立秋の意味・食べ物・歴史と仕組みの図説

立秋

立秋りっしゅうとは二十四節気にじゅうしせっきの1つで秋の始まりを意味する節気です。

1年で最も昼の長い日である夏至と、昼と夜の長さが同じ日である秋分の中間としてできたのが立夏です。

このページでは立秋の意味、成り立ち、実際の季節感とのずれ、2024年の立秋の日にちと期間、立秋の七十二候、立秋の食べ物や季節の花などを紹介していきます。

なお、2024年の立秋は8月7日となっています。

立秋とは

立秋

立秋りっしゅうとは二十四節気にじゅうしせっきの1つで、「秋の始まり」を意味します。「立」は中国語で「始まる」という意味です。太陽の位置を表す黄経で135度の時を言い、新暦では8月7日~8日ごろで年によって変わります。

立秋は二十四節気の1つ

二十四節気とは古代中国で作られた暦で、日本では平安時代から使われています。上の図のように1年を24等分し、それぞれに名前を付けたものです。

二十四節気は太陽の運行に基づいており、1年で最も昼の長い日を夏至げし、1年で最も昼の短い日を冬至とうじ、昼と夜の長さが同じ日を春分しゅんぶん秋分しゅうぶんとし、この4つを春・夏・秋・冬の中心として決めた暦です。この4つの節気は合わせて「二至二分にしにぶん」と呼ばれています。

二十四節気の仕組み

この二至二分が二十四節気を決めるうえでの基準となっています。

立秋はこの夏至と秋分のちょうど中間の日で、暦の上ではこの日から秋が始まります。

秋の節気は立秋りっしゅう処暑しょしょ白露はくろ秋分しゅうぶん寒露かんろ霜降そうこうとなっており、立秋は秋の最初の節気です。

また、立春りっしゅん立夏りっか立秋りっしゅう立冬りっとうの4つを「四立しりゅう」と言い、それぞれ春夏秋冬の始まりの日として重要な節気となっており、二至二分と四立を合わせて「八節はっせつ」と言います。

二十四節気の成立時期
二十四節気の成立時期。殷の頃に二至二分、西周の頃に八節、春秋戦国の頃に二十四節気がそれぞれ成立しました。

2024年の立秋はいつ?

立秋の日にちと期間

二十四節気のそれぞれの節気には、その日1日を意味する場合と、次の節気までの期間を意味する場合があります。

2024年の立秋であれば、以下のようになります。

・日付としての2024年の立秋は8月7日。

・期間としての2024年の立秋は8月7日~8月21日まで。

二十四節気と実際の季節感がずれる理由

二十四節気は「実際の季節感とずれている」と感じることがあります。特に立春(2月上旬)、立夏(5月上旬)、立秋(8月上旬)、立冬(11月上旬)の4つの節気はそれぞれ春夏秋冬の始まりを意味しますが、「春というにはまだ早い」などと感じます。

ここではその「実際の気候とずれる理由」について解説します。

春夏秋冬の決め方

二十四節気

夏至は昼の時間の最も長い日、冬至は昼の時間の最も短い日です。

けれども夏至に最も暑くなり、冬至に最も寒くなるかというとそうではなく、実際にはそれより1~2か月ほど遅れて最も暑い日、最も寒い日がやってきます。

ただし二十四節気はこの「夏至を夏の中心」「冬至を冬の中心」そして「昼と夜の長さが同じ春分・秋分を春の中心と秋の中心」として1年を4等分し、春夏秋冬を決めました。

そのため「立春と言われてもまだまだ寒く、冬と感じる」ということが起こります。

日本と中国との気候の違い

また、二十四節気が作られたのは紀元前の中国黄河流域のため、現在の東京の気候とはややずれがあります。

下の地図の中央左にある洛陽らくようが東周時代の首都で、中原ちゅうげんとはこの周辺一帯を指す言葉です。二十四節気はこの中原で作られたと考えられています。

二十四節気が作られた地域の地図

気候の違いについては以下のグラフを見ながら解説します。

二十四節気が作られた地域の地図

上のグラフは二十四節気が作られた中原ちゅうげん から代表して洛陽を選び、東京と年間の平均最高気温を比べたものです。

グラフの6月あたりを見ると、中国には梅雨と台風がないため暑さのピークが日本よりも1~2か月程度早くなっています。この部分が二十四節気と日本の実際の季節とが最も異なる箇所になります。立夏は5月上旬ですが、中国のグラフでは夏の始まりと言われて納得がいくものの、日本のグラフでは夏はもう少し先と感じます。

日本が1月・2月で気温がほぼ変わらず12月はそれより暖かいのに対し、中国では1月が最も寒く2月より12月の方が冷え込んでいます。これも冬の季節感のずれに繋がっています。

