啓蟄の意味・食べ物・歴史と仕組みの図説
啓蟄とは二十四節気の1つで、雨水の次、春の3番目にあたる節気です。
このページでは啓蟄の意味、成り立ち、実際の季節感とのずれ、2024年の啓蟄の日にちと期間、啓蟄の七十二候、啓蟄の食べ物や季節の花などを紹介していきます。
なお、2024年の啓蟄は3月5日となっています。
目次
- 1. 啓蟄とは
- 2. なぜ「驚蟄」が「啓蟄」に
- 3. 2024年の啓蟄はいつ?
- 4. 二十四節気と実際の季節感がずれる理由
- 5. 二十四節気と七十二候
- 6. 「啓蟄」の七十二候(日本)
- 7. 啓蟄の第3候「桃始笑」
- 8. 啓蟄の七十二候(中国)
- 9. 啓蟄と病原菌
- 10. 啓蟄と驚蟄
- 11. 啓蟄の「旬の食べ物」
- 12. 啓蟄の「季節の花」
- 13. 啓蟄の関連ページ
啓蟄とは
啓蟄とは二十四節気の1つで、「土の中の虫がはい出すころ」という意味が込められています。啓蟄は毎年3月5日~6日頃で、年によって変わります。太陽の位置を表す黄経では345度に来ています。
日本語では「啓蟄」と言いますが、中国語では「啓蟄」ではなく「驚蟄」と言います。「蟄」とは、虫などが土の中の潜り込んで飲まず食わずの状態であること、春雷などが鳴ってそういう虫たちが驚いて土の中から出てくるので、中国では「驚く」という漢字を使い、「驚蟄」と言います。
啓蟄は二十四節気の1つ
二十四節気とは古代中国で作られた暦で、日本では平安時代から使われています。上の図のように1年を24等分し、それぞれに名前を付けたものです。
二十四節気は太陽の運行に基づいており、1年で最も昼の長い日を夏至、1年で最も昼の短い日を冬至、昼と夜の長さが同じ日を春分・秋分とし、この4つを春・夏・秋・冬の中心として決めた暦です。この4つの節気は合わせて「二至二分」と呼ばれています。
この二至二分が二十四節気を決めるうえでの基準となっています。
立春はこの冬至と春分のちょうど中間の日で、暦の上ではこの日から春が始まります。
春の節気は立春、雨水、啓蟄、春分、清明、穀雨となっており、啓蟄は春の3番目の節気です。
また、立春・立夏・立秋・立冬の4つを「四立」と言い、それぞれ春夏秋冬の始まりの日として重要な節気となっており、二至二分と四立を合わせて「八節」と言います。
なぜ「驚蟄」が「啓蟄」に
中国語の「驚蟄」がなぜ日本には「啓蟄」と伝わったのでしょうか。中国でももともと「啓蟄」と言っていたのですが、この「啓」という字が漢王朝の皇帝の名前だったために、漢代にはこの文字を使う事がはばかられ、意味の似ている「驚蟄」になったのです。その後また「啓蟄」に戻りそれが日本に伝わるのですが、中国ではまた「啓蟄」を「驚蟄」に戻し現在に至っています。二十四節気の中でこれだけが日中で漢字が異なります。
2024年の啓蟄はいつ?
