立春の意味・食べ物・歴史と仕組みの図説
立春とは二十四節気の1つで春の始まりを意味する節気です。
1年で最も昼の短い日である冬至と、昼と夜の長さが同じ日である春分の中間としてできたのが立春です。
このページでは立春の意味、成り立ち、実際の季節感とのずれ、2024年の立春の日にちと期間、立春の七十二候、立春の食べ物や季節の花などを紹介していきます。
なお、2024年の立春は2月4日となっています。
目次
- 1. 立春とは
- 2. 2024年の立春はいつ?
- 3. 立春と旧暦・旧正月・春節との違い
- 4. 立春がまだ春と感じない理由
- 5. 二十四節気と七十二候
- 6. 立春の七十二候(日本)
- 7. 立春の七十二候(中国)
- 8. 立春と雑節
- 9. 立春の行事
- 10. 立春の「旬の食べ物」
- 11. 立春の「季節の花」
- 12. 「打春」…中国語で「立春」の別の言い回し
- 13. 立春の関連ページ
立春とは
立春とは二十四節気の1つで、「春の始まり」を意味します。「立」は中国語で「始まる」という意味です。太陽の位置を表す黄経で315度の時を言い、新暦では2月4日~5日頃で年によって変わりますす。日本ではまだ厳しい寒さのまっただなか。寒中見舞いの葉書も立春の前日までは出すことができます。
立春は二十四節気の1つ
二十四節気とは古代中国で作られた暦で、日本では平安時代から使われています。上の図のように1年を24等分し、それぞれに名前を付けたものです。
二十四節気は太陽の運行に基づいており、1年で最も昼の長い日を夏至、1年で最も昼の短い日を冬至、昼と夜の長さが同じ日を春分・秋分とし、この4つを春・夏・秋・冬の中心として決めた暦です。この4つの節気は合わせて「二至二分」と呼ばれています。
この二至二分が二十四節気を決めるうえでの基準となっています。
立春はこの冬至と春分のちょうど中間の日で、暦の上ではこの日から春が始まります。
春の節気は立春、雨水、啓蟄、春分、清明、穀雨となっており、立春は春の最初の節気です。
また、立春・立夏・立秋・立冬の4つを「四立」と言い、それぞれ春夏秋冬の始まりの日として重要な節気となっており、二至二分と四立を合わせて「八節」と言います。
2024年の立春はいつ?
二十四節気のそれぞれの節気には、その日1日を意味する場合と、次の節気までの期間を意味する場合があります。
2024年の立春であれば、以下のようになります。
・日付としての2024年の立春は2月4日。
・期間としての2024年の立春は2月4日~2月18日まで。
立春と旧暦・旧正月・春節との違い
立春は時期的に旧暦の旧正月と近く混同されがちですが、立春と旧正月は別物です。一方、旧正月と春節は同じ日を意味します。
立春は二十四節気の一つで、地球と太陽の位置関係を元に決められています。一方旧暦は月の満ち欠けを基準として閏月で補正を掛けた暦です。
二十四節気と旧暦の簡単な違いは以下のようになります。
二十四節気…純粋に太陽の位置による暦。農作業用に作られた。1年で最も昼の長い日を夏至、最も昼の短い日を冬至、昼と夜の長さが同じ日を春分・秋分とし、この4つを基準として1年を24分割した。
旧暦…太陰太陽暦。この「太陰」というのは月のことで、月の運行を基準にしている。ただし月の満ち欠けは約29.5日で1周するので、29日の月と30日の月を交互に入れた場合、1年を12か月とすると約354日になってしまい、そのままだと毎年実際の季節とずれが生じる。そのため閏月を入れて1年の季節感を調整している。月の運行を基準としながらも、この調整があるものを「太陰太陽暦」と言う。
また、旧正月(旧暦の1月1日)は、必ず朔と呼ばれる新月の日になるよう調整されているため、立春と旧正月が一致するのは約30年に1度となっています。
そのため、立春と旧正月は多くの年で異なっています。
旧正月より早く立春が来る年の立春は、「年内立春」と言い、
旧正月より遅く立春が来る年の立春は、「新年立春」と言います。
旧正月と立春が同日になる年の立春は、「朔旦立春」と呼ばれ、非常に縁起が良いとされています。
立春がまだ春と感じない理由
二十四節気は「実際の季節感とずれている」と感じることがあります。特に立春(2月上旬)、立夏(5月上旬)、立秋(8月上旬)、立冬(11月上旬)の4つの節気はそれぞれ春夏秋冬の始まりを意味しますが、「春というにはまだ早い」などと感じます。
ここではその「実際の気候とずれる理由」について解説します。
春夏秋冬の決め方
