中国の凧(たこ)の歴史 【中国文化】

中国の凧

凧の中国語

中国語で「たこ」は“风筝 fēngzhēng”と言います。

「風の琴」という意味ですが、これは唐代末期に紙の凧に笛をつけ、飛ばすと琴のような音色が聞こえたのでそう呼ぶようになったのです。中国ではこうした笛のついていない普通の凧も「風筝」と呼びます。

中国の凧の起源

中国で最も早い時期の凧は紙ではなく木で作られていました。

伝説では最初の凧は魯班(B.C.507~B.C.444 春秋時代末 魯の人。中国の大工職の祖。)によって作られたと言われます。

墨家の代表的な哲学者・墨翟(B.C.478~B.C.392)が作ったという説もあります。『韓非子』に墨翟は「三年の月日をかけ、木で凧を作り空を飛んだ」と歴史書に書かれています。これが世界最古の凧だとすると、今から二千年以上も昔のこととなります。

凧は最初は兵器だった?!

墨家は軍事技術を熱心に研究したせいか、初期の凧の話では軍事利用に関するものが多いのです。たとえば、前漢の韓信は凧を使って測量をしたと言われます。

また南北朝時代の梁の武帝の時には、凧を使って信号を送ったと言います。

13世紀には、蒙古軍が開封の金を包囲した時、包囲された人々は文字を書いた凧を揚げ、それが蒙古軍の上に到達した時糸を切って金軍の捕虜の中に落とし、彼らに反乱を起こすよう促したという記録も残っています。

兵器から遊び道具に

唐代から凧は遊び道具になっていきます。凧に糸や竹笛をつけて音が鳴るようにし、そこで凧のことを「風筝」を呼ぶようになりました。唐から宋にかけ、伝統的節句として清明節が定着していくと、凧揚げは清明節に不可欠の行事になっていきます。「清明近づき、遊人さわがしく、風光良し。人皆歓笑し、風筝貼りて春郊に至る」と歌われてもいます。

北宋時代に描かれた『清明上河図』にも凧揚げの場面があります。

明や清になると、子供たちが凧揚げをするのは春の風物詩になっていきました。北京の故宮にはラストエンペラー・溥儀が子供の頃遊んだ凧が保存されています。

紅楼夢の凧揚げのシーン
紅楼夢の凧揚げのシーン

中国の凧の特徴

ツバメとコウモリをモチーフとした中国の凧
ツバメの形とコウモリの模様をモチーフとした中国の凧

中国の伝統的な凧にはツバメの形とコウモリの模様をモチーフとしたものが多くあります。コウモリは中国語で発音すると「福になる」という意味の単語と同じ音なので、縁起のいい飛ぶ動物として、コウモリが描かれてきました。

上の凧の写真のように、両手両足があるように見えるツバメ形が中国の凧ならではの特徴です。

京劇をモチーフとした中国の凧
京劇をモチーフとした中国の凧

また、京劇の仮面もおめでたいものとして描かれることが多いようです。

凧の生産地

凧の生産地としては、北京、天津、山東濰坊、江蘇南通、四川成都などがあります。中でも山東省濰坊は「世界凧の都」と呼ばれ、ここで作られる凧は精巧な作りや色彩の美しさで知られています。江蘇省南通の凧はさまざまな笛を装着し、それらの凧が上空を舞うと一斉に音を立てるので「空中交響楽」と呼ばれているそうです。

占いとしての凧

20世紀前半を背景にした中国のテレビドラマ『橘子紅了』(蜜柑が熟れた)で、ヒロインが凧を揚げ自分の未来を占う場面が出てきます。この時代こうした風習があったのかもしれません。

そのもっと昔には、病気や災いに遭った時人々は凧に自分の名前を書き、それが空中を舞い始めると糸を切って漂うに任せ、不運と幸運が入れ替わることを願ったと言います。