がそれぞれ成立しました。

2019年の立夏はいつ?

立夏の日にちと期間

二十四節気のそれぞれの節気には、その日1日を意味する場合と、次の節気までの期間を意味する場合があります。

2019年の立夏であれば、以下のようになります。

・日付としての2019年の立夏は5月6日。

・期間としての2019年の立夏は5月6日~5月20日まで。

二十四節気と実際の季節感がずれる理由

二十四節気は「実際の季節感とずれている」と感じることがあります。特に立春(2月上旬)、立夏(5月上旬)、立秋(8月上旬)、立冬(11月上旬)の4つの節気はそれぞれ春夏秋冬の始まりを意味しますが、「春というにはまだ早い」などと感じます。

ここではその「実際の気候とずれる理由」について解説します。

春夏秋冬の決め方

二十四節気

夏至は昼の時間の最も長い日、冬至は昼の時間の最も短い日です。

けれども夏至に最も暑くなり、冬至に最も寒くなるかというとそうではなく、実際にはそれより1~2か月ほど遅れて最も暑い日、最も寒い日がやってきます。

ただし二十四節気はこの「夏至を夏の中心」「冬至を冬の中心」そして「昼と夜の長さが同じ春分・秋分を春の中心と秋の中心」として1年を4等分し、春夏秋冬を決めました。

そのため「立春と言われてもまだまだ寒く、冬と感じる」ということが起こります。

日本と中国との気候の違い

また、二十四節気が作られたのは紀元前の中国黄河流域のため、現在の東京の気候とはややずれがあります。

下の地図の中央左にある洛陽らくようが東周時代の首都で、中原ちゅうげんとはこの周辺一帯を指す言葉です。二十四節気はこの中原で作られたと考えられています。

二十四節気が作られた地域の地図

気候の違いについては以下のグラフを見ながら解説します。

二十四節気が作られた地域の地図

上のグラフは二十四節気が作られた中原ちゅうげん から代表して洛陽を選び、東京と年間の平均最高気温を比べたものです。

グラフの6月あたりを見ると、中国には梅雨と台風がないため暑さのピークが日本よりも1~2か月程度早くなっています。この部分が二十四節気と日本の実際の季節とが最も異なる箇所になります。立夏は5月上旬ですが、中国のグラフでは夏の始まりと言われて納得がいくものの、日本のグラフでは夏はもう少し先と感じます。

日本が1月・2月で気温がほぼ変わらず12月はそれより暖かいのに対し、中国では1月が最も寒く2月より12月の方が冷え込んでいます。これも冬の季節感のずれに繋がっています。

節気には日付と期間の2つの意味がある

また、二十四節気の1つ1つには期間としての意味もあるものの、カレンダーやニュースなどではもっぱら日付としての意味で使われています。このことも二十四節気と日本の実際の季節感がずれる要因となっています。

二十四節気と七十二候

七十二候

「二十四節気」は、古代中国で作られた農事を指導するために作られた暦で、春秋戦国時代(BC.770~BC.221)黄河流域で作られたと言われます。中国では暦として月の運行に基づいた「太陰暦」が使われていましたが、これですと実際の季節とズレが生まれてしまうため、太陽の運行の軌跡を24等分した「二十四節気」や、それをさらに約5日ごとに分割した「七十二候しちじゅうにこう」が作られました。このようにして季節の変化をきめ細かくとらえて農事に生かしたのです。

この「二十四節気」は日本では平安時代に取り入れられました。日本と中国とでは位置も気候も異なり、中国の二十四節気は必ずしもすべてが日本の気候に合うものではありませんでしたが、私たちの生活に根付き、大多数の日本人が農業とは無縁になった現代でもテレビのニュースなどで「今日から立春です」などと使われています。

1年には春夏秋冬4つの季節がありますが、古代中国人はそれをさらに24の「節気」に分けました。1年を24に分けるならそれぞれ約15日、その節気にはまたそれぞれ3つの「候」を設け、3×24で72候、約5日で1つの候としてそれぞれの候にその季節の特徴を表す言葉をつけました。

日本は平安時代からこの二十四節気を暦の中に取り入れましたが、これだけでは日本の気候の説明には足りないので、「雑節」というものを設けました。雑節には、節分・彼岸・八十八夜・入梅・半夏生・土用・二百十日などがあります。

さらに「七十二候」については江戸時代の天文暦学者・渋川春海が日本の気候に合わせて改訂版を出し、その後明治時代に「略本暦」が出てそれまでの「七十二候」を大幅に変えました。現在使われている日本の七十二候はこれが元になっており、上の図に書かれているのもこの七十二候です。

なお2016年に中国の「二十四節気」がユネスコの無形文化遺産に登録されました。

立夏の七十二候(日本)

タケノコ

日本の立夏の七十二候は以下のようになります。

立夏の七十二候
内容時期
初候かわずはじめて5月5日頃

5月9日頃
次候蚯蚓みみずずる5月10日頃

5月14日頃
末候竹笋たけのこしょう5月15日頃

5月20日頃

田んぼから蛙の合唱が聞こえ始め、土からミミズが這い出し、竹林のあちこちからタケノコが頭を出しています。猛暑になるまでにはまだ日がありますが、夏の気配が感じられる季節です。

立夏の七十二候(中国)

カラスウリ
カラスウリ。

中国の立夏の七十二候は、「螻蟈鳴」「蚯蚓出」「王瓜生」で、「蛙が鳴き、ミミズが現れ、カラスウリが赤くなる」という意味です。

日本の端午の節句

ちょうど立夏の頃、5月5日はかつて「端午の節句」、男の子の健康と成長を祈る日でした。「男の子の節句」は戦後まもなく「子供の日」になりましたが、やはりこの日は昔どおり鯉のぼりを飾り、菖蒲湯につかって柏餅を食べます。柏の葉は新芽が育つまでは葉が落ちないので、家系が絶えない、つまり子孫繁栄を意味する縁起物になりました。