夏至は昼の時間の最も長い日、冬至は昼の時間の最も短い日です。
けれども夏至に最も暑くなり、冬至に最も寒くなるかというとそうではなく、実際にはそれより1~2か月ほど遅れて最も暑い日、最も寒い日がやってきます。
ただし二十四節気はこの「夏至を夏の中心」「冬至を冬の中心」そして「昼と夜の長さが同じ春分・秋分を春の中心と秋の中心」として1年を4等分し、春夏秋冬を決めました。
そのため「立春と言われてもまだまだ寒く、冬と感じる」ということが起こります。
日本と中国との気候の違い
また、二十四節気が作られたのは紀元前の中国黄河流域のため、現在の東京の気候とはややずれがあります。
下の地図の中央左にある洛陽が東周時代の首都で、中原とはこの周辺一帯を指す言葉です。二十四節気はこの中原で作られたと考えられています。
気候の違いについては以下のグラフを見ながら解説します。
上のグラフは二十四節気が作られた中原 から代表して洛陽を選び、東京と年間の平均最高気温を比べたものです。
グラフの6月あたりを見ると、中国には梅雨と台風がないため暑さのピークが日本よりも1~2か月程度早くなっています。この部分が二十四節気と日本の実際の季節とが最も異なる箇所になります。立夏は5月上旬ですが、中国のグラフでは夏の始まりと言われて納得がいくものの、日本のグラフでは夏はもう少し先と感じます。
日本が1月・2月で気温がほぼ変わらず12月はそれより暖かいのに対し、中国では1月が最も寒く2月より12月の方が冷え込んでいます。これも冬の季節感のずれに繋がっています。
節気には日付と期間の2つの意味がある
また、二十四節気の1つ1つには期間としての意味もあるものの、カレンダーやニュースなどではもっぱら日付としての意味で使われています。このことも二十四節気と日本の実際の季節感がずれる要因となっています。
二十四節気と七十二候
「二十四節気」は、古代中国で作られた農事を指導するために作られた暦で、春秋戦国時代(BC.770~BC.221)黄河流域で作られたと言われます。中国では暦として月の運行に基づいた「太陰暦」が使われていましたが、これですと実際の季節とズレが生まれてしまうため、太陽の運行の軌跡を24等分した「二十四節気」や、それをさらに約5日ごとに分割した「七十二候」が作られました。このようにして季節の変化をきめ細かくとらえて農事に生かしたのです。
この「二十四節気」は日本では平安時代に取り入れられました。日本と中国とでは位置も気候も異なり、中国の二十四節気は必ずしもすべてが日本の気候に合うものではありませんでしたが、私たちの生活に根付き、大多数の日本人が農業とは無縁になった現代でもテレビのニュースなどで「今日から立春です」などと使われています。
1年には春夏秋冬4つの季節がありますが、古代中国人はそれをさらに24の「節気」に分けました。1年を24に分けるならそれぞれ約15日、その節気にはまたそれぞれ3つの「候」を設け、3×24で72候、約5日で1つの候としてそれぞれの候にその季節の特徴を表す言葉をつけました。
日本は平安時代からこの二十四節気を暦の中に取り入れましたが、これだけでは日本の気候の説明には足りないので、「雑節」というものを設けました。雑節には、節分・彼岸・八十八夜・入梅・半夏生・土用・二百十日などがあります。
さらに「七十二候」については江戸時代の天文暦学者・渋川春海が日本の気候に合わせて改訂版を出し、その後明治時代に「略本暦」が出てそれまでの「七十二候」を大幅に変えました。現在使われている日本の七十二候はこれが元になっており、上の図に書かれているのもこの七十二候です。
なお2016年に中国の「二十四節気」がユネスコの無形文化遺産に登録されました。
立春の七十二候(日本)
春と言うより春の気配を感じる頃のことで、この頃からだんだん暖かくなっていきます。
立春に含まれる七十二候は以下のようになります。
内容 | 時期 | |
---|---|---|
初候 | 東風凍を解く | 2月4日頃 | 2月8日頃 |
次候 | 黄鶯睍睆く | 2月9日頃 | 2月13日頃 |
末候 | 魚氷に上る | 2月14日頃 | 2月18日頃 |
漢字が並んでいると、一見難しそうですが、意味がわかれば具体的に季節のありようを伝えていることがわかります。春風が吹いて川などの氷が解け出し、ウグイスがホーホケキョと鳴き始め、湖に張った氷が薄くなって、そこから魚が飛び跳ねている、という情景です。
