大晦日(おおみそか)・晦日・除夜

大晦日・晦日・除夜

大晦日(おおみそか)」の「晦日(みそか)」は「三十日(みそか)」の意味。旧暦(陰暦)では毎月の最後の日を「晦日」と呼んでいました。この日は新月の前日になります。

このページでは「大晦日」「晦日」「除夜」の意味と由来、大晦日の習慣などについて紹介します。

大晦日おおみそか晦日みそかとは

大晦日(おおみそか)とは、1年の最後の日のこと、新暦しんれき(日本では明治5年・1872年から使われるようになった太陽暦・グレゴリオ暦のこと)でいうならば12月31日のことです。

晦日(みそか)は「月の末日」のこと、「三十日」とも書きます。「大晦日」は1年に1度の特別な末日なので「大」をつけて「大晦日」と言います。

晦日と旧暦・新月

月齢と晦日

晦日」(みそか)は「つごもり」とか「かいじつ」などとも読みますが、いずれも「月が見えなくなる」・「月が隠れる」ことを意味します。

旧暦(陰暦)では「1日」のお月様は「新月」…姿が見えません。15日になると「満月」になり、月の最後になるとまた月は隠れてしまいます。これが「晦日」です。

大みそかの行事

大掃除

日本では大晦日を迎える少し前から、大掃除をして1年分のごみを片づけたり捨てたりします。これをしないと落ち着かないのですが、元々これは「年神様」(としがみさま)を迎えるためでした。「年神様」は毎年お正月になると各家にやってくる神道の神様です。

「年神様」という言葉は近年聞かれなくなりましたが、不思議なことに年末が近づくと私たちはどうしても家の中をきれいに掃除をしないではいられません。日本人の心の表面から宗教は消えてしまったかのように見えるのに、深層意識の中ではまだ神様が存在しているのかもしれません。

「紅白歌合戦」

紅白歌合戦

大晦日には大掃除をして、お正月の料理の支度をして、ホッとしたところでテレビの前に座り「紅白歌合戦」を見る…というのがかつては平均的日本人の姿でした。誰もが知っているはやり歌の歌い手が消えてしまった今、この「国民的番組」は季節の風物詩としての地位を失いつつあるようです。

「紅白歌合戦」は1951年にスタートと言いますからすでに70年近い歴史を持っています。戦後の日本と足取りをともにしてきました。60年代には視聴率80%を超える年もありましたから、まさに日本中が心を一つにして見入り聞き入った番組でした。現在の視聴率はすでに40%を切っていますので半減したわけです。日本人は豊かになり、時間の過ごし方も趣味も興味も多様化したのでしょう。

「ゆく年くる年」

ゆく年くる年

大晦日の夜11時45分、「紅白歌合戦」のにぎやかなフィナーレが終わると番組は一転「ゆく年くる年」に。シーンと静まり返った映像から「ゴーン」とお寺の鐘の音が厳かに聞こえてきて、ああ今年も終わるのだな…と「時」との惜別をしみじみと味わいます。「時との惜別」は人生のある一くぎりとの惜別でもあります。この哀しみとも切なさとも感謝ともつかない複雑で湿り気のある情感があってこその新年で、0時を真ん中にはさんだ30分の番組は、日本にかろうじて残った「ザ・日本の正月」の一つかもしれません。

この番組はなんと1927年からスタートしている(当時はラジオ)と言いますからすでに百年近い歴史を持っているのですね。

年越し蕎麦

年越し蕎麦

大晦日といえば、年越し蕎麦も楽しみの一つです。ただのお蕎麦なのに、なぜか楽しみで「あと〇〇時間で今年が終わっちゃうよ」とか「来年の干支は何だっけ」などとたわいもない話で盛り上がります。お蕎麦を食べながら家族で言い交す「来年も細く長く健康でありますように!」という素朴な祈りのことばがこのひとときを特別なイベントにしているのかもしれません。もっとも江戸時代に始まったと言われるこの習慣、もともとの意味は蕎麦が切れやすいので「災禍との縁が切れますように」ということからきているそうです。

除夜の鐘と「除夜」の由来

除夜の鐘

テレビを切って寝床に入る頃どこからともなく鐘の音が聞こえてきます。お寺から聞こえてくる鐘の音・除夜の鐘です。ちょうど0時をはさんで108の鐘をつくのですが、これは人間の煩悩ぼんのう(仏教で言う人間の心の穢れ)の数と言われます。

ちなみに仏教における煩悩の中に「三毒」というものがあり、「貪欲」「怒り」「真実への無知」で、これが煩悩の根源だということです。

なぜ「除夜」と言うのか。これは「古い年を除去する」という意味だそうで、中国ではおおみそかのことを「除夕」と言います。この「除夕」が日本では「除夜」となりました。

それにしてもまどろみの中で聞く鐘の音は、どんな年に聞いても不思議な安心感に包まれます。あの音を公害のように感じる人がいるそうですが、悲しいことです。日本のお寺の鐘の音は余韻がすばらしいですが、鐘を作る日本の工房ではこの美しい余韻を出すことに工夫をこらしていると聞いたことがあります。鐘の音の余韻は人の心をリラックスさせる効果があるそうですよ。

寒山寺の除夜の鐘

寒山寺
寒山寺。大晦日には多くの観光客が訪れます。

大晦日に除夜の鐘を聞くという風習は基本今の中国にはないのですが、漢詩の『楓橋夜泊』にうたわれている蘇州の寒山寺では日本の大みそか(中国では春節で祝うので、春節の前の日が中国の大みそかになります)に鐘をつくイベントがあり観光客でごった返すとか。

『楓橋夜泊』にはたしかに「姑蘇(こそ)城外の寒山寺 夜半(やはん)の鐘声(しょうせい)客船(かくせん)に到る」(蘇州城外の寒山寺 夜中の鐘の音がこの船まで伝わってくる)の句がありますが、あれは大みそかの夜ではありません。晩秋の一夜でしょう。

寒山寺の鐘と日本の大みそかの習慣はどこでどう結びついたのでしょうか。

東・東南アジアの中で独特な日本の大晦日

大晦日の夜に除夜の鐘を聞き、自分の煩悩を思う(人がいるかどうかわかりませんが)という習慣は日本だけだと聞きます。東アジアや東南アジアで中国の影響を受けた国々は、日本以外はみな旧暦でお正月(春節)を祝います。中国や台湾などこうした国々では、お正月はにぎやかで楽しいイベントです。

これらの国でも最近は世界に合わせて新暦のお正月を祝うこともあるようですが、アメリカのように花火やカウントダウンを楽しみ、日本の大みそかのようなしみじみ感や元旦の朝の厳かな感じとは無縁です。