節気には日付と期間の2つの意味がある

また、二十四節気の1つ1つには期間としての意味もあるものの、カレンダーやニュースなどではもっぱら日付としての意味で使われています。このことも二十四節気と日本の実際の季節感がずれる要因となっています。

二十四節気と七十二候

七十二候

「二十四節気」は、古代中国で作られた農事を指導するために作られた暦で、春秋戦国時代(BC.770~BC.221)黄河流域で作られたと言われます。中国では暦として月の運行に基づいた「太陰暦」が使われていましたが、これですと実際の季節とズレが生まれてしまうため、太陽の運行の軌跡を24等分した「二十四節気」や、それをさらに約5日ごとに分割した「七十二候しちじゅうにこう」が作られました。このようにして季節の変化をきめ細かくとらえて農事に生かしたのです。

この「二十四節気」は日本では平安時代に取り入れられました。日本と中国とでは位置も気候も異なり、中国の二十四節気は必ずしもすべてが日本の気候に合うものではありませんでしたが、私たちの生活に根付き、大多数の日本人が農業とは無縁になった現代でもテレビのニュースなどで「今日から立春です」などと使われています。

1年には春夏秋冬4つの季節がありますが、古代中国人はそれをさらに24の「節気」に分けました。1年を24に分けるならそれぞれ約15日、その節気にはまたそれぞれ3つの「候」を設け、3×24で72候、約5日で1つの候としてそれぞれの候にその季節の特徴を表す言葉をつけました。

日本は平安時代からこの二十四節気を暦の中に取り入れましたが、これだけでは日本の気候の説明には足りないので、「雑節」というものを設けました。雑節には、節分・彼岸・八十八夜・入梅・半夏生・土用・二百十日などがあります。

さらに「七十二候」については江戸時代の天文暦学者・渋川春海が日本の気候に合わせて改訂版を出し、その後明治時代に「略本暦」が出てそれまでの「七十二候」を大幅に変えました。現在使われている日本の七十二候はこれが元になっており、上の図に書かれているのもこの七十二候です。

なお2016年に中国の「二十四節気」がユネスコの無形文化遺産に登録されました。

立秋の七十二候(日本)

涼風至る
涼風至る。

日本の立秋の七十二候は以下のようになります。

立秋の七十二候
内容時期
初候涼風りょうふういた8月7日頃

8月11日頃
次候寒蝉ひぐらし8月12日頃

8月16日頃
末候蒙霧のうむ升降しょうこう8月17日頃

8月22日頃

涼しい風が初めて吹いて秋の気配を感じさせ、ひぐらしが「カナカナカナ…」と鳴き始め、朝方深い霧がたちこめたりする季節です。

蒙霧升降す
蒙霧升降す。

立秋の七十二候(中国)

露

立秋の七十二候は中国では、次候のみ日本と異なり「白露生」となっていて、これは「大気が冷えてきて朝方の草むらに露を見る季節」という意味です。

暑中見舞いと残暑見舞い

暑中見舞いと残暑見舞い

日本では夏に暑中見舞いや残暑見舞いのハガキを出す習慣がありました。今ではわざわざ出す人は少ないでしょうが、何かの折に郵便物を出す時、ちょうど暑中や残暑の季節だと手紙などの冒頭にこの挨拶を書く人は多いことでしょう。

暑中見舞いは梅雨明けあたりから立秋の前日まで、立秋を過ぎれば残暑見舞いになります。このルールを煩わしいと思ったこともありますが、猛暑のまっただなかに秋の気配を感じた先人の繊細な心を思うと、大切な習慣だと思うようになりました。

「秋」という言葉の意味

稲穂

元代に出た『月令七十二候集解』では「秋」について、「秋、揫也、物於此而揫斂也」(秋とは「つかむ」ことなり。作物はこの時期につかんで収める」とあります。「秋」とは「収穫」を意味することばでもあったのです。「秋」と「揫」は中国語ではよく似た発音で、「揫」の方には「手」が入っていてまさに収穫・取り入れを意味しています。

お盆の時期

お盆

立秋の終わり頃は、旧暦7月15日の「盂蘭盆会うらぼんえ」、いわゆる「お盆」の時期です。伝統行事のほとんどを新暦でやる日本でもお盆だけは旧暦で、ちょうど終戦記念日の8月15日前後に一斉にお盆休みを取るところが多いことでしょう。この時期は「帰省ラッシュ」「Uターンラッシュ」という言葉もニュースとなって伝えられます。