二十四節気のそれぞれの節気には、その日1日を意味する場合と、次の節気までの期間を意味する場合があります。
2024年の啓蟄であれば、以下のようになります。
・日付としての2024年の啓蟄は3月5日。
・期間としての2024年の啓蟄は3月5日~3月19日まで。
二十四節気と実際の季節感がずれる理由
二十四節気は「実際の季節感とずれている」と感じることがあります。特に立春(2月上旬)、立夏(5月上旬)、立秋(8月上旬)、立冬(11月上旬)の4つの節気はそれぞれ春夏秋冬の始まりを意味しますが、「春というにはまだ早い」などと感じます。
ここではその「実際の気候とずれる理由」について解説します。
春夏秋冬の決め方
夏至は昼の時間の最も長い日、冬至は昼の時間の最も短い日です。
けれども夏至に最も暑くなり、冬至に最も寒くなるかというとそうではなく、実際にはそれより1~2か月ほど遅れて最も暑い日、最も寒い日がやってきます。
ただし二十四節気はこの「夏至を夏の中心」「冬至を冬の中心」そして「昼と夜の長さが同じ春分・秋分を春の中心と秋の中心」として1年を4等分し、春夏秋冬を決めました。
そのため「立春と言われてもまだまだ寒く、冬と感じる」ということが起こります。
日本と中国との気候の違い
また、二十四節気が作られたのは紀元前の中国黄河流域のため、現在の東京の気候とはややずれがあります。
下の地図の中央左にある洛陽が東周時代の首都で、中原とはこの周辺一帯を指す言葉です。二十四節気はこの中原で作られたと考えられています。
気候の違いについては以下のグラフを見ながら解説します。
上のグラフは二十四節気が作られた中原 から代表して洛陽を選び、東京と年間の平均最高気温を比べたものです。
グラフの6月あたりを見ると、中国には梅雨と台風がないため暑さのピークが日本よりも1~2か月程度早くなっています。この部分が二十四節気と日本の実際の季節とが最も異なる箇所になります。立夏は5月上旬ですが、中国のグラフでは夏の始まりと言われて納得がいくものの、日本のグラフでは夏はもう少し先と感じます。
日本が1月・2月で気温がほぼ変わらず12月はそれより暖かいのに対し、中国では1月が最も寒く2月より12月の方が冷え込んでいます。これも冬の季節感のずれに繋がっています。
節気には日付と期間の2つの意味がある
また、二十四節気の1つ1つには期間としての意味もあるものの、カレンダーやニュースなどではもっぱら日付としての意味で使われています。このことも二十四節気と日本の実際の季節感がずれる要因となっています。
二十四節気と七十二候
「二十四節気」は、古代中国で作られた農事を指導するために作られた暦で、春秋戦国時代(BC.770~BC.221)黄河流域で作られたと言われます。中国では暦として月の運行に基づいた「太陰暦」が使われていましたが、これですと実際の季節とズレが生まれてしまうため、太陽の運行の軌跡を24等分した「二十四節気」や、それをさらに約5日ごとに分割した「七十二候」が作られました。このようにして季節の変化をきめ細かくとらえて農事に生かしたのです。
この「二十四節気」は日本では平安時代に取り入れられました。日本と中国とでは位置も気候も異なり、中国の二十四節気は必ずしもすべてが日本の気候に合うものではありませんでしたが、私たちの生活に根付き、大多数の日本人が農業とは無縁になった現代でもテレビのニュースなどで「今日から立春です」などと使われています。
1年には春夏秋冬4つの季節がありますが、古代中国人はそれをさらに24の「節気」に分けました。1年を24に分けるならそれぞれ約15日、その節気にはまたそれぞれ3つの「候」を設け、3×24で72候、約5日で1つの候としてそれぞれの候にその季節の特徴を表す言葉をつけました。
日本は平安時代からこの二十四節気を暦の中に取り入れましたが、これだけでは日本の気候の説明には足りないので、「雑節」というものを設けました。雑節には、節分・彼岸・八十八夜・入梅・半夏生・土用・二百十日などがあります。
さらに「七十二候」については江戸時代の天文暦学者・渋川春海が日本の気候に合わせて改訂版を出し、その後明治時代に「略本暦」が出てそれまでの「七十二候」を大幅に変えました。現在使われている日本の七十二候はこれが元になっており、上の図に書かれているのもこの七十二候です。
なお2016年に中国の「二十四節気」がユネスコの無形文化遺産に登録されました。
「啓蟄」の七十二候(日本)
日本の啓蟄の七十二候は以下のようになります。