初候の「東風」とは「春風」のことです。陰陽五行思想で春は東を司(つかさど)るので東風と言います。「東風」は「こち」とも読みますね。平安時代の政治家で文人の菅原道真が偽りの告げ口によって九州の太宰府に流されるのですが、京の都を離れる前「東風(こち)吹かば匂いおこせよ梅の花 主(あるじ)なしとて春を忘るな」(春風が吹いたら太宰府まで匂いを届けておくれ、梅の花よ。あるじがいなくなったからと言って咲くのを忘れてはいけないよ)と歌っています。ちなみに受験の時お参りするとご利益があるという「天神様」はこの菅原道真を祀っています。
立春の七十二候(中国)
二十四節気も七十二候も中国から取り入れたのですが、気候の違いなどで日本は日本独自の七十二候になっています。同じものもあるのですが、違う場合もたくさんあります。中国の立春の七十二候は以下の通り。
初候「東風解凍」、次候「蟄虫始振」、三候「魚陟負冰」で、次候と三候が異なります。
「春風が吹いて氷が解け、冬眠していた虫たちが目覚めて動き出し、河に張っていた厚い氷が解け出して、魚たちが氷のかけらを背中に乗せている」という意味になります。
立春と雑節
さて「立春」は一年の始まりですから、日本の暦で言う「八十八夜」(はちじゅうはちや)とか「二百十日」(にひゃくとおか)というのは、いずれも立春から数えた日にちを言います。
「八十八夜」は「せっせっせーのよいよいよい」で始まる茶摘み歌でよく知られていますね。立春から88日目のこの日は5月2日ごろ、農家にとってはとても大事な日で、この日イネの苗代(なわしろ…イネの苗を作る場所)を作ったり作物の種まきをしました。またこの日に摘んだ茶の葉は品質が良いと言われています。農作業だけでなく、瀬戸内海では豊漁期に入る目安にもされていました。「八十八夜」は二十四節気にはなく、日本だけの節気で「雑節」と呼ばれます。雑節にはほかに「二百十日」(にひゃくとおか…9月1日ごろで、台風の多い日と言われている)・「入梅」・「土用」・「彼岸」などがあり、「節分」もこの雑節に入ります。
立春の行事
節分
豆まきで知られる「節分」とは何なんでしょうか。
「立春・立夏・立秋・立冬」は「四立」と言い、二十四節気の中でもその季節の始まりとして特に重要な日とされてきました。
節分はこの「立春・立夏・立秋・立冬」、すなわち春夏秋冬が始まる日の前日のことです。江戸時代から「節分」と言えば立春の前日の節分を指すようになったと言われます。
そのため豆まきをする節分は「立春」の1つ前、「大寒」の最終日に行われる行事です。
立春大吉
立春大吉とは禅宗のお寺の習慣で、「立春大吉」と書いた紙を門に貼り、春の訪れを祝います。
若水
年の初めにくんだ水を「若水」と言い、かつてはこの水をまずは神だなにお供えし、それから食事の支度などに使いました。またこれで入れたお茶を「福茶」と言い、煎茶やほうじ茶に昆布や小梅を入れて飲みます。
立春の「旬の食べ物・季節の料理」
いよかん
いよかんは伊与国(愛媛県)で栽培されていたことから名付けられました。現在でも愛媛県を中心に栽培され、立春の頃に旬を迎えます。
ポンカン
ポンカンも愛媛県で最も生産され、旬の時期もいよかんと同じく立春の頃です。
フキノトウ
フキノトウは立春の頃に採れる山菜として知られ、花が開く前のつぼみを味噌などと食べるのがおいしいと言われています。
立春の「季節の花」
福寿草(フクジュソウ)
福寿草は立春・旧正月の頃に咲くため、縁起が良いということから名付けられました。別名元日草(ガンジツソウ)と言います。
開花時期:2月上旬~3月下旬。
黄梅(オウバイ)
黄梅は中国語では迎春花と呼ばれ、旧正月を迎える花として人気があります。
開花時期:1月上旬~3月下旬。
ツバキ
ツバキとサザンカは似ていますが、ツバキのほうが遅く咲きます。
開花時期:1月中旬~4月下旬。
プリムラ
プリムラは早春を伝える花と言われています。
開花時期:12月~4月。
梅
立春の頃より梅が咲き始め、春の訪れが感じられます。
開花時期:1月下旬~4月上旬。
「打春」…中国語で「立春」の別の言い回し
中国で「立春」は「打春」とも言いますが、これは「打春牛」から来ています。中国で牛は農耕のシンボル。立春にはこの牛をかたどった泥人形を作り、これを叩いて粉々にして牛小屋の中にまき、牛の繁殖やその年の豊作を祈りました。日本にはない習慣です。
立春の関連ページ
立春の項は以上で終了となりますが、このサイトでは立春の1つ前の節気「大寒」や、立春の次の節気「雨水」、また「二十四節気」や「七十二候」についてもリンク先で詳しく紹介しています。