ちまきと柏餅とショウブ
ちまきと柏餅とショウブ。

中国の端午の節句

ちまき
ちまき。

日本の端午の節句は中国から伝わりましたが、節句の意味はまったく異なっています。日本は男の子の節句ですが、中国では戦国時代の政治家にして詩人・屈原(くつげん)を悼む日です。中国の端午の節句では粽(ちまき)を食べ、ドラゴンボートレースなどのイベントがありますが、これらはいずれも、屈原が入水して亡くなったため、彼の死を嘆いた人々が遺体が魚に食われないようにと米を川にまいたり、船を出して屈原を探したことに由来すると言われています。

端午の節句という名称と粽を食べたり菖蒲湯につかる習慣は日本にも伝わりましたが、屈原の名はまったく知られていません。屈原を記念する日と言われてもピンと来なかった古代日本人が、行事だけを受け入れ中身は「男の子の節句」としたのでしょう。男児の節句となったのは、菖蒲(しょうぶ)と尚武(しょうぶ…武勇を重んじる)が同音だったからだそうです。

田植えの時期

立夏の頃の田んぼ

日本で田植えが始まるのは品種や地域によって異なりますが、およそ3月下旬から6月中旬と言われます。関東地方では5月の連休過ぎ、つまり「立夏」の頃から田植えが済んだ美しい水田を見ることができます。中国大陸では長江付近ではやはり立夏のころから田植えが始まります。暖かい台湾では稲作は基本二期作(1年に2回収穫する)なので、田植えは立夏よりずっと早いかずっと遅くなります。

「称人」という立夏の習慣

中国の南方には立夏に「称人」(体重や身長を測る)という面白い習慣がありました。これは三国時代に起源を持ちます。

三国時代、益州建寧郡の豪族・孟獲(もう かく)は蜀に帰順して諸葛孔明に従いました。諸葛孔明は臨終の時孟獲に、自分の主である蜀の劉備の息子・劉禅(りゅう ぜん…劉備の息子)を託します。その日は「立夏」でした。

その後晋の武帝・司馬炎が蜀を滅ぼし、劉禅を捕虜としますが、孟獲はその後も諸葛孔明との約束を守って、毎年立夏になると兵を率いて洛陽に行き、劉禅の体重を測るように求めます。もし晋が劉禅にひどい仕打ちをしていたなら体重が減る、そうなったら兵を出すぞと脅したのです。そこで晋の武王は立夏の日になると、糯米にえんどう豆を入れて炊いた美味しいご飯を用意して劉禅に食べさせたと言われます。

この言い伝えが後世に伝わり、立夏の日は村の入り口に大きな秤(はかり)を置き、村人は代わる代わる体重を測ったそうです。古い詩にも「立夏称人軽重数 秤懸梁上笑喧鬧」とあり、立夏に皆で体重を測り、笑いあう様が描かれています。「あんた見掛けは細いけどけっこう太ってるわね」「私、水を飲んでも太るのよ」「ウソウソ、きっとみんなに隠れてひとりで美味しいもの食べてんじゃない」なんて言いあっていたのでは?

五月五日の背比べ

「柱の傷はおととしの五月五日の背比べ」という童謡があります(『せいくらべ』)。戦前の童謡ですが、端午の節句には背比べをするという習慣があったようです。もしかしたら上に書いた「称人」という慣習が日本にも入ってきていて、日本ではそれが体重ではなく身長になったということかもしれません。この南方独特の習慣が日本にも伝わったということは、中国南部と日本の深いつながりを感じさせます。

立夏の行事・イベント

母の日

母の日とカーネーション

5月の第二日曜日は母の日。贈る花にはカーネーションが選ばれることが多く、毎年この時期になるとお花屋さんや百貨店などでは母の日フェアを見かけます。

葵祭

葵祭

5月15日には京都で葵祭あおいまつりが行われます。

6世紀から行われており、京都三大祭の1つに選ばれています。

立夏の「旬の食べ物」

プリンスメロン

プリンスメロン

プリンスメロンは他のメロンより早く、立夏の頃より出回ります。他のメロンと比べてさっぱりしているのが特徴で、熊本県を中心に栽培されています。

新茶

新茶

立春から数えて88日後を八十八夜と言いますが、ちょうどこのころ新茶が摘まれます。1年で最もお茶のおいしい時期ですね。

立夏の「季節の花」

藤

藤は4月下旬~5月上旬ごろに咲きます。

ゴールデンウィークのあたりで見ごろを迎えるため、各地の藤の名所は多くの人でにぎわいます。

藤のアーチ
藤のアーチ。

アヤメ

アヤメ

アヤメが咲くのは4月下旬~5月下旬ごろ。野山に咲きます。

シャクヤク

シャクヤク

シャクヤクはその美しさ、華やかさから古い時代から栽培されている花です。立夏の頃に見ごろを迎えます。

ハハコグサ

ハハコグサ

春の七草のひとつ、ハハコグサは4~6月に咲きます。

レンゲソウ

レンゲソウ

淡い紫色のレンゲソウは4月上旬~5月上旬に咲きます。

立夏の関連ページ

立夏の項は以上で終了となりますが、このサイトでは立夏の1つ前の節気「穀雨こくう」や、立夏の次の節気「小満しょうまん」、また「二十四節気にじゅうしせっき」や「七十二候しちじゅうにこう」についてもリンク先で詳しく紹介しています。