内容 | 時期 | |
---|---|---|
初候 | 蟄虫戸を啓く | 3月5日頃 | 3月9日頃 |
次候 | 桃始めて笑う | 3月10日頃 | 3月14日頃 |
末候 | 菜虫蝶と化す | 3月15日頃 | 3月19日頃 |
土の中で冬ごもりをしていた虫が地面の上に顔を出し、桃の花のつぼみがほころび、さなぎが羽化して蝶になりヒラヒラと舞い始めます。二十四節気の3番目になると、季節の言葉を読んでいるだけで、春の暖かな日差しを感じますね。
啓蟄の第3候「桃始笑」
「桃はじめて笑う」は「桃の花が咲く」という意味になるのですが、これは昔「笑」は「咲」と書き、この「咲」という漢字に「笑う」とか「つぼみがほころぶ」という意味があったからです。今の中国語にこの「咲」という漢字はありませんので、名前に「咲」とある日本人が中国語で自己紹介をする時はこの「咲」を「笑」に変えます。「咲子」さんなら「笑子」さんになり、なんとなく「花」のイメージが消えてしまうのですが、名前が明るくなって悪くはありません。
啓蟄の七十二候(中国)
中国の驚蟄の七十二候は、「桃始華」「倉庚鳴」「鷹化為鳩」で、「桃の花が咲き、ウグイスが鳴き、獰猛なタカがうららかな春の陽気にハトに変わる」という意味です。春の暖かさはタカをハトに変える力があるんですね。
啓蟄と病原菌
3月の上旬、寒さから解放された虫たちが地面に顔を出す頃、農作業をする人々は家畜への病原菌などを心配しました。効果のある薬のない時代です。
中国には「桃花開、猪瘟来」(桃の花が咲き出すころ、ブタの伝染病がやってくる」という言葉があります。中国語で「猪」は「イノシシ」ではなく「ブタ」です。イノシシとブタの違いは、野生のものか家畜化されたものかということで、中国語のイノシシは「野猪」と書きます。「野」は「家畜化されていない」という意味です。日本では仏教の影響を受け明治になるまで基本的に四つ足動物の家畜は存在しませんでした(ゼロではなかったようです)が、中国では古くから豚肉を食べブタを家畜化していました。
気温が上がれば病原菌なども活発化しますから、昔の中国人はヨモギなどを燃やしその匂いで虫やアリ、鼠などを追い払っていました。
広西チワン族自治区の瑤族には啓蟄になるとどこの家も皆で「炒虫」を食べるという習俗があったと言います。「虫」を炒めた後家族みなで輪になって座り、一斉にそれを咀嚼し「炒め虫を食べた、炒め虫を食べた」と叫び、時には誰が一番速く食べられるか、誰の咀嚼音が一番大きいかを競ったのだそうです。オェー!となりそうな光景ですがご心配なく。この虫はホンモノの虫ではなくトウモロコシで、トウモロコシを香ばしく焼いたものを虫に見立てたのでした。虫はどこでも嫌われものなんですね。
啓蟄と驚蟄
古代中国の礼について記した『礼記』(らいき)に「啓蟄」とあった言葉が中国では後に「驚蟄」となって今に至っていますが、なぜ「驚蟄」が定着してしまったのか。
春先、啓蟄の頃にはしばしば「春雷」が鳴るので「虫は雷の音に驚いて冬眠から目覚めたのだ」と雷と虫を結びつけるようになり、それならば「啓蟄」より「驚蟄」の方がぴったりだとなったのかもしれません。
中唐の詩人・韋応物(い おうぶつ…736~791)に『観田家』という名の詩があって、以下の一行から始まります。
微雨衆卉新 一雷驚蟄始
微雨(びう)衆卉(しゅうき)新たに 一雷驚蟄始まる
(小雨が降るとそこに草が生え、雷が鳴ると虫たちが驚いてうごめき出す)
啓蟄の「旬の食べ物」
八朔(はっさく)
八朔には1~2月ごろに収穫され、1か月ほど寝かせて酸味を取って出荷されるものと、熟すまで待って3月ごろに出荷されるものがあります。いずれも3月が旬の時期となります。
苺
苺は主に栃木県で生産され、3月に旬を迎えます。
啓蟄の「季節の花」
白木蓮(ハクモクレン)
ハクモクレンはモクレンよりも10日ほど早く咲き、3月上旬~下旬が見ごろとなっています。
沈丁花(ジンチョウゲ)
ジンチョウゲは2月下旬~3月下旬に咲く香りの強い花で、その名前も沈香(じんこう…香木の一種)から付けられました。
菜の花
菜の花には「菜」という漢字が使われていますが、これは「食べられる花」という意味で名付けられました。各地の菜の花畑は2~3月ごろに見ごろを迎えます。
啓蟄の関連ページ
啓蟄の項は以上で終了となりますが、このサイトでは啓蟄の1つ前の節気「雨水」や、啓蟄の次の節気「春分」、また「二十四節気」や「七十二候」についてもリンク先で詳しく紹介しています。