お盆は仏教行事ですが、その起源はインドにあります。

目連(もくれん…漢訳)という釈迦の弟子の母は欲深く亡くなると地獄に落ちてしまいます。目連はそれを知って悲しみ、なんとしても母を地獄の苦しみから救おうとします。旧暦の7月15日は釈迦の弟子たちの夏の修行最後の日、法悦が地に満ちる日です。目連はたくさんの食べ物を供物として捧げ人々にも施しました。やがて目連の母は地獄から救われ無事に成仏でき、これが後の盂蘭盆会…お盆の行事になっていったと言われます。

五山送り火

このお盆の時期に京都では五山送り火が行われます。

京都の五つの山にそれぞれ火で文字を灯すもので、毎年8月16日に行われています。

灯ろう流し

また、このお盆の時期には各地で灯篭流しも行われています。

中国のお盆

蓮の花のランタン

「目連救母」は中国から伝わった言葉で、かつては中国にもお盆の行事があり、旧暦7月15日の夜には「荷花燈」と呼ばれる「灯ろう流し」が行われました。民国時代の作家・蕭紅は『呼蘭河伝』という作品の中で「七月十五は鬼節で、怨みを呑んで死んだ者の魂がさまよい苦しんでいる。この日もし死者の魂に灯ろうを捧げれば、それをたよりに成仏することができる」と書いています。こうしたこともあって、中国で流される灯ろうはその多くが仏教と関わりの深い蓮の花の形でした。

現在の中国で葬儀は基本仏教では行いませんので、観光の一環として灯ろう流しが復活していたとしても、仏教色の濃い行事としては行われていないだろうと思います。

中国の残暑

虎

中国では残暑のことを「秋老虎」(秋のトラ)と言います。広い中国大陸ではこのトラの恐ろしい咆哮(ほうこう)がおさまる時期がまったく異なります。

北方の黒竜江省や西の新疆北部では8月中旬にはすでに秋となり、北京では9月の初めに秋風が吹き始めます。江蘇省一帯では9月中旬、浙江省、湖南省では10月初め、海南島では新年になってやっと秋になるそうです。

『秋夕』杜牧

唐の詩人・杜牧の『秋夕』を紹介します。

この季節にぴったりの七言絶句です。

天の川

銀燭秋光冷画屏

軽羅小扇撲流蛍

天階夜色涼如水

坐看牽牛織女星

秋の夕べ、美しい屏風が燭台の白い光にぼんやりと浮かぶ

手にした羅の団扇でホタルを追い

冷たい石段に腰をおろして

遥か天上の彦星と織姫星を眺めている

織姫と彦星の名前が出てきますが、旧暦の七夕(7月7日)は新暦だと8月中旬頃。ちょうど立秋の期間です。

立秋の「旬の食べ物」

トウモロコシ

トウモロコシ

トウモロコシは6~9月ごろに収穫されます。日本で最も栽培されているのは北海道で、この時期はスーパーなどでよく見かけます。

枝豆

枝豆

枝豆は作りやすく、家庭菜園などでも収穫することができます。7月~8月ごろが旬の時期です。

桃

啓蟄の頃に花を咲かせた桃は、立秋あたりで旬の時期を迎えます。

スイカ

スイカ

夏の果物の代名詞スイカは旬の時期が長く、7月8月は美味しく食べられます。

そうめん

そうめん

立秋は暦の上では秋ですが、実際には夏休み真っ只中。作りやすくおいしいそうめんは、この時期に最も消費されます。

立秋の「季節の花」

百日紅(サルスベリ)

百日紅(サルスベリ)

サルスベリは幹や枝が滑りやすく、サルでも滑ると言われたことから名づけられました。7月~9月ごろに咲きます。

朝顔

朝顔

「朝顔に つるべ取られて もらい水」という有名な俳句がありますが、この「つるべ」とは井戸水をくむための桶のこと。朝顔のつるを断ち切ってしまうのを忍びなく思い、隣家に井戸を借りに行く情景が浮かびます。

この朝顔は7~9月ごろに咲いています。

撫子

撫子

撫子(ナデシコ)は「やまとなでしこ」という言葉にもあるように、古くから日本で好まれてきた花です。秋の七草の一つにも選ばれており、6月~8月ごろに咲きます。

桔梗

桔梗

桔梗も秋の七草の一つですが、実際には早い時期から咲いており、6~8月に見かけることができます。

ホウセンカ

ホウセンカ

ホウセンカは7月中旬~9月下旬ごろに咲きます。秋になると実がはじけることで有名です。

ヒマワリ

ヒマワリ

「夏の花」ヒマワリは7月上旬~9月上旬に咲きます。夏の間にすくすくと伸び、2~3メートルにもなります。

立秋の関連ページ

立秋の項は以上で終了となりますが、このサイトでは立秋の1つ前の節気「大暑たいしょ」や、立秋の次の節気「処暑しょしょ」、また「二十四節気にじゅうしせっき」や「七十二候しちじゅうにこう」についてもリンク先で詳しく紹介しています。